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「書くこと」について

「筆を認める」という言葉がある。文筆家の皆様なら何度も出会ったことがある言葉だと思うが、その語源を知っている人はあまり多くはないのではないだろうか。ネット検索の1番上に出てくる語源由来辞典によれば、「はっきりとしていることを意味する」と書かれている。漢字との整合性はぱっと見理解できない部分も多いが、曖昧にしていないとかそういう事なんだろう。道が逸れたね。言いたかったことはね、文字を書くこと、筆を持つことは、「自分の考えをはっきりとさせること」なんだ。僕は昔から書くことが好きで、昔から作文なんかは原稿用紙の指定よりも多く書くのが常だった。それが原因で怒られることもあったけれど。毎日日記を書いているのも自分の考えをはっきりさせたいから。これを書いてるのも、それの再確認でしかない。小説なんかもそうだと思う。書いていると、自然と文が頭から出てくる。こんな考え持ってたんだ、って。こういう人に対してこんなふうに思ってたんだっていつも思う。就活最近周りで流行ってるけど、自己PRとかガクチカとやらも全部自分の再確認。曖昧なままで生きてきた人たち向けの初めての自己分析。書くことは、いいこと。書き続ければ、それは足跡になる。自分の足の大きさが変わっているのもわかる。扁平足なのか、重心がどこにあるのか。ぜんぶ見れば分かる。愛犬が死んだとき、泣いた。泣きながら書いた。その時の気持ち、轢かれた猫みたいなつぶれた声が、残ってる。読み返すと今でも思い出す、あの時の気持ちを。友達を亡くしたときに消しちゃったのがきっかけ。愛憎列車ってエッセイに書いたんだけど、試合の前の日、僕は彼女と手の甲にエールを綴った。お風呂で消すから、明日の朝また書いてね、約束だよって。その子は来る途中に死んじゃったから、薄く残ったマッキーの筆跡だけが残った。書いたから残った。綺麗な文じゃなくていい。これみたいに、溢れた感情にまかせて、等身大の自分を書けばいい。それがあなたなんだ。そのあなたは、ずっと生き続ける。思い出したくないかもしれないけど、その時の言葉が死んだあの子との唯一の繋がり。思い出なんて曖昧なものじゃなくて、あの子がこの世界に生きたっていう真実。そして今書いているこれが、僕の等身大で、生きてきたしるし。明日僕が死んだら遺作になる、毎日そう思いながら、お気に入りの万年筆で日記を認める。書くことは、生きるということ。何もない僕だけど、ここに標があるから、これが墓標だね。みんなも良かったら書いて。毎日少しずつでもいい。発表しなくてもいい。ただ残すの。手書きでね。選んだ言葉、焦りを感じる筆跡。ぜんぶあなた。あなたは生き続ける。心とかじゃない、確かなこの世界で。

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