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【読書】戦禍の世界で、紡いで繋いでいく想いを描く。「神さまの貨物」

ジャン=クロード・グランベール 河野万里子訳「神さまの貨物」(ポプラ社)表紙から

2023年12月中頃から年末にかけて読んだ本、「神さまの貨物」。
久しぶりに心揺さぶられる物語に出会えた。
※以下、ネタバレを含みます。ご注意ください。

舞台はナチスドイツ(物語では「くすんだ緑の制服の連中」)が支配する世界。ユダヤ系の人々は愛する祖国を追われ、場所を転々とし、ついにはどこへいくともわからない、人々を遠く、遠くへと連れていく無言の列車に乗せられてしまう。動物も、人も、命も、みな遠くへと連れて行かれてしまう。

そんな列車をいつも祈るように見つめた一人の婦人。
貧しい木こりの婦人。彼女はいつも願って、祈っていた。
私に赤ちゃんを授けてください、と。けれども、彼女の願いはなかなか聞き入れてもらえない。それでも彼女はまっすぐに祈り続ける、神様に、自然に、植物に、そしていつも通り過ぎていく列車に。

列車は運ぶ、人を、命を。
わけもなく、何も告げず、理不尽なまでに淡々と。
どこに向かっているかはわからない。けれども、終点はおそらく絶望の果て。それだけは乗っている命、みんながわかっていた。
この列車にはある家族も乗っていた。医学を志した青年と、その妻。そして生まれたばかりの双子の男女の赤ん坊。

愛おしい。けれども、やるせない。
どうしてこんなことになっているのだろう。
家族一緒で幸せのはずなのに、どこへ向かっているのかわからない。これから先、どうなるのかもわからない。どこか心が冷え冷えとする。なぜなのだろう、いったい何がいけなかったというのだろう。
限界を迎えつつある青年の思考は、どんどんと死という途方もない現実をまざまざと鮮やかに描き出していく。

疲れ切ったある時、青年は妻の胸に抱かれた二人の赤ん坊を見る。
お乳も枯れて出ないのに、お腹を空かせて懸命に妻の乳房に食らいつく生命力という光で満ち溢れた二人の愛する双子を。
こんなにも愛おしい存在を手放すことは忍びない。けれども、こんなにも愛おしい存在を諦めることは…。

青年は瞬時に決心する。
妻の胸ですやすやと眠る双子の我が子を見つめる。
妻は仁王立ちして見つめる夫を、そっと見上げる。
言葉は交わされない。何も音になってはいない。
青年は、どちらかなんて気に求めず、片方の赤ん坊を妻から自分の腕へともぎ取り、急いで列車の窓のそばへ駆け寄る。ほんの少しだけできた隙間に、懸命に腕を伸ばす。我が子の頭が外に出た。我が子の体が外に出た。
妻がこの子を包んでいた黄金色のショールを風にたなびく。

本当にこれが正解なのか。
その時の青年にはわからない。けれども一粒でも希望があるのであれば。
それだけを胸に青年は雪の積もる寒空の下に愛する双子の片割れを放り投げた。向こうに手を振る誰かに向かって、懸命に放り投げた。「受け取っておくれ」と。

この瞬間、文字を追うごとに、臨場感を持ってその光景が脳裏に映し出される。緊迫している青年と妻との音のない視線の交差。寒い北風がゴウッと音を立てて青年の髪を強く打つ刹那。極限まで追い詰められた思考。良心の呵責と一重の希望のせめぎ合い。寒空の雪の上に赤ん坊を放り投げる。この子が生き残る可能性があるのかないのか。そんなことわかりっこない。けれども今は、これが自分にできる精一杯の選択。読んでいて胸が締め付けられた。

雪の上に放り出された赤ん坊を受け取ったのは、あの信心深い木こりの婦人。婦人の願いはようやく聞き入れられたのだ。喜んでその贈り物を胸に抱いて婦人は雪の中をかけていく。私の大切な贈り物。私の大切な贈り物。
しかし、貧しい木こりの家に赤ん坊を育てる余裕なんてものはものは塵ひとつとしても残っていなかった。自分たちの食べるものもままならないのに、どうしてこんな弱くて手のかかって迷惑な存在を家で育てないといけないのか。当然と婦人の夫、貧しい木こりは怒り出す。けれども婦人は心折れない。この贈り物を手放すなんて、絶対に有り得ない。押し問答に喧嘩に言い合いに、散々尽くしたある日、木こりは気がついてしまう。赤ん坊の純真無垢な姿をまじまじと見つめ思ってしまう。「こんな愛おしい贈り物があっただろうかと。」認めたくはない。けれども気がついてしまった。自分にとってもこの贈り物は、手放せない大切な存在なのだと。生きる希望を与えてくれるのだと。恥ずかしさを隠すため、大声をあげてそんなものと言い残し、木こりはその場から姿をくらますが、翌日からはもう喧嘩をすることもなく、木こりもこの大切な贈り物を育てていく。

列車に残った青年は、家族の中で奇跡的に一人生き残った。
あれで本当に良かったのか、あれは正解だったのか。
答えなんて出ぬまま、収容所でバリカンを持って人の髪を刈り取る仕事を与えられて、来る日も来る日も髪を切り落とす。自分の仕事は医学にあらず、理髪師にあるのだろうか。家族も夢も失った彼に、何が残っているのだろう。けれども彼は懸命に生きようともがく。

かつての双子の父は、死にたいと願った。だが心の奥のどこかで、野生の力強い種から、小さな芽が出ていた。そして、これまで見たり被ったりしたあらゆる残虐行為にも負けず、どんどん伸びて、「生きろ。とにかく生き残れ」と彼に命じた。生き残れ-この希望の小さな芽はたくましく、何があっても枯れなかったが、彼はそれを心にとめることができなかった。むしろ、きびしすぎる現実を前に、その小さな芽を鼻先で笑ったり、逆に悲しみの大波で水びたしにしたりした。

それでも、芽は伸びつづけた。悲惨な現在も、過去も、信じがたいできごとの記憶も、ものともせずに、駅とも言えぬ駅のホームで、あのおぞましい列車から降ろされたとき、愛する妻はもう彼を見もせず、ひとことも発しなかったこと。永遠の別れの前に、残った双子の一人を、ほんの1秒胸に抱くことさえできなかったこと。それらを思って、彼はいまも泣く。目に涙の余裕があれば。

ジャン=クロード・グランベール 河野万里子訳「神さまの貨物」(ポプラ社)p.94-95より引用

絶望と気力がひしめき合う青年の心情。
胸が熱くなる。戦争の、人が人を蔑ろにする有様の悍ましさとやるせなさをひしひしと感じるのだ。

青年の苦悩の裏腹に、木こりの男とその婦人が受け取った小さな贈り物は、スクスクと育っていく。近頃は自分で立ち上がることもできるようになったし、パパと言葉も発するようになった。嬉しい、幸せの限り。貧しくても、心は温かい。

しかし、そんな小さな幸せも、戦争という名の死神は見逃しはしないのだ。
とうとう二人のところに「神殺しをした赤ん坊を差し出せ」と死神がやってくる。必死の抵抗と狂気を見せて死神に向かっていく木こり。「逃げろ」と婦人に言って、婦人と赤ん坊を逃す。死神の刃は、木こりの命を赤く染めて、簡単に奪っていった。

婦人は贈り物を抱えて、必死に走る。
後ろは振り返ってはいけない。あの人の最後を見届けられないなんて。
苦しい、苦しい。けれども、走ることを止めてはいけない。
走ることを止めることは、命の燈を吹き消すことになるから。
婦人と贈り物は逃げる。そして、以前お乳を上げることのできない婦人がヤギのミルクを分けて欲しいと頼み、世話になった顔の潰れた男のところに駆け込む。強面だし、言葉は荒っぽいこの男。けれども、心根は優しいこの男は、婦人と贈り物を匿ってくれた。一緒に過ごすことを許してくれた。

けれども、この平安も長くは続かない。
死神はどこまでも追ってくるのだ。顔の潰れた男の命も例外ではない。
ついには、婦人と贈り物、そして顔の潰れた男の飼っていたヤギだけが残った。二人と1匹。街に向かって生活を立て直そう。そう行動を始める。
そして、戦争は「赤い星の軍隊」によって幕を閉じた。

戦争が終わる直前
あの双子の父親であった青年は、もう髪を切ってはいなかった。
その代わりに、毎日毎日、地面に穴を掘っていた。これは、人を埋めるための穴。人の命を隠蔽するための穴。わかっていても、止めることは許されない。この穴は誰かの穴になる。そしていつかは、自分の穴になる。
もう希望なんてどこにも残ってはいない。あるのは定められた運命という時間だけ。

がんばれ、がんばれ、そうすれば、もうじき助かるんだ。だが彼もまた、もう消えてしまいたかった。けりをつけてしまいたかった。昼も夜も、彼はうわ言を言いつづけた。雪を踏みしめながら、穴を掘りながら、うわ言を言い、思い出していた。いや、思い出すどころではなかった。とりかえしのつかない瞬間を、まざまざともう一度生きてしまっていた。妻の腕から、双子の一人をもぎ取ったあの瞬間を。列車から雪のなかへ、投げたあの瞬間を。たえず、ふたたび生きてしまっていたのだ。この雪のなかへ、いま踏みしめながら、とうとう自分自身が焼かれる穴を掘っているこの同じ雪のなかへ、赤ん坊を投げたのだ。なぜ、なぜそんなとりかえしのつかないことをしたのか。正気ではないようなことをしたのか。なぜ妻と子どもたちと、最後まで、この世の旅路の果てまで、いっしょに行かなかったのか。ともに、4人そろって、天に昇っていけばよかったではないか。濃く黒い煙になって、渦を巻きながら。とつぜん、彼はぐったり倒れた。 p.118-119

ジャン=クロード・グランベール 河野万里子訳「神さまの貨物」(ポプラ社)p.118-119より引用

正解だったのだろうか、あの時の決断は。
判別なんて出来ないのに。後悔だけが色濃く残っている。長年の苦労と疲労から、とうとう青年は倒れる。次に目が覚めた時…。

戦争は終わった。
生き残った青年。救われた命たち。
そして、婦人と贈り物、ヤギも生き残った。

戦争は終わった。けれども。
絶望はなかったことになりはしない。
希望がなかったことになりはしない。

また再び、会えるのならば。
そんな夢を見ることは、罪になったりしないだろう。

この物語は、フィクションであるが、どこかで起こった出来事でもあるノンフィクションである。実際に、筆者は最後に覚書として自分の家族に起こった戦争時の出来事を書き留めている。どこかで誰かが愛を育み、奪われ、傷つき、絶望し、そして希望の一歩を踏み出したのだ。これは変わらないこと、変われないこと。

筆者が最後にこんな言葉で締めくくっていた。
この考えを、この世界を生きるすべての人に届けられたのならば。
世界は、地球は平和で良いところになる。

ただ一つ存在に値するもの、実際の人生でも物語のなかでも、ほんとうにあってほしいもの、それは愛だ。愛、子どもたちにそそがれる愛。自分の子にも、他人の子にも。たとえどんなことがあっても、どんなことがなくても、その愛があればこそ、人間は、生きてゆける。 p.148-149

ジャン=クロード・グランベール河野万里子訳「神さまの貨物」(ポプラ社)p.148-149より引用

自然災害。戦争。
奪い合い、貶し合い、蔑み合う瞬間が地球のどこかで起こっている。

けれども。この物語を読んで思ったことは。
そんな中でもすべての人に、平和と愛が降り注がれることを祈って。
ぜひこの物語の目撃者になってほしい。少しでも多くの人にこの物語が届けばいいなと心から願う。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
Bless you :)

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