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#シロクマ文芸部[夏は夜]東京大停電の夜

夏は夜がいい 月の頃は更に良いと枕草子には書かれている
202x年現代 清少納言の書いた一節をこの大都会東京で経験した
東京丸の内の高層ビルの8階に七生の勤めているオフィスがある
午後四時頃であろうか 全国の支店から上がってくる金額を集約しパソコンの画面に入力していると 窓の外には積乱雲の塊がモクモクと湧き上がってきていた 七生は窓の方に目をやったがすぐにパソコンに集中した
その間に雲は益々勢いを増し東京中を黒い雲で覆ってしまった
巨大円盤が舞い降りてきて地球征服を企んでいるかのような厚い雲の塊から稲妻が轟いた
ドカァーン!
「キァーァ!」社員の悲鳴が聞こえた
皆は窓の方を一斉に見入った
ゴゴゴォー、ゴロゴロッ、不気味な音が鳴り出したかと思えばいきなりの稲妻 ピカッ!ドカァーン!
その度に七生は身をちぢめた
すると今度は大粒の雨がぱらぱらと落ちてきてやがてバケツをひっくり返し
たような雨が降り出した。 辺りは一気に夜に様変わりして 大量の雨を地面に叩きつづけた 時間の経過と共に
 皆の顔から不安な様子が計りとれた。
すると突然パソコンの画面が消えて
天井の照明も消えた
「停電……」
誰かが発した言葉に動揺がはしった
それぞれのスマートホォンを取りだし
状況を確認し始めた
「地下鉄……止まってるって」
202x年 東京大停電の夏の夜の始まり
今日の業務は終わりと突然言われ
七生達は 暗がりの中 ロッカー室へと群がった 誰一人として他人の事など考える余裕もなく自分のことで精一杯であった
七生はパンプスからシューズに履き替えセカンドバックをナップザックに詰め込んだ
七生はどうしても帰らなければならなかった 部屋には猫のミィがまっている きっと不安に怯えて入るに違いない シューズの紐をきつく縛り直し
ビルの外に出てみると 地下鉄につながる階段には滝のように水が流れ込み
マンホールからは納まりきれない水が吹き上がっていた
タクシー待ちの長い列、バス停で佇んでいる小学生 それらは同じようにスマホの画面を凝視していた
仕方ない歩こう 自宅マンションまで10キロ  帰れない距離ではない
七生は意を決して歩き始めた 
時折車道を路線バスが行き過ぎる車内はどれも満杯でつり革に揺られながら皆一様に疲れた表情をしていた 七生は東京の大学を出そのまま就職した
東京の中心部にオフィスが有り地下鉄で3駅のマンション 東京の夜景が観られる瀟洒な住まい 総て電子制御され 七生の一声でエアコンは付き帰れば バスタブにはお湯が張ってある 
冷蔵庫から白ワインを取りだし デパ地下から送られてきたカプレーゼをつまみに アマゾンプライムからの映画を観る予定だった だが 叩きつけられた現実は
なすすべも無く うなだれて自分の足元を見詰めとぼとぼと歩いている
薄明かりのコンビニでドリンクを買い
歩くこと三時間 やっと見慣れた路地に辿り着く 七生は得体の知れない何か大きな暴力に東京は はまってしまったのだと思った
意外と脆い…… 七生は小さく呟いた
自宅マンションになんとか辿り着いた
黒い物体化したビルのロビーで管理人が待ち構えていた
「済みません 非常階段をお使いください 電源が戻り次第総てが動きます
問題ありません」
そう七生に告げ 懐中電灯を顔にあてた
七生は深く深呼吸をし 大丈夫あと少しと自分に言い聞かせ 足を速めながら6階へと登っていった
部屋の鍵を開け 静かに呼んだ
「ミィー 大丈夫なの ミィー」
暫くして弱々しい鳴き声がした
「あぁ、寂しかったね 怖かったね」
七生はミィを抱き寄せ 汗まみれの洋服を脱ぎ捨て そのままソファーに倒れ込んだ
暫く眠ったのだろう 息苦しさを覚え 窓を開けると そこには大きな満月が煌々と照り輝いていた
星も瞬いている 

こんな東京 初めて…… 綺麗だ……
七生は夏の夜の心地よい風に当たりながら 月を眺めていた
眼下には少し灯りがぽつりぽつりと灯り始めている
停電も明日には何もなかったかのように 復旧するだろう
「東京にも こんな月と星があったこと 一体どれ程の人が見上げただろうか…」
何もかも手に入れたと勘違いしていた
私は勝ち組だと 東京に踏みとどまって生活出来ているという傲りもあった
だが 壊れるのは簡単 みんな分かっているの薄々 毎日がサーカスの綱渡りをしていることを……
冷蔵庫がウゥーンと復活の音がした
電源が戻った音が聞こえる
七生は 電気をつけないでいた
夏の夜の星の瞬きと総てを包み込むような大きな月 
清少納言の愛した今日の夏の夜のことを忘れないために










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