【エッセイ】❝別姓問題❞に、無理やり結論を出してみた
※意見の分かれる問題ですが、今回の結論は、誰ひとり賛同がいるとは思
えないものとなりました。誰もが平等に不快を感じるならば、あえて会
員限定にする必要はないと判断いたしました。したがいまして、閲覧フ
リーです。
《本文》
選択的夫婦別姓制度。
総理を前提とした党総裁選挙の候補者の一人は、「1年以内に決める」と公言した。
前提として、筆者の大まかな考え方を記したい。
私生活のことには可能な限り、公権力の介入は控えるべき。この考え方を土台としていることをご承知いただきたい。
まずは、選択制夫婦制度のメリットを考えた。
① 選択肢が増える。
② 一人っ子同士の結婚に横たわる壁が低くなる。
こんなところかな。
ほかにあるよという方は、お教えくださいませ。
次に、デメリットだ。
① 家族の一体感が薄まる。
② 兄弟姉妹の姓が異なる可能性が高い。
思いつくのは、こんなところだ。
メリットと同じように、ほかにもあればお教えくださいませ。
さらに、エゴに徹して、個人的かつ心情的な感想も見つめてみる。
①も②も、めんどくさい。
長年やってきて、大した問題も、不都合もないのに、いまさらなぜ
変えなくちゃいけないのか。
私生活、仕事など周囲には、既存の結婚、戸籍制度への不便を訴える人はいない。
といえば、意識の低い系人間ばかりに囲まれているのだというご批判もあるかもしれない。甘んじて、受け入れよう。意識が低いかもしれないけど、それなりに皆、小さな幸福に生きていることはまちがいないのだ。
かといって、どうしても別姓にしたいという願いを持った人がいるのも耳に入ってくる。ただし、身近にはいない。報道を通した二次情報、三次情報でしかない。だから、今一つ、親身になれないのはお詫びするしかない。
以上をつれづれ勘案して、出した結論は、NO!
現在の婚姻法を変える必要はない。
変えなければならない不都合が見当たらないのだ。加えて、現在の婚姻制度を信頼して婚姻した人たちの期待を破る必要はないと思うのだ。
もっといえば、公権力にこれ以上、私生活に入り込んでほしくない。必要最低限、同姓で家庭を築きたいと考える人だけに、公権力の介入を容認すれば十分だ。一種の歴史的期待権として、守っていけばいい。
歴史的といえば、夫婦同姓はいつごろから始まったのだろう。
平安時代は、いうまでもなく別姓。子どもは母方の家で育てられ、父親は通ってくるだけ。もっといえば、母親が同じ兄弟姉妹は結婚できないが、父親が同じでも結婚できた。
父親は、親子から除外されたともいえる存在だった。
鎌倉、室町は、どうだったのだろう。
北条政子が源政子って聞いたことないし、日野富子が足利富子になったとも聞いたことがない。もっとも天璋院篤姫は、正式には、徳川の姓である源篤子となるのだという。
その前に、女性の名前が公になることはなく、北条政子だって、北条が平であったとしても、自分が政子という名前だと知らなかったという説まである。
そんなこんなで、夫婦同姓は、明治以後のことのようだ。昔のことはすべていいかというと、そうとはいかない。夫婦の距離が遠かったころ、父親が家族から距離を置いた存在だったころ、夫婦は別姓だった。ただし、子どもは基本的に母親の姓。名乗ったかどうかまでは定かではないが、母親の家の一員だという意識で居たことは想像できる。
というわけで、夫婦別姓は、昔帰り。夫婦同姓は、伝統的な日本文化ではないにしても、時代に逆行することであり、退行することになる。ちょっとおもしろくないなぁ。
一方で、現在の戸籍制度に不便を感じている人もいるという。これらを加味して考えると、
まず、現在の戸籍制度は維持する。日本の戸籍制度は世界でもかなり精度が高いそうだ。これを退化させるのは、もったいない。
次に、第二戸籍制度を新設する。人間関係登録とでもいうべきもので、婚姻しても旧姓を使用したい人は、ここに登録する。既存の戸籍制度と並行して登録してもいいし、婚姻しないで登録することもできる。
その他、同性婚は戸籍はできないが、第二戸籍には登録できる。婚姻以外でも友だち同士の関係も、ここに登録してもいいと思う。
さらに、あらゆる人間関係を範囲を定めて登録できるようにする。範囲は契約書のような形にして、公証役場を経て、登録すればいい。
第二戸籍には、第一戸籍と同等の資格を国家が認める。そうすれば海外への入出国にあたっても、日本国が認めたものということになるので、不都合は消滅する。
現状の戸籍制度を守りつつ、不都合な部分をフォローしていく。そのためには、第二戸籍制度の新設がいいと思うんだけどなぁ。
「選択」だから問題ない、と言う。