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フラワーデモ京都に行ってきた

2020年2月11日(火・祝)にフラワーデモ京都に行ってきた。著者にとってはじめてのデモだった。体の芯まで冷えるような寒い日だったが、大きな音が苦手な著者としては、静かなデモだったのではじめてのデモにちょうどよかったと思う。印象深く、そしてこれからの友情を感じさせるような人々と出会えたデモであった。

実際に参加してみると、デモって相互的な創造の場で、その場にいないと絶対に理解できないものだなと思った。その上、その相互的な創造性がより深いプロテストを生み出していた。そのことについて書いてみる。言うまでもないだろうけど、一応明確にしとくと、手を握る云々は比喩だ。


大海原に出よ、優しい顔が照らされる一瞬を見逃すな、そして手を伸ばせ

フラワーデモでは希望者がスピーチをする。灯るのか灯らないのかよくわからない蝋燭の火のようにか細くはじまる。どこに向かうのか。弱々しい蝋燭の光を頼りに、我々の船は大海原に出て行く。夜の帳があたりを支配し、その頼りない蝋燭のまわりのみが照らされている。少し進んでもしばらくはなにもわからない。それでも誰かがオールを漕いでくれている音だけが響く。ある瞬間、蝋燭の光がぼおっと大きく膨張し、オールを手にした人間の顔が見える。相手とじっと見つめ合う。それは自分と同じ人間の顔で、どこの誰かわからないが、この船に乗り続けるためにたいへんな苦労をし、ひとりで耐え忍び、それでも我々のために船を漕いでくれている。炎が大きくなるのは一瞬で、すぐに闇が戻ってきてしまう。しかし我々は同じ闇には戻らない。オールを手にした人間の顔を知っているし、顔を見た瞬間にその人間への友情と敬意が芽生えたのを知っているから。闇の中にもうひとり仲間が確実にいる。我々はその仲間の手を握りたいと思う。我々は仲間の手を握る、あるいは握らない。

フラワーデモに参加して、一番驚いたことは、創造の快楽もあったことだ。誰かがスピーチをし、傾聴すれば、そこには本や映画を鑑賞することで得られる快楽が発生するだろうということは想像できる。曖昧糢糊とした現実が知性によってより良く見えたときの快楽だ。フラワーデモではさらに、文章を書いたり、写真を撮ったときの創造の快楽も発生した。そこに実際に存在する人が話し、それを聞くことで、手を握りたくなり、実際に手を握れるということだ。端的に言えば、知性的な言葉に触れることで、燃え上がったエモーションそのままに行動に移せるということだ。考えてみれば、その場に相手も自分もいるのだから当然できることなのだが、実際に経験してみるとその創造性の強力さをひしひしと感じた。無論、スピーチをしてくれた人の勇気というはじまりの光がなければなにもないのだから、その創造性は格別のものである。

デモに参加するというのは、どんな目的であろうとも、能動的に場に作用し、その快楽を享受するということだ。存在することの強烈さで光を放つ。自己という存在を他者に知らしめて、その存在で他者の知覚空間を撹乱する。自分の存在を持って、他者の主観的世界に侵入すると言ったらいいだろうか。そのパワーは対象としてデモ参加者、非参加者を選ばない。言うまでもなく、それゆえデモは、暴力的で、快楽的で、祝祭的である。

そうした他者と繋がる力は参加者のスピーチを通じて強くなる。我々は外に躍り出て、デモ非参加者のみならず、デモ参加者同士も、我々が普段安住している主観的世界を衝突させあう。さらにフラワーデモでは、スピーチという、より直接的で、より能動的な行為を通して、相互主観的な世界を構築する。そこで我々は肝を冷やしたり、ドキドキしたり、危険な言葉を垣間見ることもあるわけだが、その一方で、スピーチの後に声をかけたり、見つめ合って話をしたり、握手をしたり、ハグをしたりする。我々はより深く肉体的に精神的に繋がる。友情の芽がうまれ、新たな可能性が芽吹く。性暴力反対のデモでこのような肉体性の伴う営みが行なわれている。デモに参加し、肉体と共に存在を知らしめるだけでも大きなプロテストだが、スピーチによって広がる創造性でより深い、性暴力へのプロテストになっている。

スピーチを聞くだけでは、受動的すぎるのではないだろうかと思っていたが、実際に足を運んでみると、そこでは相互的な広がりがあった。経験してみないことには大抵のことは理解できないが、デモは本当にその瞬間そこにいなければ、その本質を理解できないものだと思った。

それから、デモの話をするときは、そのデモ外への影響を語りがちだが、デモ内のダイナミクスこそ経験を必要としているものだと思った。

(ここまで書いて気づいたけど、ここまでのことは新たな発見ではあるけど、著者のもともと持っているデモ観を補強しただけのものやな)

フラワーデモのメイク、祝祭的に装う

著者はデモを祭りだと思っているので、メイクにも趣向を凝らした。褒めてくださる方もいてとても嬉しかった。

当日やったメイクはこんなかんじ。

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目尻に花を散らした。

使ったコスメ。結構汚い。

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このエチュードハウスのシングルアイシャドウに主役を張ってもらった。

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だいぶ前にGinaの付録でついてきたフェイスカラーにも活躍してもらった。他にも何色かあって、全部発色がよくて可愛い。なくなったらどうすればいいかわからない。実際にもうなくなったり、グズグズになって捨ててしまった素晴らしい色のフェイスカラーもあり、著者は事あるごとにそのフェイスカラーのことを考えている。

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前日に練習したときのメイク。こっちはこっちで評判良かったので貼っておく。

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