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「多様性」について、ちょっとグチってみたような話。

欠点?これが欠点だって!?
違うよ…これはみんな個性だよ!

ライナス(ピーナッツ)

「多様性」とは『ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること』という意味です。
「多様性を受け入れる」というのは「あなたはそうなのね。わたしはこうです」を持ったまま、「お互いにそれでいい」と言い合えることのはず。

だから、
強い人がいてもいいし弱い人がいてもいい。
かしこい人がいて、そうでない人もいる。
それぞれ得意分野が違う人、考え方の違う人がいてこその「多様性(を受け入れる)」のはずだと思ってたんですけど。

昨今では、ノイジーマイノリティとサイレントマジョリティが混ぜこぜになっていて、とっても気持ち悪いなぁと感じます。

どっちがエライとかどっちを優先するとかいう話じゃないはずなのに、いつの間にか論点がそこにしか向いてないのが、気持ち悪いなと。

「多数決で物事の方針を決める」ことと、「部分の意見を切り捨てる・やり込める」ことは、まったく別じゃないかなぁ、って。


noteにも、いろんな思考や個性を持った方々がたくさんいて。みんながそれぞれ楽しく過ごしてるはずなのに、侵害されることが万が一あるとしたら、それはとても寂しいことだなぁと思うんですよね。

トガってる人も、まーるい人も、さんかくな人も。
みんなそれぞれいていいのに。

それが叶わないのであれば「多様性(を受け入れる)」とかってウソじゃん。
戦う気概を持たないからこそ、穏やかな状況を望む(偽善者な)わたしはそう思うのです。

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