憧れる生活ってありますか?
映画内での憧れの生活ってある?
「映画の中で営まれている生活で憧れのものはある?」
と電話の向こうで友人が言った。
友人のお気に入りは「パターソン」だそうだった。
私もこの作品は劇場で見た。愛と平穏に満ち溢れた詩人の一週間を静かに描く作品だ。この友人以外にも好きだと言う友人がいる。丁寧に営まれる生活には惹かれるものがある。
さえぼう先生が評するように、身体的に書くことが丹念に描かれているのも見ていて気持ちがいい。その友人は歌を詠む人だから、そうした部分にも共鳴したのかなと思った。
床に置かれた固定電話に憧れる
著者の憧れる生活は、エリック・ロメール作品で営まれるものだ。パリか、もしくはバカンス先で、気持ちの良い風の中で、話しまくる。80年代のビビットな色使いとリラックスしたシルエットの服で身を包み、愛を育む。もしくは、愛を破壊する。愛を目撃する。愛を探し求める。シンプルで平穏と見せかけて不安で満たされた愛の生活。
一番好きな作品は「緑の光線」で、世界で一番好きな映画でもある。
ロメールの映画の描写でどうしようもなく惹かれるのは「床に置かれた固定電話」だ。エリック・ロメールの主人公たち(ほとんどが女性)はよく電話で話すのだが、それが床に置かれていることが多いのだ。説明するのにとてもいい画像を見つけた。
この写真は上記のブログのものである。
写真を見てもらうと、六人中二人が床に置いてあるのがわかるし、もう一人はベッドの上、さらにもう一人は膝の上だ。
固定電話なのに軽やかなのだ。よくあるように、決まったスペースがあるわけではない。主人公たちは無造作に床に固定電話を置き、頻繁に電話をかける。たいてい愛の用事で。
これはエリック・ロメールの主人公の多くがそうであるように、彼らが社会の中で根無草であること、居場所がないこと、いまだなにもかもが定まらないことを示している。
その一方で、電話をしようと思えば、ベッドに寝転がりながらでも手を伸ばせるその距離は、現実と干渉することの軽やかさ、能動性、遊び好きな心が現れている。
現代のスマホであれば、もっと軽やかに電話できるだろう。だが、固定電話であるからこそ、主人公たちが社会の中でどうも居心地の悪い気分をしていることが伝わってくる。
著者は、エリック・ロメールの描く、床に置かれた固定電話の、不自由さと自由さにどうしようもなく憧れている。
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