心理学部心理学科

教養を身につけることの意義

悔しい。某違法サイトで評価の良いレポートが買える。大学・学部別で。
A評価ばかりを獲得している人がいて、羨ましいなと思っていたら、同じテーマでチャットgptに書かせたらまるっきり同じだった。現代社会は便利で、すごい。でもそんなモノに負けてしまうのだろうか。悔しい。成績順で受験資格はふるいにかけられ、負けてしまうのかな。でも実務が始まるとその場でチャットに頼るわけにいかないし、人間性が大事になる資格だと思う。

なので私はここに自分のレポートを残すことにした。評価はわからないけど、自慢じゃないがチャットは一切使用していないことをここに約束します


 教養とは、学問やこれまでの経験で学んだ知識を活かし、より多くの人と接するために使い分ける武器や技に近いのでは無いだろうか。価値観や趣味、思考はそれぞれ異なった人と接する際、ある程度の知識があれば会話も続けられ、相手を理解することもできる。人は生きている限り必ず他者との関わりがあり、それは必要不可欠だ。関わる以上、最低限の礼儀やマナーを持って接することは非常に重要であり、また新たな知識の発見もその関わりの中に多く存在する
教養とは、人間関係をより良く、円滑にしたいと思った時に必用なものであると考えられる。
しかし、教養とは定義があまりにも広すぎて、多くの人はなんとなく常識や学歴に近いイメージを持っていることが多いのではないだろうか。そう感じる理由は、私の美容師としての仕事を通した経験からである。私は美容師になりたての頃、働く上で必要なのは専門的な技術や知識だと考えていた。しかし、実務が始まるとまずはコミュニケーション能力が必要だと痛感した。美容室には性別、職種、年齢、国籍まで様々な方が来店する。そして一対一で一定の時間を過ごし、ライフスタイルにあった提供を心掛けなければならない。自分自身に様々な分野の知識があれば、目の前にいるお客様との会話を膨らませ、居心地の良い時間も提供できたかもしれないと悔やまれることもあった。仕事をする上で専門的な知識や技術は当たり前であり、それ以外のスポーツ、芸術、学問などといった幅広い知識と見解、いわゆる教養を持つことも美容師に必要だと考えた。以前、自分には不必要だと勘違いをし、切り離して考えてしまっていたが、その要因は一般的に美容師には学歴は必要が無い。教養を学問や文化などの、高尚な知識や価値観を指すものだと決めつけていたからである。しかし、教養とは学問に限らず、身に付けた様々な知識や培ってきた経験を、何のために、誰のために、どのように活かすかを考えてこそ活きるものである。身につけることそのものに意義を求めると教養のない人、教養は必要のない職種、などといった差別的な価値観を生み出してしまう。人の数だけ教養があることを知り、尊重し自分を活かすこと。知ろうとする探究心や向上心を持つ思想が教養に繋がっていくと考える。
現在、私は仕事の後に図書館に通い、小学生向けの教養の本を読んでいる。自分がいかに無知だったかを恥ずかしながら感じている。そして、知ろうと思っている。図書館には膨大な数の知識が集まっていて、誰もが平等に「知る、学ぶ」ことを自由に選択ができる。そんなことさえ忘れてしまっていた。今、自分にどれほど教養があるのかわからない。しかし、より多く身に付けたいと考え、行動するようになった。
 社会に出ると勉強で学んだ知識は役に立たない事も多い。現代はネットの普及から、スマートフォンやチャットなどで調べれば多くの知識を簡単に得ることができる。そのため、何か気になることやわからないことがあってもその時調べただけで意味を完全に理解したと勘違いしたままになっていないだろうか。ただ知識を持つだけでは宝の持ち腐れであり、正しい場面で正しく使い分けられることによって言葉に説得力が出る。単に知識が豊富なことをひけらかしても「教養」があるとは言い難い。学習して得た知識は、繰り返し使うことによって活かされ身についていくが、使わなければ容易に忘れてしまう。興味のないことについてはなおさらだ。 好みが別れる分野で言うと芸術だが、絵や作品に対しどのような経緯やメッセージが込められているかを理解した上で鑑賞するのと、全くの無知で鑑賞するのとでは感じ方が違うのは明らかである。例えば、エーロ・サーリネンというフィンランドのデザイナーの作品で、ウームチェアという椅子がある。見た目は赤く、ゆったりとした座り心地の椅子に感じるが、実際は子宮をイメージしている。胎内にいることを連想させるような、心地の良い安らぎをイメージしてメッセージ性をこめた作品だ。その経緯を知った後では、作品自体がまるで別物のように感じてしまうこともあるのではないだろうか。
オークションサイトでヴィンテージのデザイナーズ家具が格安で販売されていることがあった。人によっては宝の様であり、また一方では処分価格で手放される。感じ方も価値観も多種多様な世の中だからこそ、教養を身につけ、正しく捉えていくことが大切だと考えられる。しかし重要なのは教養や経験、知識が豊富なことだけでは無い。興味のない作品を観た時に、なぜそうなのか、どういった経緯なのか知ろうとする意欲が重要なのではないだろうか。その意欲や探究心、より人生を豊かにしていこうとする向上心こそが教養につながると考えられる。 
 最近では、大学生のお客様が来店されると、私は通信制の大学に通っている話をする様になった。レポートのコツや苦労した経験などの話を聞くと、以前は自分とは無縁で興味がない世界だと思っていたが、今では大変興味深く、皆様レポート課題の大変忙しい中でご来店して頂いたのだと、改めて感謝の気持ちを持てるようになった。教養ってなんだと思う?」と、そんな会話をした大学生から指名を頂けるようになった。教養を考えること、知りたいと言う探究心を持ったことによって、確実に私の生活は豊かになりつつある。

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