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「本人がそれでいいなら」の話(4/11の日記)

自分の興味で選んだ授業があった。好きな教授の好きだった授業の延長のような内容でもうとっくに好きになった。

夕方からサークルの練習に行き、友人らと一緒にいろいろやって話して解散した。ここまでは順調だったと思う。

夕食の弁当を買うのに付き合った後、帰りがけに友人が嫌いな奴の話になって、友人はいかに先制攻撃をするかについてを熱弁した。
嫌いな奴の嫌いなところは、口が軽いことと自分の下とみなした者を見下すところだそうだ。しかし、実際に友人がそんな態度を取られたわけでもその現場を見たわけでもない。それなのに「今度会ったときには指摘して煽ってやろうと思う」と言うのだから意味が分からない。人から聞いた話だけで勝手に相手を非難するようでは相手と変わらないのではないか、と友人に言ったらお前とはやっぱり合わないと言われた。私もそう思う。

結局友人も、その嫌いな奴を下に見ているからそんなことが言えるのだと思った。友人がそれでいいなら良いけど、私が話に参加したらちょっと話が変わってくる。被害者になったつもりはないが、私やその他周りを巻き込まないでほしいと思う。何か型にはめて、何にでも名前を求めるから良くないのかな、とも考えた。嫌いか嫌いでないか。友人か友人以外か。同じ考えか違う考えか。何にも当てはまらない間のものをそのまま受け止める方法を友人はきっと知らない。友人は私に「昔の自分を見ているようだ」とよく言うけど、私もこういう友人の姿に覚えがあってやっぱり一緒にいるのがしんどい時がある。一緒にいて自分自身を好きになれないようなら、その人といてもしかたがないと何かの本で読んだ。
私は何かの引用でしか喋れない。

そういえば先日初めてイヤミスというジャンルの本を読んだ。ミステリーは登場人物を覚えきれない印象でなかなか読まないのだけど、これは寝落ちするぐらい熱心に読み込んだ。イヤミスの女王だっけ。格好良い二つ名だな~。

イヤミスと知っていたので、それはまあ納得行かない終わり方を楽しむ本なのだと思って読み始めた。納得は全然いかなかったし、何が本当か結局分からないままだった。
本を読むと大抵無意識に「自分だったら」とか「自分もこの世界に入ったら」と当てはめて考えるのだけど、これはそれすら野暮だと分かっていた。なーんか出てくる人たちの思う幸せがかなっているならそれでいっか~と思った。手を付けられないとも言うのかもしれない。絶対結婚しねぇぞ!とは思った。

結局周りの目を気にしてないように振る舞っておいて周りの評価が気になってしかたがないのだ、というところに行き着いたのだけど、何がどうなって底に行き着いたのかは自分でもよく分からない。
今日の日記何???

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