偶然(ショートショート)
俺が駅前を歩いていた時前から帽子をかぶったロングヘアの、サングラスをした女がやってきた。女が、サングラスを外す。
最初は見知らぬ顔だと思っていたが、驚くことによくよく見ると、元カノの唯である。
付き合ってた頃はショートカットだったしサングラスをかけてたから、気づかなかった。
「ご無沙汰ね。時間ある? 良かったらお茶でもしない?」
唯の発言に驚いた。俺を恨んでると思ってたのだ。
「昔のことだから、恨んでないよ。今考えれば、楽しい時が多かったな」
俺の心を読んだみたいに、話を続ける。その顔には、笑みがあった。
「5分だけでいいの。どう? あたしももう結婚したの」
結婚したという情報を聞いてホッとする。俺に対する未練は断ち切ったのだろう。
「じゃあ5分だけ」
我慢して、つきあうことにする。ここで機嫌を損ねては、逆に後々面倒だ。
「ちょうど近くにカフェがあるから、そこに行こう」
彼女が俺を連れてきたそのカフェは、完全禁煙だった。高齢のマスターが1人だけいる小さな店。
煙草好きな俺としては失敗だったが、唯に引きずられるように入ってしまう。
彼女は他に客がいないのにカウンターから遠い席に行き、カウンターを背にして座る。俺は、向かいに腰かけた。2人共コーヒーを頼む。
現れたマスターは耳が遠いらしく、目もあまりよくないようだ。
「結婚生活はどう?」
唯が、俺に質問する。俺は長年同棲していた唯を捨て、社長の娘と結婚したのだ。
「上手くやってる。今年、赤ん坊が生まれてね。男の子だ」
俺は、思わず目を細める。今の俺は、幸せの絶頂期にいた。美人のかみさんと可愛らしい息子がいて、社内では出世を重ね、次期社長の座も夢ではない。
順風満帆の日々である。
「良かったじゃない。これで将来安泰ね」
唯との間で話が弾む。まるで以前の恋仲に戻ったような雰囲気だ。あの頃も幸せだったが、俺は平凡な幸福では満足できなかったのである。
富と権力が欲しかった。
「まだ煙草吸ってるんでしょ? ここ禁煙だから、駅前の喫煙所で吸ってきたら?」
唯が、そう提案した。
「そうだな。1本吸ってこようか」
店を出て、喫煙所で煙草を吸う。戻ったらコーヒーが来ていた。飲んだら、変な味がする。
「あたしも1本吸ってくる」
そう残すと唯は立ち上がり、サングラスをかけて店外に出た。突然、胸焼けが俺を襲う。吐き気がする。頭の中が、ガンガン鳴り響く。
全身が燃えるように熱かった。俺はやがて全身から力を失い、テーブルの上に突っ伏したのだ。
「お客さん、どうされました?」
マスターのあわてた声が、遠くから響いてくる。
マスターはテーブルに突っ伏した客の男に呼びかけたが、反応がない。その口から、血が出ている。彼は急いで119番に電話した。
救急車が到着したが、すでに男は亡くなっている。
死因はコーヒーに入れられた毒物だと判明した。犯人は一緒に店に来た女だろうと感じたがマスターは目が悪いため、どんな顔か覚えていない。
マスターは耳も最近遠いし、席はカウンターから離れていたので、どんな話をしていたのかも覚えてなかった。
防犯カメラも設置されてないので、動画を確認することもできない。まさか店内が、殺人現場になろうとは。
駅前の喫煙所へ行くと伝えてカフェを出た唯は喫煙所のそばを通り過ぎ、店を離れた。彼女は未だに自分を振った男を憎んでいたのだ。
偶然を装い防犯カメラのないカフェに彼を連れこみ、コーヒーに毒を入れたのである。
翌日唯のマンションへ、男の刑事が2人訪れた。毒殺された男を殺した犯人として、彼女を逮捕しに来たのだ。
「ちょっと待って。あたしじゃない。なんでそんなことが言えるの? 証拠があるの?」
「被害者は、ある女性と浮気してまして。証拠をつかむため、奥さんは興信所に依頼しました。興信所は複数の探偵を使い交代で男性を見張ってました。なので男性が殺される直前あなたといたのを偶然知ったんです」
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