見出し画像

自由を標榜する教育評論家が現実ではポンコツになる件

少し先に書こうと考えていたテーマだが前倒しすることにした。
この10年で学校の校則は緩くなった。例えば夏服と冬服の期間云々は撤廃されている学校がほとんどで、中学などは夏服、冬服、ジャージ、半袖の体操服の生徒が混じりあって登校する姿をよく見る。学習道具も「置き勉」が基本となり、何か塾に学校の教材を持ってくるように伝えても、ずっと学校に置いているために難しくなった。

まあ私は小中高と十分に校則は緩くなったと思う。しかし教育評論家や社会学者の一部は「まだ学校には理不尽がたくさん!自由が足らない!」と求める。尾木ママ、鴻上尚史氏、親野智可等氏、工藤勇一氏、内田良氏、植松努氏などが頭に浮かぶ。

先日もXでは「授業中に水を飲む云々」で盛り上がっていた。ある学習塾の方が「こちらが話すタイミングで水や茶を飲む行為に腹が立ちます」の発信に賛否が飛び交っていた。予想通り直接コメントする人は基本「否」である。「児童虐待だ!」とか「その認識なら教育関係の仕事を辞めろ」とか、まあ罵詈雑言が寄せられていた。これも授業参観を見に行けば分かるが、本当に一部の子どもたちは「マジで?このタイミングで?」という所で水筒を取りに行く。そして授業の大切な所で「トイレに行っていいですか?」という。驚くほど学力が低い子ばかりがそれをする。「健康に留意」というが、なぜか飲む子たちに限ってすぐに欠席する。飲んだ10分後に「お腹が痛いです」と言い始める。しかし現場は叱れない。上記のような評論家が「学校には自由が足らない。今のままでは軍隊養成機関のようだ」と吹聴する。昔と違って冷暖房完備なのである。その環境下でほんの数十分何も口にせずに話を聞かせる行為が「虐待」となる。そういう思考の人間を生み出す装置に一部の専門家がなっている。

以前からこの人たちのことは好きでは無かったが(そうは言っても、親野智可等氏と植松努氏の講演は聞きに行ったことがある)、あるタイミングで「この人たちが子どもらを救ってくれるかもしれない」と期待した時があった。皆さんは子どもの自由が2000年以降で最も侵害されたのはいつだと思われるだろうか?私は2020~22年の「マスク、黙食」の学校生活だと考えている。20年の夏に一気にこれらのルールが厳しくなる時に上記の人たちが「ここはバランスをしっかり考えましょう。子どもや若年層の重症率は低いです。発達や人間関係の構築という場であることも含めて~」というような発信を誰もがするものだと想像した。もしくは普段くらいの論調で「子どもに随時マスクをさせるなんて虐待だ。恐ろしい全体主義だ。一刻も早く教育現場ではマスクを外せ。食事も和気あいあいと自由に食べさせろ!」と主張する人を期待した。ところがそんな意見を発露した人は誰もいなかった。彼らは平時の何でも言える時であれば自由に放言するが、有事の場では役に立たないことがよく分かった。結局は”綺麗事”と”自己ブランディング”なのだ。

6月13日にMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のMVが問題になった。私は当該の動画を一通り見て「アウト」だと感じた。ただその後の一連の流れには納得しがたい感情がある。13日の朝の情報番組では各局がミセスのこの新曲を好意的に扱っていた。「何と大森さんが歴史上の偉人に!」のようなテロップさえあった。私がMVを実際に見たのが10時半頃。ネットの空気が不穏なものになり始めた時間だ。昼のテレビではコカ・コーラのCMを実際に見た。しかしその後夕方以降に事態が急変してCM等の広告停止、音楽番組の曲の差し替えや出演禁止が発表された。12時間程度での急転直下だった。確かに現代は火消しを早くしないと良くないのは分かる。しかしこの掌返しは恐ろしい。そしてもっと恐ろしいのが以降「表現の自由」を中心とした議論が全く巻き起こらないことである。それこそ社会学者であるとか法律の専門家であるとか、リベラル系の政治家であるとか「こんな早急に反応することは正しいのか」とか「フィクションの世界でも描写は許されないのか」とか「本当にMV全体が差別を表現しているのか」とか議論があって然るべきである。しかし全くそんな空気が醸成されない。

6月18日に「日本版DBS」が全会一致で可決された。マスコミも歓迎ムードである。DBSについては近いうちにそれなりのボリュームのnote記事を出そうと考えている。今日は一点だけ触れる。この法律は「職業選択の自由」を完全に侵害する。公共の福祉において児童の安全を利するためにやむを得ないという判断であろう。しかし憲法の柱である「自由権」の制限である。これが「全会一致」というのは恐ろしいし、異議の声があまりに少ないのも恐ろしい。「自由が侵害」されているのである。憲法9条が改正されるのに準ずるくらいのインパクトがある変更にも拘わらず、国民やマスコミはあまりに静かに受け止めている。

6月20日に東京都知事選が公示された。立候補者である河井ゆうすけ氏(ジョーカーのコスプレで知られている)が、掲示板用ポスターに桜井MIU氏の胸部と股間のみ小さく隠した写真を使用したことが騒ぎになった。桜井氏が自分でポスターを張る様子がネットで拡散されて夜には大炎上状態になっていた。ポスターには「表現の自由への規制は止めろ」の文言が入っている。私も「バカなことを」と思った。その上で「選管はこれを認めるんだな」との驚きもあった。
翌朝起きて「警視庁が『都迷惑防止条例違反』の疑いで候補者に警告」のニュースを見た。そして候補者の河井氏はポスターを撤去したとのことだ。まだ少ししか見ていないが世論はひとまずの安心と怒りが大半のようである。

これはこれで過剰反応と思う。一度選管が許可のスタンプを押したからこそ候補者掲示板に当該のポスターが貼れたのであろう。それがたった数時間で警察の権力が入ってしまう。まさに自由が侵害される構図であるが大衆の大半が諸手を挙げて賛同する。やはり何か薄ら寒い感覚がある。

たった1週間で3件もの「人権を制限」するニュースがあった。表現の自由が2件と職業選択の自由が1件。しかしいつも「教育現場に自由が足らない」という人たちはこの話題に触れない。それでいて水の飲むことを少し我慢させた末端の教師や教育従事者のことはあげつらう。教育に関わる人間としてこのダブルスタンダードには非常に辟易している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?