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母のこと

今年で82歳になる母は、数年前から認知症を患って施設で暮らしています。 元教員でとても厳格、そしてとても愛情深い人です。
子どもの頃は、厳しい母にどうしてこんな事も許してくれないんだろう…と腹立たしく思う事も度々でした。子どもだった私には理解できませんでしたが、母の基準は常に「私と弟の安全」だったのだと今ならわかります😌

母の幼少期

母の父、私のじいちゃんは、無類の酒好きで女性好き💦
私が生まれる前に亡くなったばあちゃんは相当な苦労をしたそうです。
じいちゃんが酔って暴れるので母たちは床下やよそ様の家の軒下に身をひそめる日々だったそう…。
沖縄の小さな離島で育った母は、沖縄本島で昼間はタバコ工場で働きながら夜間学校に通い教員免許をとったそうです。「1日も早くばあちゃんを呼び寄せて楽にさせてあげたかった」とよく話してました。
母がばあちゃんを呼び寄せて一緒に暮らすという夢は叶わなかったけど、もう一つの夢、「温かい家庭を築くこと」は叶い、私は両親の愛情にあふれる幸せな家庭に育ちました。

今日の母

母が今の施設に入る頃にコロナがやってきました。面会できない日々が1年以上も続き辛かった…🥲
今は、やっと制限がなくなり時間を見つけては母を尋ねています。
母は、ほとんど話す事ができません。「だーれだ?😊」と私が話しかけると口元が私の名前に形に動きます。手を握りながら父の話、私の家族の話、弟家族の話をするのですが、目を見開いて私の顔をじっとみています。
今日は、私の手を口元に持っていき、指を軽くくわえて「娘」を確認する仕草をしました🥲
1時間ほど一緒に過ごして私が帰る時、「母ちゃん、また来るからね!ご飯をしっかり食べて風邪ひかないようにね」と言う私に、母の口元が仕切りに動いています。
「ん?何?母ちゃん!もうちょっとだよ!頑張って‼︎」と口元に耳を寄せると、小さな小さな声で「ムリしないで…」と母の声。

母を施設に預けている申し訳なさ。
頻繁に会いに行けない申し訳なさ。
たくさんの愛情を注いで育ててくれたのに親孝行できていないと感じてしまう私を認知症になっても忘れず、気遣ってくれる…。親とはなんてありがたい存在なのだろう。

母の愛、親の愛情の深さがありがたくて涙の止まらない帰路でした。

私は幸せです。
私の職場には私のような幼少期を過ごせていない子どもたちがたくさんいます。笑顔の下にはどんな思いをしまっているのだろう…。
話を聞いて、認めて、抱きしめてくれる存在をみんな必要としています。

私には大した事はできません。
ただ、話を聞いて、認めて、笑って、
励ます事はできます。
これは、教員だった母がいつも言ってた事。明日からまた笑って頑張ろう‼︎ 私にできる事をやるしかない‼︎

長いお話にお付き合いくださってありがとうございます🙏

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