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暴走老人と思われる方との立ち話

週に3,4回ランニングをしているコースがある。その途中に数本の木が植わっていてベンチとトイレと水飲み場が備えられている休憩所がある。公園と呼べる規模ではない。中学校の隣の小さな休憩所だ。

そこに天気の良い平日の10時過ぎにほぼ毎日いるお年寄りがいる。とても声が大きく一方的に話している。そして休憩所の前の遊歩道を通る人に「こんにちは!」とほぼ必ず声をかける。若い未婚の女性とかちょっと恐怖を感じるのではないだろうか?と感じるくらいの大きな声で挨拶をしている。

私は横を走って抜けていくので、軽く「こんにちは」と数回返しただけである。でもたった数秒の間でも「岸田はダメだ」とか「このままじゃ中国に侵略されるぞ」とか話しているのを確認している。

先日、ちょっと暑かったのでそこの水飲み場で水を飲んでいた。そのお年寄りはいなかった。さて再び走り始めようとすると、ちょうどそのお年寄りが歩いてきた。ただ私と彼の間に一人、別のお年寄りがいた。彼はそちらのお年寄りに近づいて「こんにちは!」といつものように大声で挨拶をする。
挨拶された側のお年寄りは色が白く気弱な方に見えた。軽く右の手を挙げて目を合わしたようだった。そうしたら機関銃のように挨拶をしたお年寄りがまくし立てた。
「挨拶くらい腹からしっかり声を出しましょうよ!年齢を重ねたからってそういう所が億劫になってはダメです。賢くなっても意味がないんですよ、挨拶一つできないのならば!残念だなあ。今度会ったときはお互いに大きな声で笑顔で挨拶しましょうね!」

そして私の方に歩み寄ってきた。一部始終を見ているので意を決してこちらから挨拶をした。「こんにちは!」すると満面の笑みで「こんにちは!」と。「いい天気だ。体を動かしていて素晴らしい。子どもはいるのか?」などを矢継ぎ早に聞かれた。
「中学生と小学生の子が」と返すと「何で中学校という名前なのか分かるか?」とクイズを出してきた。ちょっとここは機転を利かして冗談を言ってみた。「チューしたくてたまらないお年頃だからじゃないですかね?」と。そうしたら地の底から湧くような大笑いを始めた。「若者!お前はなかなか面白い奴じゃ!」そう言って横を通る老婆に説明し始めた。

「ワシは、中学は『先生や親のことを半分だけ聞く時期だから』と思っちょる。子どもよりも大人の方が長く生きている分、大抵が正しい。でもそれに疑問を持ったり越えていって新たな正解を見つけたりする時期だと思うんじゃ。その塩梅が難しいのぉ」

「素晴らしい意見ですね。勉強になります!」

「そうか若者よ、ありがとう。ワシはもっと多くの人が学校が好きになってくれると嬉しいんじゃが。最近は自発的にいかない子も多いんだろう?」

「不登校ですね」

「嫌いなものをな、好きになる必要はないんじゃけども。知らないことを知れるだろ。同世代の地域の友人ができるじゃろ。家ではできん大きなこともできる。ただな、ワシが学校をできるだけ多くの人に好きになってもらいたい1番の理由は他にある」

「教えていただけますか?」

「それはな。嫌いになってしまうと、一生学校に取りつかれた人生になってしまう人間が多いからじゃ。生きていて何かうまくいかなかった時に『学校生活が平穏に達成できていたら』とか『あの挫折がなければ』と学校の責任にしてしまう。何やら新聞の投書欄とか見ると70代の人間が『いじめでうまくいかなくなった』と人生を悔いとる。それは分かるんじゃけどな、学校が嫌いだったら学校から脱却した考えを持たなあかんのよ。結婚に失敗した人間がいつまでもメソメソその失敗を語るのも同じじゃ。でもなぜか学校はその要素が強い。そして余計な猜疑心があるからまた子どもも学校を嫌いになってしまう。おかしなクレームを入れて関係を悪化させてしまう。嫌いなのに攻撃してしまうんだよな。分かるんじゃけどそれでは戦争の連鎖と同じだな」

「なるほど、それは分かる気がします」
塾講師ということは伏せておいた。何やら会話がドツボにハマりそうだからだ。

「好きな作家はいるか?」

「好きかどうかは分かりませんけど、司馬遼太郎はたくさん読みました。花神、坂の上の雲、燃えよ剣、おーい竜馬」

「お前は見どころのある奴じゃ。キスの話もできるし司馬遼太郎も語れるのか」

彼はカバンの中から芥川全集を出した。結局ここに戻ってくるのよ。芥川賞ってやっぱり名前になるのが納得だわ。ワシはここ最近芥川龍之介ばかり読んでおる」

すこしだけ蜘蛛の糸の話をしてまた盛り上がった。
「また語ろう!若者!今度は政治の話をしたいな!」

勘弁であるw
まあ聞く側に回るとするか。
なかなかに面白い暴走老人との立ちトークであった。



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