見出し画像

カレンダー・ガール(第3話 アクア・コロニー)

 マーズ・キッチンを出た後陽翔は、アクア・コロニー行きの宇宙船に転送ステーションから乗りこんだ。
 転送ステーションからマイクロ・ワープで月の軌道上に浮かんだスターシップに行ったのだ。
 アクア・コロニーとはラグランジュ・ポイントのL4に浮かぶスペース・コロニー群のうちの1つである。
 ラグランジュ・ポイントは全部でL1からL5まで5つあり、地球と月の重力がちょうどつりあう空間のことである。
 このラグランジュ・ポイントに回転させて遠心力を発生させ、重力を作りだしたスペース・コロニーが多数浮かび、人類が入植していた。
 アクア・コロニーは日本政府と日本企業の肝入りで建造された物で、人工の海と砂浜を内部に実現したリゾート型コロニーだ。
 こういったリゾート型コロニーは他の国も造っており、インド、中国、アメリカ、ロシア、西ヨーロッパ連合の物もある。
 アクア・コロニーは円筒形で、回転する事により0.9Gの重力を生み出していた。
 地球の重力が1Gなので、それよりちょっと弱いぐらいの引力だ。
 陽翔の乗る宇宙船はアクア・コロニーの軌道上でワープ・アウトして実体化する。
 座席の前に設置されたホロモニターに、星海に鎮座するアクア・コロニーの雄姿が見えた。
 それは巨大な茶筒のような形をしており、3枚の長方形の巨大な鏡が放射状に広がって、太陽光をコロニー内に取り入れている。
 陽翔を含む乗客達は船内からコロニー内の転送ステーションへマイクロ・ワープで移動した。
 月の重力に慣れた陽翔には0.9Gはちょっときつく感じたが、火曜に一旦火星をはさんだので、まだ耐えられそうである。
 その夜は、アクア・コロニー内にあるホテルに泊まった。
 このコロニーで明日の水曜昼12時に、日風翼を通じて陽翔は、七海美流(ななうみ みる)と会う予定になっている。
 美流は日風舞の水曜日のみの人格で、水泳とサーフィンのインストラクター兼ビーチの監視員をやっていた。
 瀬麗音はカナヅチで全く泳げなかったので、これも不思議な現象である。
 ホテルの窓から観る夜の海は波が浜辺に打ち寄せていたが、これも人工的に作りだされたものだった。

 翌朝はネット上にアップされた天気の予定表通り晴れだった。
 ここは季節が常時真夏になるように、円筒形のコロニーから宇宙に飛びでた3枚の巨大なミラーの角度が設定されている。
 宇宙に浮かんだ太陽から届いた光はミラーによってコロニー内に送りこまれ、永遠の夏を演出していた。
 午前11時50分頃に、陽翔は約束のビーチに着く。白い砂浜が目にまぶしい。
 太陽系中から集まってきた人種もバラバラな観光客が水着姿で、くつろいでいた。泳いでる者もいれば、サーフィンに興じる人もいる。
 ブルキニを着たイスラム教徒の女性達もいた。
 サメやクラゲ等、人間に害を与える生物はいないので、その点に関しては安心して遊べるのだ。
 晴れた空のどこを探しても太陽はなく、人工の海は円筒形のコロニーの内壁に沿ってせりあがっていた。
 美流の姿が、やがて見つかる。ビーチパラソルの下におり、折りたたみ式の椅子に座っていた。
 水色のワンピースの水着を身につけ、ショートカットの髪の毛は青く染めている。
 ちなみに瀬麗音は黄色に彩り、萌は赤に塗っていた。
 陽翔の気配に気づいたらしく、それまで人工の海を観ていた美流がこちらを振り返る。
 彼は自分の顔をわからせるためサングラスをはずして手を振った。美流も、手を振りかえす。
「はじめまして。七海さんですね。お父様から連絡あったはずですが、僕が九石陽翔です」
 ビースト・ハンターは名刺を1枚相手に見せる。薄い金属製の名刺に、陽翔自身のホログラムが浮かぶ。
「はじめまして。七海です。でも、私のもう1つの人格は、あなたと恋人さんなのね。はじめましてとは、言えないかも」
 美流が腰かけていた椅子の隣にもう1つ折り畳み式の椅子があったので、陽翔はそこに腰かけた。
「あなたの恋人が羨ましいな。とても勇気があるんでしょうね。とてもじゃないけど、私に恋なんてできない」
 美流は地面に目を向けながら、声を落とす。
「お医者さんから、言われてるの。現在私には7つのパーソナリティがあるけど、何かの拍子に私の人格が永久に消失するかもって。また仮に治療に成功すれば、オリジナルの日風舞の個性だけが肉体に残り、他の性格は全部なくなってしまうって」
 美流の言葉が、陽翔の胸に矢のように突きささる。
 深く考えていなかったが、瀬麗音がサブ人格である以上いつまでも月曜日に帰ってくるとは限らないのだ。
 暗澹たる闇が、彼の魂をじわじわと侵食してゆく。
 周囲を照らす眩しすぎる陽光とは、裏腹の心理である。
「海は、大好き」
 美流が、打ち寄せる波を見ながら唐突に口にした。
「ここにあるのは人工の海だけど、中に入って泳いでいると、自分が忘れられるから。その時の私は多重人格でもなければ女でもなく人間でもない。1匹の魚みたいなもの」
「いや、あなたは人間です。例え明日意識がなくなってしまうとしても。多重人格者でなくても、人間いつかは魂が肉体と共に消えてしまいます。美流さんは特別じゃない。僕やここにいる人達同様、普通の人間です」
 陽翔が続けた。
「この宇宙の永い歴史に比べたら、人間の命なんてほんの一瞬。線香花火みたいなもんです。僕ら人類はその瞬間を全力で生きていくしかないでしょう。生まれてすぐ死ぬ命もあれば、臓器の一部を人工の物に替えたりして、200年生きる方もいるけど、寿命があるのは皆同じです」
「そう言ってくれて、嬉しいな。そんなふうに考えたことなんてなかったから」
 突然美流が陽翔の手を握る。見かけも性格も瀬麗音はかなり違うが、そのやわらかな指に触れると、その肉体が同じだと認識できた。
「一緒に泳ぎましょう。せっかくここへ来たんだから」
 美流が手を引っぱった。
「ちょっと、よしてくれよ。海パン持ってきてないんだ」
 笑いまじりに、陽翔が答える。
「売店で買えばいいじゃない」
 美流は笑顔で主張しながら、強引に陽翔を近くにある「海の家」に連れていく。
 そこで彼女が見繕った青い海パンを購入し、更衣室でそれに着替えた。
「やっぱ、似合うなあ」
 美流が声を、1オクターブ上げて、感嘆の声をあげる。
「さすが、鍛えてるだけあるね」
 彼女が陽翔の胸板に触ってきたが、不思議となれなれしくは感じない。瀬麗音と同じ肉体を共有しているからだろうか。
 美流に引っぱられるように砂浜を駆け、まるで恋人同士のように水をかけあったり泳いだりしてはしゃぎあった。
 久々にサーフィンもやる。海の家で購入したサーフボードに乗って波乗りに興じてみた。
「すごーい。めっちゃ上手いじゃない」
 美流が歓声を浴びせてきた。瀬麗音と違い、いつも笑顔を絶やさない子だ。まるで夏の陽光のように屈託のない表情だった。
 先程見せたアンニュイが、嘘のようである。いつのまにか、周囲に他の観光客も集まってきて、拍手や嬌声を浴びせてくる。
「あんた、ビースト・ハンターの九石陽翔だろ? サーフィンも上手いんだな。すげーよ。あんた」
 ギャラリーの1人が、声をかけてきた。
「ごめんなさい。顔が似てるから間違えられるけど、九石さんとは別人なんです」
 陽翔はその男性に釈明すると、サーフボードを左手に抱え、右手で美流を引っぱって、その場をかけ足で離れる。
「有名人も、大変ね」
 美流は青く塗った唇を、彼の耳に近づけて囁いた。
「もう、慣れたよ。たまにギャラリーに囲まれるのはめんどいけど」
 いつしかコロニー内を照らしている陽光が薄れはじめた。もう夕方だ。1日海で遊んだのでくたくたである。
「今日は楽しかったな。こんなにはしゃいだの、初めてかも」
 美流が宝石のように輝く目で、陽翔を見つめた。
「俺も楽しかった。学生時代に戻ったみたいだ。昔はよく地球の海で泳いだり、サーフィンやったり、ヨットに乗ったりしてたから」
「ヨット操縦できるんだ。あたしも一緒に乗ってみたいな」
 美流がやわらかな腕を、彼の腕にからませた。
 日焼け止めを塗っているので、1日戸外で灼熱の陽光を浴びてはいても、その肌は白いままである。
「ごめんなさい。あたし、なれなれしくて」
 突然ハッと気づいたように、彼女が手を彼から放した。
「また、会えるかな?」
 目をそらしながら、美流が聞く。
「もちろん、友人としてならね」
「瀬麗音さんは、幸せ者ね」
 青く塗られた唇が、そうつぶやいた。
「1番肝心な件だけど、少し考えさせてちょうだい。あなたと瀬麗音さんの結婚の件、まだお返事できないです」
「無理もないよ。すぐに回答できるような内容じゃないし。回答できるようになったら、お父さんを通じてか、名刺の連絡先に量子テレポート通信でメールしてください」
 陽翔が美流に渡した名刺は、すでに彼女が海の家に預けていた。
「場合によってはまたここに来て、回答を聞きに来ますよ」
「できたら、そうしてほしいです」
 恥ずかしそうにうつむいた美流の青く塗った唇から、言葉がこぼれる。
カレンダー・ガール(第4話 フォレスト・シリンダー)|空川億里@ミステリ、SF、ショートショート (note.com)

この記事が参加している募集

#宇宙SF

6,068件

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?