-私はこの夜を忘れられないだろう-  激甚哲学者と奉仕する方々主催、奇跡の空間、狂気の宴ゲンロンパワーディナー2024/05/17そして東京という巨大都市圏

昨年、ノリでゲンロン友の会の上級会員になった。妻には「ダンナがニシノのオンラインサロンに嵌りよった!」と嘆かれたが、「いやまあ・・・今や『教祖』はおらんよ、『狂人』はいるけど」と説明した。(誰が狂人であるかは敢えて伏せる)
さて、上級会員は、特典として、上級会員限定のパワーディナーなる宴に参加する資格を得る。貴族の遊び感がすごい。

年に2回開催されるが、ゲンロン社が東京にあるため、パワーディナーも東京で開催される。私は前回、体調の問題で参加できなかった。
4月から私もパートナー弁護士となり、仕事をすれば別にどこにいてもいいという身分になることができた。
もちろん、事務所でするべき面談も多数あるうえ、仲間とのコミュニケーションを図る上でも事務所にいることは大事であるが、事務所にばかりいても精神衛生上よろしくはない。
ということで、友人との昼飯予定を入れ、仕事をねじ込んで旅費等を確保した上で、パワーディナーに参加した。

配偶者の出産前であり、当分出席することが難しいということ、私の体調的に次回行けるかもわからないので「行ける時には行く精神」を発揮することの重要性を感じたこと、大量のお土産お菓子のリストと引き換えに妻の承諾を得たことは述べておきたい。大阪出身であるゲンロン社の上田社長にも大阪っぽいお菓子(上品な洋菓子にした)を差し上げた気がする。

さて感想である。

1.新幹線の高揚と東京の遠さ
旅はその行程にこそ意味があると誰かが言っていた。
そう思えば、私の今回の旅「観光」は、新大阪駅からの新幹線に乗るところから始まっているのだろう。
3月の総会(これについては後でこのnoteの載せる)でも思ったことだが、やはり関西からゲンロンのイベントに参加するハードルはあるなと思う。
しかし、だからこそ1回のイベントに懸ける熱量、人生に対する影響は近場の人よりも大きいのかもしれない。
今回のパワーディナーでは福岡から毎回参加されている方もおられると聞いた。
旅はそこに向かうときに考えたこと、車内での風景、車窓から見える景色、買おうかどうしようか毎回悩む駅弁、そのようなことの些細な連続が旅を旅にしているのだろう。
そして、新幹線はいつ乗っても少しテンションが上がる。
移籍前の事務所には姫路(家族の関係で姫路でお暮らしである)から大阪まで新幹線通勤をしている剛の者の先生がおられた。その先生が仰るには「毎日乗っているとさすがに何の感慨もない」とのことであるので、やはりレアイベントは気持ちを高ぶらせるのだろう。
飛行機も同様に私のテンションが上げるが、パイロットの人はそれどころではあるまい。
何に感動するのか、心を高ぶらせるのかは立場によって変わるという話である。

2.友人と会ったり仕事をしたりすること
午後6時半開演だったので、関東にいる友人との昼飯を食べた。友人のオフィスが豊洲で、東京駅から1200円くらいのタクシー代かなと思ったら2600円。東京はやはり大きい。関東平野はでかいのである。
その後、仕事を終わらせてから、会場のKITTEというビルに着いた。
kitteは1階から5階まで吹き抜けの豪勢なビルだったが、丸の内には珍しく日本郵政のビルだった。
詳細は割愛するが、周りの三菱地所のビルと比べると少し細かい点が見劣りした。
一流のオフィスビルは、匂い、動線、構造、エレベーターやエスカレーターの配置、トイレの構造、そのすべてに隅々まで意匠というか意図が入り込んでいる。如何に顧客に高級感を感じさせ、利便性を高めるかを徹底的に追及している。
細かいことの積み重ねが一流を一流たらしめているのだろうと思った。
また、当然だが三菱のビルにはローソンしかなかった(ローソンは三菱系列)。今の日本にもいまだに財閥があるのだなと納得する。
なお、電話相談を午後6時28分まで行っていたので、決して東京で遊んでいたわけでもないのである。自己弁護をしておこう。

3.東京という街について細かいことから受ける若干の感想
丸の内の個人向けオフィスブース、五反田の格安ビジホを使った。今回だけかもしれないが、どちらもなんか臭かった。ファブリーズをもっていってよかった。
人間が多いとくっさい場所は出来るのだなあと思うと、東京も大阪も変わらないではないか。
新宿も丸の内も渋谷も池袋も、町のどこかにはくっさい場所がある。人間の匂いがしないのが都会だと思っているが、そんなものは日本だけであるし、匂いを抑制した日本でさえ、くっさい場所はあるのだ。
名古屋、大阪、広島、博多くらいの方が臭い場所は少ないかもしれない。人口密度が低いから。
日本を地方都市に分散させよう、という事を私は常々言っているが、本当にそれが必要だと思う。
また、山手線も地下鉄も、人の多さのわりにホームが狭すぎる。
ラッシュ時の悪夢を想定してラッシュ時は電車に乗らなかったが、それでも非常に混雑しているなと感じた。人口が街のキャパを超えていることを感じた。これは今回に限らない感想だ。

4.丸の内の豪華なレストランの一次会
ゲンロンパワーディナーの一次会は、丸の内kitte最上階のレストランという、とてもおしゃれな場所で行われた。会場横の屋上庭園から東京駅が非常によく見える。写真を撮るには絶好のスポットだろう。
20歳の頃に女の子と来たかったものである。ふぁっく。
会場は、結婚式の二次会にも使われそうな、というかそれをメインターゲットとしたような綺麗なレストランであった。
ただ、コロナ禍以降、結婚式は減っているようで、レストランの店員さんも悲しげな顔をしていた。
賃料も高いだろうから大変だろう。
一次会では、元から存じていた人もいたが、今回初めましてという方がほとんどである。
新しい贈与論のメンバーの方も見かけたが、ほとんどお声をかけることは出来ず。残念ではあったが、同時に「やはり同好の者は集まるのだなあ」と思った。
東先生は「すべてのテーブルを回るまではお酒を飲まない」と公言し、それを実行されていた。偉い。偉すぎる。
一次会も超楽しかった。会場でどのようなことを話し合われたのかは秘密である。知りたければ友の会の上級会員になろう。
会場側は終わりの時間をやたら気にしていたのだが、次のお客さんがあるのか、ビルの閉館時間が近いからか。恐らく後者。

5.丸の内から五反田に行く
二次会はゲンロンの牙城である五反田GenronCafeで行われる。
私は、金曜日の東京の山手線がいかに混雑しているのかを知っていたし、何より東京に行く以上、その地理感覚を知るため、タクシーを使った。
大阪の狭さ、東京の広さを思いながら、ドライバーと話をする。東京のドライバーは上品だ。大阪のタクシーでは3回に1回は運転手がタメ口を利いてくるのでバチ切れる私であるが、そんなことは東京で起こったことはない。
ドライバーの方が岐阜の山奥の出身ということで、岐阜をよく知る私と話が盛り上がった。
私の父の位の年齢の方で、年の15歳離れた兄が今年亡くなられたということである。故郷を喪失した思いがしたという。
故郷は誰かがいるから故郷なのだろう。悲しいことだが現実だ。東京で50年生きていたドライバーの方の寂しく言葉にできない人生を考えた。
そして五反田に着くとなんとタクシー代4000円。梅田から天下茶屋まで行ける。なんならそこでセンベロもできる。関東平野はやはり広い。

6.GenronCafe2次会
午後10時過ぎから始まった二次会は、「開始時刻は書いているけれども終了時刻は書いていない」という恐ろしいものであった。
周りの方々もそれが平常運転だと思っている。
く、狂っている。
明日のことなど考えない、ロックすぎる面々である。
そして、GenronCafeに来ると分かることがある。その意外とこじんまりした空間、そしてそこに書かれた数多くの著名人のサインである。
「同世代で交わることがなさそうな人たちが一つの場所で確かに話をしたこと」の尊さを思う。
現代のアテナイの学堂だと感じた。
全てがネットで完結すると思われる現代であるが、場所があるというのは決定的に重要だ。ネットは場所の偉大さを増幅させるが、ネットで完結するのは違うんだ。その人が確かにそこにいた、と思えることが肝要だ。
東先生は、ときおりのネットの突発放送で「同じ場所を共有し、仕事とは関係のない話をすること、私たちが確かに同じ場所で酒を酌み交わしたことが大事なのだ」と仰る。確かにそうだろう。
そしてGenronCafeにはセキュリティがあまりない。もちろん、人の目でやばい奴が入ってこないようにはしているだろうが、スタッフの方々の苦労は半端ないだろう。出入りが自由だからこその空間の自由さと、現代でそれを実現することの困難さを感じた。
「激甚哲学者と奉仕する方々主催、奇跡の空間、狂気の宴」と表題に記した理由はここにある。

上田社長、東先生とお話ししたこと、ほかの参加者の方々と話したことも私の宝物なので、ここでは書かない。
知りたい人はパワーディナーに参加しよう。
しょーーーーもないコンサルに入るよりもよっぽど人生が変わる。

夜にゲンロン社で何かがあったようで、上田社長、東取締役は一回離席しておられた。
フルフレックスのゲンロン社では夜に問題に対処しなければならないことも数多くあるのだろう。ご苦労がしのばれるところである。
ただ、忙しそうな東先生に「退席します、本当にありがとうございました」と伝えたところ、「君、僕が居なくなったからと言って帰るなんてなしだよ!そこで食らいつくんだよ!」という言葉に思わず触発された。そこからめっちゃ聞きたかったことを聞けた。ありがとうございました。東先生の懐の深さを感じた。
東先生はヤンキーで戦闘狂だが、とてもやさしい人である。それも含めてヤンキー的で大好きになった。これが幾多のアズマンフォロワーを生み出したのだろう。
ただ、フレックスは経営者の寿命を縮めると思う。

7.参加者もすごい
場所のレベルは主催者だけでなく観客が作る。ゲンロン社がほぼ15年をかけて構築した参加者の方々との会話はとても楽しかった。
会社員の方、学生の方、プータローの方、創作家、などなど・・・。同業とばかり絡みがちな弁護士にとって、こういう場所がいかに貴重か、そして大事かという事を知る。

8.五反田の昼と夜
二次会が終わってフラフラになりつつ宿に帰った後、起きて五反田の街を歩いた。
昼下がりの五反田は夜の喧騒とは全く違う顔だった。穏やかなオフィス街だった。ここまで違いがあるのかととても驚いた。

このあと、東京駅で妻に献上品の数々を購入して帰宅した。これが一番財布に響いた。お財布も体もヘロヘロである。
凄くよい方々にたくさんの会えたことはとてもうれしかった。
「こんな夜を後何度かください」と、神様に願うくらいに良い夜だった。

ゲンロン社の皆様、参加者の皆様、ありがとうございました。

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