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ほんのささやかな、ハレとケ

わたしは食べることが好きで、それ相応の食欲も持ち合わせていますので、食べる量もまぁそれなりになってます(だから反省してる)。

いただきもののスイスのチョコレートをつまみながら(自分では買わないし買えない)ふと思ったんですよ。『なんでこんなゼイタクしてるんだろう? いつのまにこんな口が奢ってしまったんだろう?』って。


子供のころは「食事が食べられなくなるからダメ」という理由で、あまりお菓子自体を食べてなかったように思います。
おまんじゅうやおせんべいを食べるくらいかな(当然、量も多くない)。ポテトチップスなどのスナック菓子にいたっては、ほんのたまーーに登場する程度。
なので遠足など大義名分を得たときには、小銭を握りしめて駄菓子屋で真剣に悩んでましたね~。懐かしい。

そんな子供時代を送っていた反動でしょうか。就職し小金を得るようになってから好きなお菓子を自由に買えるようになり、一人暮らしを始めてからはエンゲル係数が右肩上がりになってました。

好きなときに好きな食べモノを食べられる楽しさ嬉しさに、舞い上がってたんでしょうね。それまでは一年に数回行く程度だったファミレスや行ったこともないこじゃれたカフェに、いつでも行けるようになったんですから。
一人でポテチの袋をあけることだって、いくらでもできます。


気が付けば、特別な日に食べるはずだったケーキですら、ランチのセットやコンビニで簡単に買えるようになってました。ちょっとお金を出せば、海外のモノだって簡単に手に入ります。

以前はあんなに楽しくてワクワクしてた『特別』が『日常』になっていました。ありがたいと思うべきか、さみしいと思うべきか……なんて、ちょっとしんみりしてしまったわけです。


なんですが。
先日、毎年恒例の大掃除をしたと書きました。その日だけは、疲れているからということで、特別にほっともっとのお弁当を食べることに決まってます。

普段食べない、この日だけの特別な食事。一年に一回か二回ある程度の特別。どこにでもあるお店だし、金額だってささやかなものなんですが。重要なのはそこじゃないんですよね。
いかに自分が『特別』と思うかどうか。
このご褒美があるから、めんどうな大掃除だってがんばれる『特別』。

なーんだ、まだ小さなことを喜べる自分がいるじゃん、と嬉しくなりました。3000円のランチよりも特別な、一年に一回のほっともっと。安上がりだなぁ(笑)。

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