小説|『棄てて拾って』⑥

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《目次》

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___________ソレは、失望だった。
高校に入ってからひたすらテストで低い点数をとり、課題を出さず過ごしてきた。その結果。最早誰もが僕に期待していない。たっくんでさえも。いや、それさえ……。
それさえ、僕の幻想に過ぎないのかもしれない。いつかケンちゃんが話していた話を思い出す。
「思わず縋ってしまいたくなるような幻想で心の声を覆い隠して、自分を棄てて生きても、」
…………幻想はお前を救ってはくれない。
「……ぁ……そうか。」
ケンちゃんと別れた後の電車の中。ドアに寄りかかりながら、窓に映る街並みを眺める。夕暮れ時に朱く染まった景色が、いつもはキレイだと感じるその景色が、まるで昏くひび割れた僕の心と対比されているようで。より、僕の心を浮き彫りにしていくようで、寒気が走った。
一番近いことばは、虚無感だった。
気づいてしまった。僕が幻想で必死に覆い隠していたモノの正体に。

___________ソレは、失望だった。他ならぬ、自分自身に対しての。

いつからだろうか。
やはり、高校に入ってからな気がする。
僕はもともと、劣等感の強い見栄っ張りだった。自分より"上"と感じる存在に嫉妬し嫌悪し、そして、憧れていた。たっくんと出会ってから、僕はクラスの中心に、たっくんの隣に相応しい"僕"になろうとしていた。その中で、たっくんのようにはいかない自分に苛立ちを感じながらも、成功体験を重ねられたことで、それを意識しすぎることはなかったと思う。
僕は運が良かったのだ。人より多少器量が良かった。そのおかげで、僕は大した努力なしに理想の僕自身という虚像を作り上げ、維持することができていた。だが、それが通用したのは中学までだった。
あるいは、僕はレベルの高い高校に行くべきではなかったのかもしれない。周りはみんな僕より"上"のヤツらばかり。なまじ中学での成功体験がある為自分の能力を過信し、努力はしないのに他の努力している人達に劣っていることを嘆く。そんな矛盾を抱えることになった。
この矛盾が巣食ってから、僕はそれを認識するたびに心を軋ませるようになる。
勉強面では、理想と現実の格差に苦しんでいた僕だが、部活は割と充実していた。もちろん、サッカーの実力ではみんなに劣っていたが、やる気や声などの僕なりに頑張っていたことがある程度評価されていたからだ。実力で負けているのは悔しいけれど、僕は僕なりの価値があると、そう実感できていたからだ。
だがそれも、最初の一年間だけだった。後輩が入ってきて、今までの評価が嘘のように追い抜かれていく。サッカーで埋めることができていた、勉強では感じられなくなった肯定感が、この一年間築き上げたものが、崩れていったのだ。サッカーでさえも僕という存在は誰かの劣化版でしかないのか。そんな問いが頭を巡り、いつしか僕はサッカーにかける情熱を失っていた。
誰かがこう言った。「ちゃんと勉強しろよ。いつまでもこのままで良いと思ってるん?」
…………思ってるワケ、ないだろ!!!!!!
勉強に限った話じゃない。部活だって、一年生に追い抜かされていくことに当然焦りを感じ、自主練をしたり、練習中も必死こいて集中してやった。走りのメニューは得意だったから、頑張ったし。それでも一番にはなれなかったけど。それでも追い越されていくから、辛いんじゃん。僕が一年間頑張ってきて、さらに二年になってからも頑張った結果、お前は一年に劣っていると評価されたから落ち込むんだよ。
部活での自分の価値というのが、その頃から分からなくなった。
もちろん、勉強もこのままで良いと思ったことなんて一度もない。
毎回だ。
予習してない、課題出してない、テストの点が低い。その度に「今度こそは」と思って頑張ろうとしてきた。「どうせやらないじゃん。」と言われて、その事実を的確に突いた一言に膝をつきたくなるのを我慢して「それでも」と。
………やろうと……してきたんだよ……!
何度だって。決して諦めることだけはしないように、と。
何度もだ。

何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!!!!

でも結果的にやってない。いくら頑張ろうという意思を持っていたところで、それが事実。事は単純明快で、結局努力できていない僕が悪い。そんなこと、痛いほど分かってる。だからだ。分かってるからこそ、こんなにも辛くて苦しい。
そして、その折れることだけはしないようにとこの一年間踏ん張ってきた。その結果だった。
僕が一年間頑張り続けた結果、彼から失望された。みんなから失望された。……そう、思ってしまった。
勉強も部活も僕なりになんとかしようと頑張ってきた。それでも、結果は散々だった。だから、思ってしまう。
(また、これを繰り返すのか。)
もう耐えられなかった。たっくんに「お前どうせやんないじゃん。」と言われて、その通りだと思ってしまった。自分でも、どうせやらないのだろうと、そう思ってしまった。
勉強で価値がない。部活でも価値がない。みんなから見ても価値がない。そんな、価値のない僕。
みんなの劣等種である僕は、また明日頑張ると言って頑張らず、一年からポジションを奪い返すと言って抜かれ続ける。そんな人生をこれからもまたずぅっっっと繰り返すのか。
(…………意味がない。)
こんな人生、意味がない。ずっとこんなことの繰り返しで、ずっとこのまま変われないなら、生きていたってしょうがない。
自分の家の最寄駅で電車が停車し、ようやく電車を降りる。
「…………。」
エスカレーターに乗り、改札を通って駅を出ると、太陽はいつの間にか完全に沈み、空は黒く暗暗としていた。



「……ただいま。」
「あ、おかえりー。」
リビングの扉を開けると、中には母さんだけがいた。
少し不思議そうな顔をした僕の胸中を察した母さんは「お父さんは今日残業で会社に泊まるって。」と知りたかったことを教えてくれた。
「ふーん。」
十七年も一緒に暮らしていると、何も言わなくても相手の思っていることが分かってくるものだなぁと薄っぺらい思考の表層で考える。
そうか、もう僕は十七年も生きているのか。長かったようで、短かったような。母さんがこの世に産んでくれて、大変だっただろうけれど懸命にここまで育ててくれて、たくさんの愛情を注いでもらった。
その全てが、今の僕をカタチ創っている。
その純粋で尊い愛を、僕はいつの間にか穢してしまった。カタチ創られた僕は、こんなにも情けない人間に成長しました。ごめんなさい……。
急にこんな僕を母さんの視界に晒しているのが申し訳なくなって、そのまま逃げるように階段を上がり、自分の部屋に篭った。
部屋に着いた僕は、教科書の入ったリュックを投げ捨てると、そのままベッドに飛び乗った。
「……くそ………。」
さっきからずっと頭がぐちゃぐちゃだ。何かあるたびに全てネガティブな、自己否定の方向に流れてしまう。
解放されたかった。この無意味な繰り返しの日々から。
あるいは、

…………死ねば、この苦しみからも解放されるだろうか。

さっきからずっとソレが度々頭に浮かんでくる。いや、さっきからではない。ここのところ、ずっと頭の片隅にあった、その考え。
理想としては、気づかないうちに刀かなんかでスパッと首を刎ねられて死ぬのがベストだ。この苦しみから解放されたいとはいえ、その為に更なる痛みを負いたくはなかった。
自殺も考えた。しかし、思いつくのは首吊りや包丁で自分を刺し殺すなどの方法ばかり。どれも痛そうで苦しそうだ。
「……くそ………。」
停滞している。
現状が変わらないのは、僕の覚悟が足りないのだろう。努力をするにしても、死ぬにしても、それを実行する意思はある。だが、覚悟がないからずっと何もできない。僕の意思は頭の中の領域を出ない。
「……くそぉ………!」
情けなくて、悔しい。
思うのに。思う通りに動いてくれない身体にむしゃくしゃする。
今だって、ベッドで枕に顔をうずめて嘆いている場合じゃないのに。こんなことしていたって、何も変わらないのはよく解っているはずなのに……!
いつまでも、どこまでも僕を追い込んでくる思考の波を振り払うようにして、ぎゅっと目を閉じ、部屋の電気を消して意識を闇に沈めた。



「………。」
目が覚める。
陰鬱な気持ちは未だ心に残り続けているが、眠る前までよりはだいぶ楽になった。
うつ伏せになっていた身体を起こし、勉強机の上にある時計に目を向けると、時刻は午後十一時を回ったところだった。
寝不足だった覚えはないが、昼寝にしては長く眠ってしまったらしい。
きっと晩御飯も、もう冷めている頃だろう。また母さんから小言を言われそうだ。
部屋を出て、階段を降りてリビングの扉を開けると、食卓には既にラッピングされている晩御飯が並べられていた。
最近僕が晩御飯の前に寝てしまうことが多いので、今回も朝まで起きないのだろうと判断したようだ。
扉を開ける音に、一瞬だけこちらを向いた母さんは、何も言わずに再び手元のスマホに目を落とした。
それを尻目に僕も無言でラップを取り、冷めたご飯を食べ始める。
「味噌汁、あっためようか?」
聞かれたので、「いや、いい。」と答えた。
それだけ聞いた母さんは、またスマホに集中し出した。
いつものように小言を言われるかと思ったのだが、杞憂だったらしい。あまり怒っていないようで一安心だ。
しかしそこに、一筋の閃光が降り注ぐ。
(………本当にそうか?)
本当にただ怒っていないだけか?いつもは、晩御飯の時にはちゃんと下に降りてこいと言われるのに、今回は言われなかった。それは一体なんでだと思う?
閃光が照らす、その可能性。
(無駄だと……判断したからじゃないのか?)
コイツにはいくら言っても無駄だと、母さんが判断したから、何も言わなかった。
その、それはつまり……。

________母さんでさえ、僕に失望したってことか?

「っ!!!」
途端に急激な吐き気を催して、えずきガタンと席を立ち、急いでトイレへ向かった。
便器の蓋を開け、いつでも吐ける状態にする。
お腹の上の方には、何かが溜まっている感じがする。いつ吐いてもおかしくなかった。
が、
十分ほど待っても、決定的な吐き気は訪れなかった。
お腹がまだもやもやするが、いつまでも便器の前にしゃがみ込んでいるワケにはいかない。
一旦吐くことを諦めた僕は、のっそりとした動きで立ち上がり、リビングに戻った。
リビングでは、相変わらず母さんがソファに座り、こちらに背を向けてスマホをいじっている。
いつもと変わらないその姿が、今は僕の推測の是非を際立たせているようで自然とお腹に手を当てるが、もう吐き気はしない。
カランカラン。
食卓の自分の席につこうと踏み出した足が、何かを蹴った音がした。
さっき慌てて席を立った時に、落としてしまったのだろうか。蹴られて転がったそれを拾い上げる。それは、エタノールの消毒液だった。
(そういえば最近、父さんが買って来てたっけか。)
父さんは極度の潔癖症なのだ。既に大きめなボトルの消毒液がリビングには常備されているが、どうやらそれだけでは満足いかなかったらしく、最近新しく小型のボトルも買っていた。
どかっと椅子に座った僕に、ようやく母さんが「大丈夫?」と声をかける。
(おせーよ。)
内心そう思いながら、「うん。」となるべく短い言葉で応じた。
会話はそこで終わるかと思われたが、母さんが「あんたさぁ、」と続ける。
「最近ずっと帰ってからすぐ寝て、スマホいじってばっかだけど、勉強は大丈夫なの?テストの結果とか、まだお母さん見てないけど。」
コイツもその話か。さっきもそのことで頭を悩ませられたし、正直その手の話は辟易としていた。
「別に………。」
何も言いたくなかった僕は、適当な言葉を見繕って、その場を誤魔化そうとした。
しかし、日頃あまりそのことに言及しない分、言いたいことが溜まっていたのか、今日の母さんは誤魔化されてくれなかった。
「受験までまだ一年以上あると思って、余裕こいてたら大間違いだからね。一年なんて、あっという間よ。」
「……分かってるって。」
苦し紛れに言葉を返す。が、母さんはそれに被せるようにして詰めてきた。
「分かってないから言ってるんでしょーが。ねぇあんたさー、」

「ホントに大学行く気あるの?」

「………。」
その言葉は、思ったよりも僕の心を貫いた。
将来のこと。未来のこと。別に今までもハッキリと進路を決めていたワケではなかったが、未来には希望と可能性があったはずだ。

心の底から、たっくんの隣に相応しい人になりたい。
__________でも、それは叶わない。

テストで良い点数を取って、クラスのみんなを見返してやりたい。
__________でも、それは叶わない。

部活で一年からポジションを奪い返したい。
__________でも、それは叶わない。

(……あれ。)
僕の望みは何一つ叶わない。なぜなら僕は、それらを叶えるだけの覚悟がないからだ。停滞者だからだ。何一つ彼らに敵わない劣等種だからだ。
僕が頑張ったところでたかが知れていると。その、他者と比べて勝手に作った己の限界に嘆き。
こんなことが繰り返される人生なんて、無意味だと。その、現実を悲観し。
そもそも覚悟のない僕は、何をしようにも何も出来ないと。全てに諦めをつけた。
その先に待っているモノは、絶望とそれに続く一本道。
僕の未来は、死んでいた。
「……大学行くかは、決めてない。」
「大学に行かないんなら、就職だよ。うちは、何もしないニートをのさばらせておく余裕ないから。」
「………。」
黙り込んで、無理やり会話を打ち切った。
幸い、母さんもある程度言うこと言って満足していたのか、これ以上何か言われることはなかった。
「………自殺、しようかなぁ……。」
つい、心の声が漏れた。
しかしそれは、幸か不幸か母さんには届いていなかったようだ。
でも、死ぬのは痛いだろうしなぁと、何か僕を楽に殺してくれるものはないものかと周りを見回す。
するとふと、さっき拾い上げて机に置いたエタノールの消毒液が目に止まった。
(そういえば、エタノールって人殺せるのかなぁ?)
近くにあってお手軽だし、包丁等で刺して痛い思いをする必要がない。
ともかく大量に飲料すれば、何かしら身体に害がありそうだ。
試しにネットで『自殺 エタノール』と検索すると、こころの健康相談統一ダイヤルが検索結果の一番上に出てきた。そのすぐ下にも心のSOSだのと、自殺を防止する為のサイトが出てくる。
それに少し苛立ちながら下にスクロールしていくと、やっと知りたいことが書いてあるサイトを見つけた。
どうやらエタノールは、急性アルコール中毒というものを引き起こし、失明や最悪死に至るとされていた。
致死量は成人で三百ミリリットル。恐らくコップ一杯もあれば足りるだろう。
「………。」
無言で、エタノールの入ったボトルを手に取った。まるでエタノールに魅入られたように見つめ続ける。
知ってしまってからは、それしか考えられなくなっていた。
エタノールで自殺できる。あまりにも身近に簡単な手段があったことに、僕は何を思っていたのだろう。歓喜か、安堵か、それとも焦りか。
「ねぇ母さん。エタノールって、たくさん飲むと死んじゃうんだって。」
最後の、抵抗のつもりだった。それを為したのは微かに残った僕の未練か。
「へー。」
そして、儚い抵抗は打ち砕かれた。
僕の言葉に、母さんはスマホを見たまま、こちらに背を向けたまま答えた。さも興味なさそうに。
「あーホントにやっちゃお。エタノール飲んじゃおっかなー。」
わざわざ声に出す必要はないのに、わざと声を出して母さんの気を引こうとする。
なんで、ずっと背を向けていたんだ。
一度でも振り返ってくれれば、僕は自殺をやめたかも知れないのに。
コップにドポドポとエタノールを注ぐ。
………これを飲めば、僕は死ぬ。
痛みはあるのだろうか。失明も免れないはずだ。……って、何そんなこと考えてるんだ。死んだら失明も何もないじゃないか。
痛みがあるかどうかなんて最早関係ない。これは、覚悟の問題なんだ。停滞者だった僕が今ここで、本当に変われる覚悟があるのか。それを試すんだ。
「ホントに飲んじゃうよ……?」
だからそんな、いつまでも往生際の悪い抵抗は早くやめろ。
「やめなよー。」
そら見たことか、母さんはいかにも興味なさげにこちらに一瞥もくれないまま、白々しく僕を制止した。
(ははっ。どうせオマエも、僕が本当にやるはずがないと。僕には実行するだけの覚悟がないと思っているんだろ。)
それが大間違いだということを、証明してやる…………!!
コップを傾けて口を付ける。あと少しでも傾ければ、エタノールは僕の口腔へと流れ出すだろう。
「ふぅ……。」
くぐもった息を吸って吐く。
………心は決めた。
せめて一思いに飲み干してしまおうと、僕は一気にコップを傾ける。
「っ!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
液体が喉を通ると、焼け付くような痛みが僕を襲った。

………。
脳裏には、思い描いていたはずの僕の未来がチラリとよぎる。
もう、決して叶わない幸福な光景に胸が苦しくなる。
視界の端では、慌てた母さんが青ざめた顔で僕に手を伸ばしてくる。
(………おせーよ。)
何もかも遅い。遅すぎた。

__________今更、死にたくないなんて。

もう遅いんだ。



_______。
________________。
___________________________。
「………。」
そして、僕は目を覚ました。

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