お風呂はカラダの洗濯

お風呂は「心の洗濯」とエヴァンゲリオンというアニメのキャラクターが言っていた。子どもながらに、「カラダの洗濯じゃないんや」と思ったことをふと思い出した。英語の熟語でjet showerという(うる覚えだが)シャワーでカラダを起こすという表現があったことも思い出す。シャワーとお風呂の対比があるように、カラダを起こすことの対比は穏やかになる・チルのような気がする。シャワーでカラダを起こし、家の扉を開け仕事に向かう。家に帰りお風呂に入り、穏やかになって1日を終える。
 朝はシャワーでなければいけないのか。試しに、朝に風呂に入ってチルしてみる。別に特段変わりはない。穏やかな状態で仕事に向かう。これも悪くはないだろう。ではなぜ、「心の洗濯」が必要なのだろう。家の扉の向こうに何があるのか。一般的に、仕事・人間関係のストレス等が人々にはあるのだろう。家に帰ってお風呂に入り、「心の洗濯」を毎日しないといけない。毎日洗濯しないでいい服があるように何か方法はないのだろうか。
 仕事の合間に喫茶店でコーヒーを飲む、友達と飲みに行き夢を語る、心が穏やかになるような仕事もあるだろう。家の扉の向こうにも、チル(心の洗濯)ができることはたくさんあるのだろう。
 お風呂で「心の洗濯」を毎日せずとも、扉の向こうで「心の洗濯」ができる日々が、人々にあふれることも可能だろう。そして、今後描かれるアニメの中で、「お風呂はカラダの洗濯だ。家の外で穏やかな日々を過ごせ。」というセリフが出てくることを望む。こんなことを考えながら、お風呂から上がる。

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