ハートの石

 波打ち際を、探してもそれは見つからなかった。
「何処にあるのかしら、伝説のハート石は?」
 背中を丸め、パステル柄のスカートを上げ、足を濡らして探しても、一向に見つからないくせに、さざ波の音色だけは心地よく聞こえるのだ。

「私にお金があれば、あの薬が買えるのに…もう!」

 その音色を嫌い、耳を塞いでも、サーヤがハートの石を探すのには理由があった。それは、ひまわりの見える家で、息苦しそうに、高熱がもう3ヶ月も続き、ベッドの上で寝ている母を助けたいがためだったのだ。そう、ひまわりは天に向かって生き生きと咲いているのに、母の命は絶えようとしているのだ。

「今日もダメみたいね、帰ろうかしら」

 太陽はもう西に傾き、サーヤの影を長く伸ばしていた。さざ波に揺れたその影は、波長に合わせ長くなったり短くなったりしていた。太陽から発せられたプリズムは、何処か寂しげにそれをオレンジ色に染めていた。その頭付近に一人の老人が立っていた。

「いつの間に…」
 一人だと思っていたサーヤは少し驚いた。そんなサーヤに、
「お嬢さんかい? この海辺で何かを探していると言うのは?」
 と、訪ねてきたのだ。

まっ、まさかー。何で知ってるの?

「…はい」
 戸惑いながら、答えたサーヤに老人は、
「このネズミが教えてくれたよ」
 と、背中から出てきたネズミを手に乗せたのだった。

キャー。

 サーヤは思わず、腰を抜かした。瞬間、ザブーンと波が押し寄せたのだった。あ~ぁ、スカートが台無しだわ。

「ごめん、ごめん。ビックリさせるつもりはなかったんだけどね、あら、お尻がずぶ濡れだー」
 腰を抜かしたのもつかの間、また悲劇が起こった。

「ネズミ!」

 静なオレンジ色の海岸に、サーヤの大声が2度響いた。が、ココナツの木は楽しげに、遠くから見ているだけだった。もう、少しは心配してよね、と願うサーヤだったが、ココナツの木は、風と戯れるだけで、何も答えてはくれなかった。
「あっ、ごめん、ごめん。これが苦手かい?」
 代わりに心配してくれたのは、目の前に立つ老人だった。
「あっ、当たり前でしょ! 好きな女の子はいないわ」
 目を背けた。が、どうしても気になった。何故? 運命を感じたから? その老人は白髪に、長いひげ。少し腰は曲がっているものの、派手な赤い浴衣を着ていたのだ。何よ、不似合いな。もっとシックな装いをしてよね、と思ったが、右手に持っている物が気になった。
「あっ、ハートの石!」

 そう、それは今まで必死で探していた伝説の石だったのだ。

「おじいちゃん、その石ちょうだい?」
 思わず、波打ち際に腰を抜かしたまま手を伸ばした。
「やっぱり、これを探しておったのか。わしもやっと見つけたんじゃ、これは渡せん! 渡したくはないのう…でも、このネズミがお嬢さんにあげてくれと言っておる」
 そう言い、老人は続けた。
「じゃがのう…わしも魔法を解いて欲しい…」
 魔法…解いて欲しい? と言う事は老人は仮の姿? 老人もハートの石を相当探していたのだろ、空を見上げ黙り込んでしまった。悩んでいる…。悩んでいる…。永遠とも思える時が過ぎている…ような気がした。が、雲はサーヤと老人を、やさしく見守るように包んだ。無理よ! あの石をこの老人から貰うことは不可能よ。そう思い、サーヤは肩を落とした。波がサーヤの肘にまで当たった。そんなサーヤの耳に、老人の済ました声が聞こえた

「…幸せは周り巡るー、相手を思う心に勝るものなし。知っておるじゃろうが、この石に伝わる言葉じゃ」

  そう言い終わると、
「このネズミを引き取ってくれたなら、この石をあげよう」
 と言ったのだった。
「本当ですが?」
 悩んでいたんじゃないの? サーヤは老人の“軽さ”に戸惑った。が、勢いよく立ち上がり、詰め寄った。

 うぅー。
 一瞬、老人の肩に座っているネズミと目が合い、固まってしまった。
「その…ネ、ネズ、ネズミ、引き取らなくてはいけない?」
 引きつった顔で言った。
「嫌なのか?」
 老人はニコッと笑い言っ切った。もう何なのよ、その笑顔は! と思ったサーヤだったが、お母さんの命には代えられない…。でも、ネズミなんて飼ったこともないし、だいいち、触ったこともないのに…嫌、嫌、本当は嫌! だけど…。老人は答えを待っているように、横目でサーヤを見ていた。仕方ない! サーヤは意を決し、「引き取ります」と、答えた。
「良かったな、アリト。ほら、彼女の肩に乗りなさい」
 私の肩に? 
 老人は腕を伸ばした

 ヒェーッ!

 サーヤは自分の肩に乗ったネズミに、足の先から頭の先まで身震いがし、血の気が引いた。が、
「アリトちゃん、かわいいわね」
 と、震える唇で言ったのだった。
 何がかわいいよ! 嘘も良いところ! でも、お母さんの命には代えられないわ。ネズミは肩から足に、そしてまた肩に戻り胸元に潜った。胸にネズミがいるー! 絶句。倒れてしまいそう…。そんなサーヤの気持ちを理解できない老人は、
「わしはお前さんを信じておる、お母さんを大切に、なっ!」

 信じてる?
 何を?

 次にネズミは、首元をぐるぐると回った。目を白黒させたサーヤだったが、老人から石を渡され、「はい!」と無意識に答えたのだった。何で夕日はオレンジ色なの? 何で私はここに立ってるの? このままさざ波に流されたら、どんなに幸せな事か! 気絶寸前のサーヤだったが、老人の瞳に光るものを発見し、我に返った。

 お爺さん…。

 そう、老人は泣いていたのだ。
「頼ん…だぞ」
 老人は涙声でそう言い、サーヤの前から姿を消えた。まるで風の妖精かのように、軽く、ふんわりとー。
 サーヤはその不思議な感覚が忘れられなかった。そんなサーヤの肩には、あのネズミがいた。アリトは老人との別れを惜しむように、一点を見つめていたのだった。

  ハートの石を貰ったサーヤだったが、幸いお母さんの病も良くなり、食事が出来るまでに回復した。
「サーヤ、聞いておくれ」
 ベッドの横で紅茶を入れるサーヤに、お母さんが話しかけた。まだその声は弱々しく、窓の外で戯れる小鳥の鳴き声にかき消されそうだったが、ココナッツの木から漏れた光りがサーヤとお母さんを暖かく包んだ。
「なに?」
 サーヤが入れた紅茶のグラスをお母さんは、一度グルッと回した。
「この唐松模様のように、永遠に生きられたら良いのにね」 そう、まるで脈々と引き継がれてきたそれと、自分の命を対比しているようだった。ドキッとした。こんなに回復したのに…。サーヤは、自分の持ってるグラスを揺らしてしまった。
「お母さんはもうすぐ死ぬ。でも魔法は使わないでほしい…あの石の魔法は一度きりー。そんな大切な魔法をお母さんのために使っちゃあダメ!世のため、人のために使うんだよ」
「何言ってるの、お母さん…。こんなに元気になったのにー」
 サーヤは動揺していた
「あらまぁ、この子ったら、頬を引きつらせるなんて…子供の頃と変わらないね」
 お母さんはやさしさい瞳で見守っていた。黄昏がよく似合う夕方だった…はずなのに、太陽はすでに沈み、川岸には蛍がうっすらと光を発していた。その光は日没と共に次第に強く、多くなっていった。サーヤとお母さんは、時の流れを忘れるかのように見ていた。夢? 夢ならば、覚めないでほしいとサーヤは思った。

  数日後、お母さんの病は再び悪くなり、意識が混沌としてきた。
「お母さん、今すぐ魔法を使うからね」 
 お母さんの横に座った。あの紅茶を入れたグラスの中には、アリトがボーと入っていた。サーヤは「もう、バカにしているの?」と思ったが、ハートの石を胸元に近づけた。
「石よ! お母さん…」
 と願おうとした瞬間、母の手が動いた。
「お母さん…」
 その手は、ダメダメと言っているように二度揺れ、またベッドに横たわった。
「お母さん…私、どうすれば良いの?」
 サーヤの瞳からは溢れんばかりの涙が流れ出た。その涙はキラキラと光り、空中を彷徨い母の手に落ちた。が、もう動かなかった。

  魔法は一度きり…世のため、人のために使うんだよ。

  あの老人からハートの石を貰った帰り道。サーヤが見た光景は散々だった。ひび割れた農地に、焼き尽くされた家々ー。子供は泣き叫び、「どうしたの?」と問いかけた長老らしき老人は、はガックリ肩を落とした。そう、王子さまがいなくなってから、盗賊が出没するようになり、豊かだった村はすっかり荒れ果ててしまったのだ。

「もう、この子たちに希望すら残してやれないよ…」
 大粒の涙を流すサーヤの瞳に、アリトが映った。
「アリト、あなたならどうする?」
 アリトは入っていたグラスから、お母さんの横たわるベッドにちょこんと座った。と、カーテンが風と遊んでいるように揺れた。そんな風の中でアリトは二度頷いた。

 「そうよね、そうよね、お母さん、許してくれるよね」

  しかし、サーヤは首を横に振った。それはアリトの答えを拒否したかったからだった。そう、アリトは村人を救え、と言っていたのだ。どうしよう、どうしよう、この魔法を使えるのは、私だけー。海に行き、山に行き、お母さんと遊んだ記憶ー。でも、それと同じくらい村でも遊んだー。友よ、鳥たちよ、お世話になった村人…。記憶が走馬灯のように甦った。お母さん!

 サーヤは祈った、
「ハートの石よ、村人を救って!」
 とー。

 ハートの石は赤く光り輝いた。時の流れが止まった。無限とも思える沈黙がサーヤを襲った。その沈の後、

  はっ!

 「輝かないで、お願いだからー」
 サーヤはベッドにそれを力いっぱい押しつけた。たった一回しか使えないのに…村人なんて助からなくて良いから、魔法の石よ、反応しないで! 遅くない、遅くない、お願い!
「ごめんなさい…お母さん。あぁぁー」
 サーヤは泣き崩れた。そう、お母さんはもう助からないのだ。それを選んだのは、他ならぬサーヤ自身なのだ。そんなサーヤの頬にアリトは頬を添えた。二人を包むかのように、木漏れ日が降り注いだ。

  あれからどれくらい経っただろう…覚えてもいない。でも、アリトと遊んだのだけは、覚えているー。

 「アリト、いつまでも友達でいようね」
 そう願ったはずなのに、アリトはいなかった。
「あっ、お母さん!」
 あのハートの石を貰った海を、ベランダから思い描いていたサーヤだったが、母が生き返るはずもなかった。あの老人は今、何をしているのだろう…。海は荒れているかしら。私は結局、誰を助け、誰を見捨てたのだろう…。あの魔法を使った日から、後悔の日々が始まっているのに、小鳥たちは、無邪気にサーヤの前で歌うだけだったのだ。

  チャラーン。

 「誰かしら?」
 チャイムの音に、玄関を開けたサーヤの目の前には、金髪の貴公子が立っていた。そして、
「このお嬢さんかい、村人を救ったのは?」
 と、背中のネズミに話しかけたのだった。

「アリト!」
 サーヤは大声で叫んだ。
 そう、そこにいたのは、あの老人から預かったネズミだったのだ。
「…これをお母さんに飲ませてください」
 そう言い渡されたのは、サーヤがハートの石に願おうとしていた高価な薬だったのだ。

「あなたは?」

不思議に思うサーヤの前で、
「…幸せは周り巡るー、相手を思う心に勝るものなし。知っておるじゃろうが、この石に伝わる言葉じや」
 と、貴公子の後ろに隠れていた村の長老が言った。
「これが、君の救った村人さ!」
 そう言い、貴公子が手を振ると、お婆ちゃんやら子供やらが現れた。
「まっ、まさか、あの時の…」
「そう、僕はあの時の老人さ。君が村人の幸せを願ったからこそ、僕は元の姿に戻れたんだよ」

 「だったらあなた様は、いなくなったこの村の王子?」

「そう、悪い魔法使いに捕まり、老人の姿に変えられていたのさ。僕が元に戻って村は平穏を取り戻した。さぁ、次は君が幸せになる番だ!」
「ありがとう、ありがとう。でも、もう母の鼓動は止まってます」
 そう俯きながら言ったサーヤに長老は、
「これはただの薬ではない、王子さまが魔法をかけてくれた薬じゃ」
 と言ったのだった。

えっ?

 サーヤの瞳にみるみる涙が溜まり始めた。しかし、それは今までの悲し涙ではなく、嬉し涙だった。そんなサーヤの肩をやさしく持った王子は、サーヤをゆっくりと母の眠るベッドにまで連れていったのだった。
「さぁ、飲ませて」
「はい!
 言われるがままに、飲ませた。するとどうでしょう。みるみる顔色が良くなるではありませんか!

「サーヤ…」
「お母さん、私が分かるの?」
「分かるわよ! 私の娘だもの…」
「お母さん!」

 サーヤはお母さんに抱きついた。それを窓の外で見守っていた村人は一斉に歓喜の声を上げた。

「みんなー」

 そんなサーヤの前で王子は、「僕のお妃になってくれませんか?」と膝を付き、両手を差し出したのだ。

 私なんて…。

 ふと、村人たちを見たら、笑っていた。お母さんも頷いた。そして、アリトはサーヤの手に乗った。

「あなたなら、やさしいお妃になるよ」
 窓の外から、長老の言葉が背中を押してくれた。
 良いんだよね、良いんだよね。
「よろしくお願いします」
 サーヤは王子の手を握った。

 …幸せは周り巡るー、相手を思う心に勝るものなし。

 サーヤはあの石の真の意味をあみしめ、村人のために働く決心をしたのだった。


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