好きを伝えたいんだ
「ふてぶてしい」
小さい頃、そう大人たちに言われてきた。
当時は意味がよくわかっていなかったが、なんとなく
「あぁ、もっと愛嬌があって、素直な子が可愛がられるんだな」ということは大人たちの表情からひしひしと感じていた。
それに、私のふてぶてしさを毛嫌いする人は多かった。幾度となく「生意気だ」「感じ悪い」と怒られた。
そして私は幼心に誓った。
ー良い子になろうー
ただ、一人でも多くの人に好きになって欲しかった。
褒めて欲しかった。
私は笑顔で挨拶して、なるべく謙虚でいて、時に冗談を言って、面白くないことにも手を叩いて笑った。
友達のお母さんを見つけたら、遠くから〇〇ちゃんママ〜!と叫んで駆け寄って…
そうしたら、褒められるかな?
確かに、確かに褒められた。
良い子だねって言われた。
でも…なんだろうこのモヤモヤは。
そんなモヤモヤを抱えるうちに、私の「ふてぶてしい」時代を知る人たちに何度か再会をして、驚いたことがある。
あの時、何も言わずに見守ってくれていた人たちが、口を揃えて
「変わったね。もっと生意気で可愛いかったのに。」
と、言うのだ。
意味がわからなかった。
どうやら、生意気でふてぶてしい、そんな私を面白いと興味を持ってくれていた人がいたようだった。
知らなかった。
私は知らなかった。
そのままの私でよかったんだ…
それを知ってから私は、ずっと狭間にいる。
良い子と本当の自分の狭間。
ふてぶてしさ全開で、これが自分だって、安心したい気持ちと、良い子の第一印象の良さには敵わないよな…という気持ちに挟まれて身動きが取れない。
昔、「人は見た目が9割」なんて本が出て
ドラマ化までしたような気がするけれど
その「見た目」には、第一印象みたいなものが多く含まれているような気がする。
もちろん、清潔感や身だしなみ、ある程度の顔面偏差値みたいなものも含まれているんだろうけど
そんなことより、よく笑う、とか
腰が低い、とか
そういうぱっと見で醸し出された内面みたいなものが多くを占めている気がする。
良い子作戦により私が手にしたものは、
第一印象の良さ。
初めましてで嫌われることはあまりなくなった。
でも、これにもデメリットがあって
第一印象が高ければ高いほど、後が辛い。
よほどの興味深いギャップがなければ、好感度は下がる一方なのだ。
だって、つまらないから。
良い人って、害はないけどつまらない。
当たり障りもない。
つるんと丸い泥団子みたいな
ざらざらした面白い手触りもなければ
凹凸もなくて、
コロコロと簡単に転がるから
だれも手に取らずに人々の前を転がっていく。
社会からは好かれるかもしれない。
人間は、当たり障りのないものを好み、
虫を排除したがるから。
でも、でもさ、
私は虫じゃない。
嫌われたって良いじゃん。
きっと好きな人はいるよ。
ふてぶてしい私を。
そういう好きでいてくれる人はね
好きって大きな声では言わないんだよ。
ただ、そっと見守ってくれてる。
何も言わずにそばにいてくれてる。
それだけでいいじゃん。
それって凄いじゃん。
なんで私はあの時、私のことを嫌いな人たちの言うことを聞いてしまったのだろう。
なんで、私のことを好きって思ってくれる人に気づかなかったのだろう。
悔しい。
だから、私は、好きって言いたい。
私はあなたのここが好きだよ!
素敵だよ!って
なるべく伝えたい。
アメリカに生まれればよかった。
素敵な人を見かけたり、素敵な服を着てる人がいたら、見知らぬ人でも声をかけたり
喜びのハグをしたり
挨拶のハイタッチがあったり
好きを伝えるってすごく大切なこと。
それは相手のためにもそうだし、
そして自分を見失わないためにも。
そして、好きに気づくアンテナも大切。
好きは、シャイだから
自分から手を挙げて現れたりしない。
だから、ちょっとの好きを感じ取る高機能アンテナを身につけて。
私はなるべく人に好きって言う。
そして好きを受け取る。
嫌いは聞こえないふりをする。
ふてぶてしい自分を愛して
でもこの体験から手に入れた良い子モードな自分もきっと本物だから、それも大切にして。
無理しない程度に使い分けて。
結局、1番自分を好きでいられるのは自分なんだよね
みんな自分自身のことで精一杯だから。
自分を愛するためにも、人に好きって伝えたい。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?