予告犯

究極的利他。
これを実行できる人間に私は遭遇したことがない。
私も利己的である。ゆえにその存在をまだ肯定できない。
存在するならば、是非とも会って話をしてみたいものである。仏のような人とはこういう人なのだろう。
しかし、それは一般的に自己評価の低さから生ずると考える方が妥当であるため、社会的経済的政治的に優位な人間には求めにくい性質であると感じる。一般的な意味の成功と究極的利他は排反でないにしても限りなく遠くに存在している。ゆえに自分にはできない。資本主義的競争社会に踊らされていると分かっていても目前の競争から逃げられない性格故である。人が自分と異なっている場合、基本は相違点から自らの弱点を見つけ補強するが、唯一の例外とも言えるのがこの究極的利他を実行する人間である。なんというか、仏を目にした時のようなものなのだろうか。理由を考える間もなく涙が出た。

どんなに小さなことでも人のためになるなら行動できる。

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