人の「魅力」とは何かについて分析してみた

高校生ぐらいから「魅力」とは何か?ということをいろんな方面から考えるようになった。

最初のきっかけは、高2の時に特別に魅力的な演奏をする(と私が思う)ピアニストをYouTubeで発見し(私より17歳上の男性だ)、その人のことをひたすら研究し始めた。人生初の推しだ。それまでは人に興味を持つということがなかったのだ。

高2~大学1年まで、そのピアニストの演奏するすべての音源を聞いて、他のピアニストの演奏と比較した。その人の論文やインタビュー等を読みあさり、考え方や生き方を知り、演奏以外の服装や歩き方、snsなど何から何まで調べた。まるで探偵のようだ…
インタビューも論文も英語だったから、読解力がついて英語の試験が楽に感じた。

その人のどこが他のピアニストの演奏と圧倒的に違い、魅力的なのか?については、大学1年のころに私なりの答えが出た。

「推し」を観察することで、どういう演奏を自分が求めてるのかを知れたし、人の良いところを突き詰めて分析していくと、欠点や弱点も自ずと見えてくるもので、勉強にもなった。そして、だんだんと欠点ばかりに目がいくようになり、そこでフェードアウト。

これだけ熱心に推してたわりにそのピアニストが来日したときには、悩みに悩んだ挙げ句行かなかったし(場所が遠かったため)、emailも公開されているというのにわざわざお気に入りの便箋に英語で長文ファンレターを書いたものの結局は恥ずかしくなってお蔵入りし、YouTubeにすらコメントしたこともない。陰ながらひたすら分析するだけ。そういう人なんだ私は。

これが私のINTP的オタク気質の始まりで、いろんなことについて分析して持論を導き出す癖がついた。

そして次に興味をもったのは、女性としての魅力について。

20歳のころだっただろうか?
魅力的な大人の女性を目指すべく、身近な女性たちを分析し始めた。

魅力といっても容姿から内面的なものまでいろんな魅力があるが、ぱっと惹き付けられる魅力について探求した。

が、自分が女だと女の魅力というのはわからないものだ…

その頃にたまたま素敵な中年男性の先生と授業で出会った。なんでおじさんなのにこんなに魅力があるのだろう?と。私っておかしいなと。

私が勝手にテーマにしてきた「魅力」「オーラ」「色気」の3拍子揃った人物で、それでいて、年はとっていた。年相応の魅力があって威厳があり、父性を感じた。

途中から授業の助手(伴奏)を頼まれたので、数年間そばで観察することができた。人生2人目の推し?というか、尊敬する人だ。

今思えば実力や名声によるフィルターで魅力が割増された部分もあったけれども、
年齢を重ねるごとに経験値は増えるし、その歳だからこその魅力はある。人としての普遍的な魅力とは何か?考えるきっかけになった。

この人に関しても知れば知るほど、関われば関わるほどだんだん嫌な面ばかり目につくようになり、最終的には少々うんざりしていた。

好きになることって、その人のことを知っていくことだから、突き詰めていくと嫌いになることに繋がる。私は人と深い関係を継続することに向いてないんだろうなーって再認識した。

相手が目上であってもこうだから、対等な相手だと尚更で関係を継続するってのが難しい。だから私は他人と距離を置いて付き合いたいんだと思う。

私が魅力を感じる人たちを分析していった結果、大人の女性としての将来像を見つけるという当初の目的から逸れてしまったが、これまで何年も考えてきたことをここにまとめてみる。

独断と偏見による乱文アウトプットのため、それでも良ければお付き合い頂けたら幸いだ…



1.色気について


非常にくだらないが、一時期は「色気」の正体について真剣に分析してた。


私の感じる色気とは一体どこから?


そこで、
①容姿端麗な人②男性的な魅力を感じる人③フェロモンをプンプンさせてるイヤらしい人④母性をくすぐる魅力のある人⑤父性的な魅力のある人⑥清潔感があり、洗練された人

それぞれに振り分けた。対象となる男性は、私個人的にぱっとそう感じる人や世間一般的にそう評価されてる人など。

気づいたことは、

・家庭環境が複雑な人や親からの愛情に飢えてる子供は若いうちに年齢のわりに大人びて、色気がある傾向にある。苦労してるからか?

例)子役や俳優は家庭環境が複雑な場合が多       い。     
     兄弟構成なら3人以上兄弟の真ん中っ子は     色気がありやすいと感じる。特に同性兄弟       の場合。

30代以降の色気に関しては育った家庭環境とは関係ない。本人自身の生き様によるもの。

・容姿端麗だからといって必ずしも色気が伴うわけではない。容姿は普通でもなぜか色気の漂う人はいる。

・自己演出によって生じるもの?女性への関心やモテたい心理が色気を生む?

・若い頃容姿端麗な人全てが紳士になれるわけではない。顔立ちが容姿端麗でも、父性に欠けていつまでも「男」であることにこだわり続けると、中年期には「ギラギラしたおじさん」or「イヤらしいおじさん」になる。
ギラギラした→それもまた色気の一種ではあるかもしれないが。そういうのを好む人もいるだろうし…

・素敵な声は容姿を補完し、色気として醸し出る。

・着てるものは全く関係ない。同じものを着ても人によって色気の有無は分かれる。となると、色気は内面から醸し出るものか?

・身のこなしの美しさや落ち着きは大事かも。バタバタした人と色気は無縁。

・洗練とエレガンスは色気に繋がる。

・情勢が安全だと優男が、危険だとワイルドな男性がモテる傾向にあるらしい。日本は優男が、アメリカはマッチョな男性、イギリスは細身の優男系がモテるらしい、一般的には。
でも、アメリカ人女性はイギリス人男性に憧れがあり、イギリス英語をセクシーに感じるらしい。

・個人的には男女問わずフランス語に色気を感じる。

・ミロのヴィーナスは欠けているからこそ魅力があるといわれる。バロックの語源は歪んだ真珠。精巧さ完璧さよりも、歪みや欠点に人は色気を見出だすのかもしれない。ゆえに、隙のある人は色気があるのかも?(特に女性の場合)


・ピアノの演奏において、同じ曲でも弾く人によって、「色っぽさを感じる」「イヤらしい(陳腐)」「無味無臭」などの印象を受けることがある。どこからそう感じるのか原因を突き止めるのは難しい。演奏者本人の見た目とは関係ないが、内面とは関係あるだろう。

中学生男子で柄にもなく、色っぽくて大人びた演奏をする子がいた。本人に色気があるかはまた別の問題だが、そういう風に演奏できるというのは、その子の内面はかなり成熟していたんだろう。ちなみに、すごく技術があったわけではない。逆に、技術的には完璧なのに、色気も素っ気もない演奏もある。不思議なものだ。

・ルノワールの描く女性たちには女性らしさという意味での色気があるが、ドガの描く女性たちには色気を感じない、つまり人間味がない、よくいえば写実的で客観的。
画家が被写体に色気や愛情を感じているかどうかが作品に反映されているのでは?

・一見無駄なもの、余白的なものを愛せる余裕やゆとりが色気につながるのでは?
実用的なだけでは色気がない。



まとめ
どこまで突き詰めようと、色気の正体なんてなんの根拠もない私の主観だ。何に色気を見出だすかなんて人それぞれ。色気があるよねーってみんなに言われてる人物がいて、私もそれに納得したからといって、その色気が私の好みであるかはまた別。

個人的には、年齢関係なく、清潔感があって知性と教養がある人、傲慢じゃない人に魅力を感じる。



2.オーラについて


これも興味をもって分析していた。だって、明らかにオーラがあってどこにいても目立つ人っているから。

オーラはいかにして宿るのかの分析。

・自信があると動作が堂々とするから、オーラが出て見えるのかも。

・風変わりな人で異様に人目を引くタイプもいる。不思議オーラ全開の人。
オーラがある=素敵とは違う。

・容姿の良し悪しとオーラは関係ない。地味だけど、よく見るとすごい美人な人もいる。(雰囲気美人と逆のタイプ。)

・メイクと服装をばっちり決めて、自信があり、注目されたい気分になるとオーラが高まる。
逆に、いつもはオーラがあってきれいな人でも、リラックスしてラフな格好をしていたり、体調が悪かったりすると誰だかわからないほどくすんで見えることがある。
気を張ってるのがオーラとなって表れてるのかも。
よって、人前に出てる人、人に見られる仕事をしてる人はオーラが出やすい。となると、本人の意識の問題か?

・「太ってる」など人と違う容姿の人はオーラが出て見えると昔tvで言ってた。
以前駅中で見かけた、長身長(2mぐらい?)+超小顔の男性(日本人)もすごい異彩を放っていた。
人と違う容姿→ヒョウ柄の服や派手な柄物の服の人は人目を引くし、オーラの演出に効果的かもしれない。


・パーソナルカラーにばっちりはまった色で似合った服を身にまとうと、ぐっと華やかにその人の魅力が増し増しになることがある。逆に色が合わないとオーラがくすんで魅力が半減する。ウィンタータイプの人が真っ黒や派手な柄物を着たときの圧倒的な存在感といったら…


・人だけでなく、絵にもオーラのある絵ってある。美術館で遠目からでも一際輝いて見える絵ってある。そこの周りの空間だけ神聖な感じがする。絵の大きさは関係ない。

展覧会の目玉の絵は、みんなが注目して群がるから、観客の圧や鼻息、独特な空気感がオーラの一因となってるのか?とも思ったが、常設展の絵でもオーラのある絵ってあるから、観客の圧は関係ない。

ルノワールのピアノに寄る少女たち、ムーランドラギャレット、昔観たラファエロの絵は絵そのものが輝いてたのはもちろん、そこの空間にまでふわーっと暖かさが漂っていた。

パーソナルカラーの話にもつながるが、配色の問題は大きいのかもしれない。良い絵は配色が上手くて、人目を惹く(雑な言い方)ということなのかもしれない。

画家の念、時代を越え多くの人に愛されてきた念がその絵のオーラになってるのかもしれないし、これはちょっと実態がない話で、分析しようがないので置いておく。

・好きなものにはオーラを感じる説。好きな人のことは人混みの中でも見つけられるらしい。
だから、無意識的に好意的にとらえてるものに対してオーラを感じてる可能性もある。


まとめ
前述した例のオーラのある先生が、生徒に「オーラを出して立ちなさい!」とか「色気を出して」って口うるさく指導していた。その人は意識してオーラを出してるらしい。となると、オーラはどうやら自分で出すものらしい。この人はおしゃれで、着るものが大事とこだわっていた。ちなみに、太っていた。

これを機に納得する結論が出たので、オーラについて考えるのはもう辞めた。

ちなみに、色気に関しては意識して出せるものではないと私は感じる。生まれ持ったもの、もしくは生き様によって生まれるもの。


3.父性について

・小学生のころはスネイプ先生(アラン・リックマン)
・大学時代は歌の先生
・20代半ばはマッツ・ミケルセン
に惹かれた。

関わったことがあるのは大学の先生だけだが、なんとなく類似性を感じる3人。共通点は…わからないが、目に見える共通点としては、3人とも年相応の伴侶と長年連れ添い離婚していないことだろうか。あと、仕事で悪役の印象が強いこと。

枯れ専という言葉には否定的だ。双方に対して失礼な言葉だ。枯れてると思わないから好きなわけだし、その年齢だからいいのではなく、その人だからいいんだ。

尊敬であったり、畏敬の念であったり。自分が恋愛対象にならないことへの安心感だったり。というのはつまり、父性を感じているんだと思う。

父性とはいかにして宿るのか?

・子供がいるからといって必ずしも父性が醸し出るわけではない。父性の有無に子供の有無や人数は関係ない。そもそも父性のある人の方がレアだ。

・元々の容姿が端麗でも、ただのおじさんになる人もいる。若作りして若い人にモテようとしていると、中年期以降ギラギラした胡散臭いおじさんになる。
年齢に抗わず、年齢相応の装いをして、年齢相応の責任を果たしている人に父性は宿るのでは?

男女ともに若い頃は容姿や若さで内面の不足をカバーできたとしても、年を取るほどに性格が表情に滲み出るし、生き様が顔をつくる。性格を誤魔化せなくなる。




まとめ
父性なんて、私の主観的な思い込みに過ぎない。たぶん幻想だ。その人の中に存在してるかどうかではなく、こうあってほしいという私の願望の押し付け。尊敬していて父性を感じた人に裏切られることもある。
そもそも、女性の母性は生まれつきの本能といえるものらしいが、男性の父性は子供を育てるうちに後天的に芽生えるものらしい。血縁の父親でさえそうなのに、他人の男性に父性など期待できるはずもない。

ただ、いえることとしては、
父性尊敬できて、信頼できる、絶対的な存在、これを私が求めていてるということ。

ちなみに、私自身は母性がうすいと感じる。異性と対等な関係を築いて恋愛し、子供を産み育てることではなく、男性に父性を求めていて、私が子供のように守られることを求めてるのかもしれない。


後記

一方的に他人を分析するだけで、自分自身の参考にはあまりならない結果に終わった。

こんなことを考えて持論を出したところで、なんの生産性もないのに、何年もダラダラ考え続けてたなんて、私は変人だ。

INTPのNe外向的直感をTi主観的思考で突き詰めるとは、このことだろう。そして、時として思考が思わぬ方へ飛躍する。

結局のところ、私自身は自分の世界観をまとったミステリアスな女性になりたい。

少々恥ずかしいのでこの記事はそのうち消すかもしれない。



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