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[ 観博録 ] No.02

[ 観博録 ] 2023.05.11(Thu)

大阪歴史博物館の特別企画展「異界彷徨 - 怪異・祈り・生と死 - 」を観に行ってきました。日本人の思想や概念は昔からほとんど変わっていないのだと改めて気付かされました。

チラシとパンフレットとチケット

「異界」という語は1970年代から80年代にかけて広く用いられたそうですが、古来より災厄をもたらす妖怪や悪霊、富や幸福をもたらす神や仏が住んでいる場所と考えられています。人知の及ばない現象は、異界の住人が引き起こすものであると畏怖し、我が身に降りかかる災いは、他界に属する神や仏へのひたむきな祈りによって退けようとしてきました。つまり異界との交感でした。今でも新たに生まれる命を喜び、成長を祝い、また死者を手厚く弔う際にも、様々な儀礼を変わらず行っていますよね。天変地異や災厄の原因を理解し、生の苦しみや死の恐怖を克服するために人々はこの世ならざる世界を想像してきたのであり、異界とは私たちの生活を基層で支える概念ともいえます。

企画展入り口

怪異(妖怪)

展示の最初では、妖怪や怪異譚に関わる資料が紹介されていました。古代の人々は、動物の大量発生や奇異な天文現象などを凶兆として解釈していました。時代が進むにつれ、天変地異や疫病などの災厄をもたらす存在が具体的に想像され、それらに名前や姿が与えられたのです。妖怪の多くはこのように発生したとされています。人智の及ばぬ事象や自然への畏敬の念が怪異を生み、人々の間を跋扈していきました。

河童図
(江戸後期〜明治・堀田龍之助旧蔵の資料)

有名な妖怪といえば、やはり河童ではないでしょうか。民俗学者の柳田國男は、妖怪とは信仰を忘れられ零落した神の姿であると提言しています。この説に河童を照らし合わせると、河童からかつての水神の要素を認めることができます。河童の好物である胡瓜は、水神に捧げられる初物の野菜。神事である相撲を好み、かつて水神の生贄であった馬を水中に引き込もうとする等の特徴に納得できます。

寛永年中豊後国記田ニ而取候川童写(かんえいねんちゅうぶんごこくきだにてとりそうろうかっぱうつし)
(1624〜1644)

河童が文献に出てくるのは近世以降となっており、一説には近世になり水利施設や水路の開発が進んだことが水難事故を誘発し、その被害と水辺での怪異が習合して河童という妖怪が創造されたと言われています。実際に河童が害をなすという伝承は人工水界の地帯に多く分布しているという研究もあります。

河童・山童人形
(大正〜昭和時代)

河童には水域と山を行き来する水神の性質があることから、河童が山に入ると山童(やまわろ)に変わるという話が全国の山間には伝わっています。河童と同じくらい有名な妖怪として、天狗が挙げられます。天狗は、「流星に非ず。是天狗なり。其の吠ゆる声、雷に似たるのみという。」と日本書紀に記されています。これは、唐から戻った学問僧の旻(みん)が、流星を天狗だと述べているのです。

天狗像
(江戸後期〜明治時代)

中国では、流星を天翔ける狗の妖怪だと考えられていました。この飛行能力は、日本の天狗像の形成に強く作用し、やがて有翼の妖怪を生み出すこととなり、烏天狗の姿で具現化します。また恨みを持つ人間が天狗に転生するという説話に基づき、人面系の鼻の高い天狗が生まれました。これらの天狗が山伏に似るのは、山中を駆け巡り、呪法を操る修験行者の姿と天狗が習合したためと言われています。天狗にまつわる面白い絵が描かれている資料が展示されていました。

天狗の卵 竹原春朝斎筆「鳥羽絵あくびどめ」
寛政5年(1793)

これは、山仕事の途中、木から卵が落下し、割れた卵からは天狗の幼体が出てきた場面の絵です。近代以前、天狗を卵生だと認識され、明治期の聞き書き集「明治百話」には、横浜で松の木に引っかかった風船を見た人々が天狗の卵だと大騒ぎしたという面白い話もあります。

久之浜張子 天狗面
(大正〜昭和時代)

天狗と言えば魔除けとして用いられるお面ですが、この鼻の高い大天狗の仮面は、張子で作られています。こちらを睨みつけるかのように鋭い視線をこちらに向けています。久之浜張子は現在の福島県いわき市久之浜地域で、文化年間(1804〜1818)に製作がはじまったと伝わっています。昭和51年(1976)に最後の職人が亡くなったことで、途絶えてしまいました。

蟹の甲羅面
(大正〜昭和時代)

魔除けの面として、タカアシガニの甲羅で作られた資料も展示されていました。甲羅を鬼面に見立て、その力と外殻の刺突性に退魔の力を認めたと考えられています。蟹の甲羅で退魔面を作る例は、愛知県知多郡野間村の長田蟹面が有名ですが、川崎巨泉の玩具帖に蟹の甲羅面と同様の絵が記録されているので、これに該当する可能性が高いそうです。

怪異(鬼)

中国では「鬼」の字は死者の霊という意味で使われますが、日本においては、邪悪な存在で、恐怖の対象とされています。

梵鐘形兜道成寺(ぼんしょうなりかぶとどうじょうじ)
鬼女前立付
(江戸時代)

こちらの兜は謡曲「道成寺」を意匠に取り込まれています。謡曲「道成寺」は、安珍清姫の物語です。奥州から熊野詣に来た修行僧の安珍(あんちん)に真砂庄司の娘である清姫(きよひめ)は一目惚れしてしまいました。安珍は熊野からの帰りに再び立ち寄る約束をします。しかし、約束の日に安珍が来ることはなく、裏切られた清姫が憤怒のあまり蛇となり、ついに梵鐘の中に隠れた安珍を焼き殺してしまうというお話です。前立には鬼女と化す清姫の像が立ち、清姫の着物の三角模様は蛇の鱗を表しています。蛇となった清姫の顔は角が生えており、紛うことなき鬼です。

左 : 泥眼 右 : 般若
黒瀬小治郎 作

また鬼面といえば、般若の能面ですね。金色の2本の角を有しており、目と眉の上部は苦悩、大きく開いた口や突き出た顎の下部は威嚇の造形で、女性の嫉妬と怒り、悲しみが表現されています。「道成寺」「葵の上」などの限られた演目で用いられます。この悪鬼のイメージは仏教の伝来によるところが大きく、インドの神を源流とする夜叉や羅刹といった攻撃的な鬼神や、輪廻転生を表す「五趣」(天道、畜生道、地獄道、餓鬼道、人間道)などの仏教的他界観が影響しています。

五趣生死之図(ごしゅしょうじのず)
天保3年(1832)

この写真は、無常大鬼(むじょうだいき)が持つ輪の中に「五趣」、その周囲には人の苦の元となる「十二因縁」などが描かれています。頭上には円形の「涅槃円浄」が描かれ、人々が仏を信じて輪廻転生から逃れ、悟りの世界へ到達すべきことが説かれています。このように恐ろしい鬼ではありますが、実態としては仏法に調伏・帰依する対象として多く描かれています。

怪異(奇獣)

今回の企画展で紹介されている奇獣は、いくつかの動物の部位を組み合わせたような異様な姿をしています。伝承に現れる存在もいますが、中には怪異と紐付かず、博物誌に実在すると記録されているものも展示されていました。興味深い資料がたくさんあったので、一部を紹介したいと思います。

一角獣図(「一角纂考」より)
寛政7年(1795)

こちらはイッカククジラとユニコーンの図です。細く長い角を持つイッカククジラは、ヨーロッパではその角は一角獣(ユニコーン)のものと信じられていました。ユニコーンはあらゆる毒を中和し、その角は解毒作用を持つとして重宝されていたそうです。

人魚(「六物新志」より)
天明6年(1786)

各国の人魚の絵が描かれていて、人魚の肉は皮膚病に、骨は止血に効果があると記されています。勝手なイメージで、人魚は美女だと思い込んでいましたが、冴えない中年のおじさんっぽいイラストが描かれていて、面白かったです。

浮世四案鈔 震雷火災心得
(うきよしあんしょう じしんかみなりかじこころえ)
安政2年(1855)

この絵は、地震を大鯰(おおなまず)、カミナリを鬼、そして擬人化した火事が酒を酌み交わし、親父が眺めるという構図の鯰絵となっています。「御代は泰平」「世直しの祝い」という表記もみえ、地震が被害をもたらす一方で、復興のため建設業が隆盛するなど、現状の秩序を刷新させる意味合いを持っています。

呪物

怪異の次は、魔除けや縁起物などの呪物が並べられていました。魔除けには、神霊の宿るものを身に付けることで守護を受けられるものや、魔物が嫌うものを配置して追い払うものなど、様々な様式が存在します。これらは、外部からの脅威を防ぐ防御的なものを「護符」、邪鬼や魔物を積極的に排除しようとする攻撃的なものを「呪符」と呼び分ける場合もありますが、実態としてはあやふやな為、完全に区別することは難しくなっています。縁起物も、家に置くことで招福や除災を期待する、謂わば常時効力を発揮する設置型の呪物です。呪術という観念は、特別な理論なのではなく、人々の間で培われた実践的な技術でした。

道祖神(どうそじん)
(大正〜昭和時代)

この呪物は、悪霊の侵入を拒むため、村境や道の辻、峠などの境界に祀られる神です。その呼び名は地域によって様々で、形態も石碑に刻むだけのものから神像を作る場合もあります。境界は異界に繋がる領域と考えられていました。写真の資料は、裃(かみしも)を着た男女一対の木像です。

伏見人形 御幣猿(ごへいざる)
(大正〜昭和時代)

こちらは京都伏見・稲荷山の土で製作された人形。縁起物としての土人形には、聖地の土を持ち帰り、神仏の力を移すという信仰があります。

加藤清正手形
(明治〜昭和時代)

他にも、力士などの手判を玄関に貼るという習俗があります。これは、我が家には剛力を持つものがいるということを示し、魔物たちを忌避させる魔除けです。

人面墨画土器
(奈良時代)

これらは、穢れや災い、病を祓うための奈良時代の祭祀具です。土師器の壺や鉢に墨で不思議な顔が描かれています。集落の近くの川や溝の跡など水辺から見つかることが多く、疫病神の顔とともに器の中に悪いものを封じ込めて水に流したものと考えられます。土器が全て丸底なのは、災いをより遠くに流すためだったのではないかとも考えられており、平安期の儀礼書には、しばしば小壺に息を吹き込み、川に流すという記載もあります。自分の呼気を吹き込むことで自らの穢れを移す感染呪術の性質が読み取れます。奈良時代は天平7年(735)〜天平9年の天然痘の流行など、流行り病でたくさんの人々が亡くなりました。医学や薬学が未発達な時代、これら人面墨画土器は、人形(ひとがた)や土馬(どば)とともに庶民の疫病対策だったのかもしれません。

異界と現実

怪異が人々の間で広まる時は、必ずと言っていいほど自然災害や疫病、不景気が原因です。2023年現在、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行し始めて、早くも4年目に突入しました。未だにコロナが終息していないにも関わらず、日本の政府はあたかも終息したかのように振る舞っており、またマスクの着用については個人の判断に委ねることが基本となりました。個人的には出来る限りマスクを着用して欲しいですね。マスクをしていない人ほど咳をするので、大変迷惑なんですよ。これはコロナが流行り始める前から言われていることで、咳エチケットが出来ていない人が多すぎます。昔は医療が発展していなかったので、アマビエや牛頭天王に疫病退散を願ったり、人面墨画土器で疫病対策祈願をおこなったりするしか対策が出来なかったと思われますが、今は違います。国民一人一人が考えないといけないですし、政府は国民以上に考えなければなりません。この4年間、感染症対策をしっかりとせず、ワクチンを打たせようとしたり、コロナ5類へ移行や保険証を廃止しようとするなど訳の分からないことばかりしています。今こそ私たち国民一人一人が現実を見て、ひとつひとつきちんと考えていかなければいけません。これから日本がどこへ向かっていくのか、目を逸らさずに注意して見ていこうと思います。

絵馬っぽい来館者アンケート

参考資料

小絵馬の図像と祈願
パワースポット一覧01
パワースポット02
展示品リスト01
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展示品リスト03
展示品リスト04

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