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まっくろけの話(7/4の日記)

アルバイトが終わって買い物をして帰った。
久しぶりにと買ったバター入りロールパンをトースターに入れたら、得体の知れない姿になって出てきた。他のことをしている間に、なんだか焦げた匂いがするな~ぐらいに思ったが、まさかここまで黒くなってしまうとは思わなかった。トースターを開けた時に声を出して笑ってしまった。今までにパンを焦がして泣いたことがあるので、それに比べたらずいぶんいいなと思った。全部食べた。ちょっと香ばしかったけど、バターがじんわり染みておいしかった。

アルバイトは忙しいピークの時間があって、ちょうど到着したタイミングに当たってしまい、なにがなんだか分かっていないまま業務に取りかかった。大きなミスが無ければいいなとヒヤヒヤしながらこなしていった。

最近やっと長編を読む元気が出てきたので、長い間読まずにいた小説を読み始めた。犯罪の加害者の家族の話で、獄中から毎月届く手紙と一緒に話が進む。
あらすじで気になって買ったのだけど、分厚い本だと一度思ったらなかなか読み始めることができなかった。読み始めたら早い。時間を忘れて読むことが多い。

獄中から届く手紙の文章から、数を重ねるごとに慣れてきているのが分かる。手紙を書くことにも、そこでの生活にもである。だけどどこか時間が止まっているようで、家族への変わらない愛情と、変わらない生活がすごく寂しくなってくる。時間の認識のずれみたいなものが、二人の距離をもっと遠くしているように思った。綺麗でふさわしい言い方が分からなくて難しいのだけど、とにかくあらすじで一目惚れした私の目は確かだったと思う。あとちょっとで読み終わる。

大人になっていろんなことを、今まで知らなかったことをたくさん知って、そうしたらこれまで楽しめていたことを素直に受け止められなくなってきてしまった。知識が増えることは果てしないワクワクがあるし、知的で博識に憧れる私にとってかなり大事なものだ。
しかし、ただでさえ永久連想ゲームの私の頭の中に、新しい知識が入ってきてしまったら脳ミソの格好の餌食だ。ああでもないこうでもない、もしもこうだったら、ここでこれができるんじゃないか、ここってこうじゃないのか、勝手に考えては脱線し、よく分からない結論を自分の中で勝手に導き出す。そのうえあまり信頼できる記憶力ではないので、本当の話と私の中にしか存在しない話がごちゃ混ぜになってややこしくなることもよく起こる。自分でもよく本なんか読めてるな、と思う。最近特にそう思う。

言葉や文化を知らなきゃ本は面白く読めない。だけど知りすぎてもきっと楽しく読めないのだと思う。
中途半端な知識で、フィクションの面白さを壊していく。私は物語に現実を介入させない方法を知らない。知りたいと思う。
パンを焦がすのに偉そうなことを書いている気取り屋です。

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