季重なり・季違いについて ―否定派なんて無視していい!―

詠みたい様に、他者が読み解ける様に詠めば良い。それが俳句

こんにちは、みつかづです。
このテーマ、前にも書いた気がする。けど大切なのでもう1度書きます。

季重なり・季違いはしちゃダメなの?
結論から申し上げます。
ズバリ、「不自然でなければ好きに詠めば良い

「雀蜂」は三春の季語です。ですが、キイロスズメバチは
早ければ3月中に女王蜂候補が越冬から目覚めて、
2週間くらい栄養補給して、営巣場所を探して、吟味して決めます。
巣作りが始まり、早ければ5月下旬には働き蜂の最初の成虫が誕生します。
そして、11月上旬くらいまで活動は続きます。
暖冬でしたら12月上旬も活動してます。

という事は、俳句上の四季の分類に当て嵌めるとこうなります。
春(仲春)、夏、秋、冬(初冬)

また、実際に起きている刺傷事故ですが、
林業関係者の方が雪が積もっている中、
掘り起こして越冬中の女王蜂に刺された事例もあります。

俳人達に問いたい。めっちゃ問いたい。特に否定派の人に。
季重なり・季違いがダメならば、してはいけないならば、
先程のシーンはどの様に詠みますか? そもそも詠めますか?

「山へ行って雪と土を掘り起こして仕事してたら、
越冬中のスズメバチに刺されたんだよ。痛かったけど、
スズメバチに刺されるって大体が7月~9月だろ。
俺さあ、1月に刺されたのなんて初めてだよ。
これ面白いよね。俺、最近趣味で俳句始めたんだけどさあ、
この事を俳句に詠みたいんだよ。どう詠めば伝わると思う?」
この相談を受けて、あなたはどの様にアドバイスしますか
否定派なら「詠むな」、「詠めない」としか言えませんよね?
何故なら季語2つ以上入れてはいけないんでしょ?

皆さんご存知の通り、雪は三冬の季語です。
雀蜂は三春の季語です。
季語を2つ以上入れてはダメなら
「雪が積もっている場所でスズメバチに刺された」なんて句は
絶対に詠めないでしょ? どちらも季語なんですから。
でも、相談してきた人はそれを詠みたいんですよ。感動したから。

個人的には、雀蜂や足長蜂を何時まで経っても蜂の傍題として三春の季語に
分類し続けるのはどうかと思います。そもそも初春はまだ冬眠してますし、
雀蜂、足長蜂は狩り蜂なので、活発に活動しているのは7~9月。
また、そもそも狩り蜂の雄蜂は生まれるのは8月以降、つまり秋
なのに、何故か三春の季語として載っているんですよ。
どう考えてもおかしいでしょ。春はおろか夏すら雄蜂は居ません
歳時記の編集者は蜂の何をどう知ってるの? と皆さん思いません?
三秋の季語にして、女王蜂は別の季語として晩春の季語にしたら?
私はそれ強く希望します。
皆さん、考えてみてください。
「龍の髯」はちゃんと晩夏の季語に分類されていて、
「龍の玉」(龍の髯の実)はちゃんと三冬の季語として
分類されているのですよ。
「桃の花」は晩春の季語、「桃」は初秋の季語として分類されています。
「蟷螂生まる」と「蟷螂」も季節を分けて載せられています。
もうね、歳時記や季寄せもめちゃくちゃ。
幾ら歳時記や季寄せに雀蜂や足長蜂を三春の季語、雄蜂を三春の季語として
載せられていようとも、私は絶対に認めません
ここにハッキリ宣言します。
私は秋の季語として使います
歳時記や季寄せは、自然をなめてる。馬鹿にしてる。
真面目に考えろと言いたい。
分からないなら専門家に聞けよ!って話ですよ。

脱線しちゃいましたが戻りますね。
つい先日、作句歴がまだ半年にも満たない81歳の方から
以下の句について相談を受けました。
「滝壺あたりに虹が出ていた事を詠みたかったので、
滝落ちて独り占めする虹の橋と詠みましたが、
滝と虹が季重なりになるか心配です。アドバイスください」

この書き込み見た瞬間に私は思いました。
詠みたい様に詠めばいいんじゃないの?」と。

案の定、周りがゴチャゴチャ彼の句のコメント欄に
「季重なりが気になる」と書いていました。
私に言わせれば、「だから何よ?」です。
皆さん、考えてみてください。
夏の滝壺の辺りですよ? 虹が出るなんて当たり前でしょ?

私は以下の様にアドバイスいたしました。
ご自身の感動にウソをついてまで
季重なりを避ける必要なんて全くありません。
そもそも季語なんて便宜上、人間が勝手に分類しただけなのです。
自然に存在しているものが季重なりになっている以上、
素直に詠もうとすると季重なりの避けようが無い場合も
往々にしてあります。
なのに無理やり季重なりを避けようとすると、
変な句になってしまうのです。
「自分の気持ちに素直で適切な描写がされている」句が最良なのです。

更に、彼からこの様なコメントいただきました。
「「虹」を「にじ」の仮名にすると季語感が薄れると聞いたことが
あるのですが」
周りがうるさいので、これに対して私は以下の様にアドバイスしました。
結論から申し上げますと、そもそも仮名表記にして薄れさせる必要なんて
全くありません

何故ならこの貴句の場合、「」(滝壺)と「」は
どちらも三夏の季語ですので、薄めたところで夏は夏なのですから。
~中略~
以下、私の所感です。
「滝落ちて」は、枯れていない滝なら凍ってない限り必ず水は落ちます。
また、「滝から何か物や人が流れ落ちてきたの?」との
誤解の原因にもなりかねませんので、「落ちて」は書く必要がありません。
また、「虹」は大抵が曲線を描いていますので、
固有名詞や比喩でないなら、「の橋」は書く必要がありません。
「独り占め」は「独占」に代えると1音節約できます。

残った「滝」、「独占」、「虹」を何とか活かせないか。

時間帯、滝壺付近の虹と作者の位置関係、作者の状態・状況、
僅かに見ている人達の状況や変化等の情報が無い為、
強引ですが3つのケースを考えました。
A:滝に感動があるケース
B:虹に感動があるケース
C:滝と虹の両方に感動があるケース
口語の俳句を文語にして申し訳ありませんが、それぞれ書いてみます。
音は「ね」とお読みください。Aは上五字余りです。
A:滝見入れば靴の音知らず虹は出づ(滝の方が強い)
B:我が足は遠つ滝壺見ゆる虹(虹の方が強い)
C:休日の虹を独占滝の音と(滝(の音)と虹のどちらも強い)

AとBは季語の強弱、Cは季語の相乗効果の例です。
句意が変わっている可能性が高くて申し訳ありません。
私にできるのは、精々この程度です。
博充さんの思いに最も近いのは、きっとCだと私は思います。

そもそも作句歴2年の私にそんなアドバイス求めます?
いいですけど、もっと先輩居るじゃないですか。
私の作風が有季定型の範囲で自由だから、ですか?

最後にもう1度書きます。
季語に尊敬の念は忘れずとも、季寄せや歳時記なんかにとらわれるのは
俳句への冒涜
先人達への冒涜
読者に正確に伝わる様に注意しながら好きな様に詠んでください
初心者だからって遠慮しなくていい

今回は以上です。
ご覧くださりありがとうございました。

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