Lorenzo Senniについて

最近ハマっているのだけど、初めて聴いた感想としては「リズムが無いな」だった。
シンプルに音楽として欠落している、欠陥だと思う理由でそう思った。

自分は、音楽には「エモ」と「グルーヴ」が無ければ現代人には聴いてもらえないという偏見をずっと持っていた。
というのも、世の中に憚る有名な音楽のほぼ全てが情緒に関係した音楽であり、リズムがある、ドラムが拍を刻んでいるからだ。
だから、Lorenzo Senniはその偏見から言えば、音楽として欠落していると言わざるを得なかったんだけど、札幌で行われた「irori」に出演して以降、欠落しているのはLorenzo Senniではなく俺の信念だった事に気付かされた。

というのも、「irori」で流れた音楽は、とても良い意味で、ビートレスからそうじゃないものまで満遍なく流れていて、それでいて心地よく満足感があった。
ひょっとすると、他の人たちもそうだったのだろう。そう信じてる。
「エレクトロニカ」という言葉、その言葉の持つ共感覚という種類の「エモ」だけがそこで表現されていて、「グルーヴ」はその種類のエモーションの表現形式に過ぎないというような。
これは自分から見てだが、一歩進んだ価値観を見せつけられているかのような衝撃があった。
そして、そういう風に音楽にアプローチしている人達がいた事にも、それを楽しめる人達がいた事にも衝撃があったし、うれしかった。

その体験を通して、自分の欠落した信念を前に再びLorenzo Senniを聴いて、ようやくこの音楽の真価に気付く事が出来た。
Lorenzo Senniはむしろグルーヴィな音楽だという事に気付かされて、その音楽に対するミニマルな切り込み方も非常に面白いと思ったし、そしてエモーショナルだとも感じた。
自分のイメージとしては、大分陳腐な事を言うかもしれないが、モーツァルトみたいな音楽の時代に現代の電子楽器、PCを一式置いて行って、それが現代に戻ってきた時に入ってたmp3(wavでもaiffでも良いけど)みたいな感じ。
途方もない分解と再構築の賜物に思えて仕方ないという事。

終わりというものは、いつだって、どんなものにだって平等にやってくる。
自分の好きなものの終わりとか、自分のモチベーションの終わりとかもやってくる。
それを打開する為に一たびすべて終わってみるというやり方と、今回みたいに自分の無意識化にまで堕ちてしまった信念をもう一度考え直してみるというやり方もあったという感じの話。
それと、「irori」の話も出来て良かった。
どう言葉に落とし込めばいいのか分からなかったから。

ありがとうございました。


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