むなしさ

最後の中南海に火を点けて、恋人からのラインを無視して、この文章を書いている。無性に死にたい時がある。

今日がそうだ。

中南海は、ネットの友人がお土産でくれた京劇デザインのあんまり日本じゃ手に入らないもの。この1本を吸い終わったら、もう人生で吸うことはないだろう。そんなものをろくに吸いもしないで風に流させて、こんなものを書いている。だれが読むんだかわからないけれど、文章は読ませるためだけにあるんじゃないと思う。
あ、火が消えた。
心を整理するのに、私は文章という方法しか知らない。書くことしか出来ない。才能もないが、それでも書かないと心に詰まったもので窒息しそうになる。

原因は何?と聞かれることがある。

大昔に補導されて、どうしてこんなことをしたのと聞かれた時。死にたいと吐き出した時。
あほらしいと思う。
説明できるなら、死にたいなんて思わない。夜遊びもしないし、親のお金を抜いたりもしない。なんでこんなに虚しいのかな。疲れているのかな。

でも十分に寝ているのは不安だ。
はっと目が覚めた時、窓の外が明るくて、青空の下で小鳥が鳴いていると、私は何をしているのだろうと思う。
健康になったからだと体力があるくせに、ただ無為に寝ているのもつらい。

守りたいものなんてたくさんある。だから働き、だから生きている。
ふわふわが家にいて、働けない母が家にいて、新卒で大変そうに働いている恋人がいる。
生きていかなくては。

でもそれの影のように、死にたいとただ漠然と思う。

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