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Tifosi Giapponesi 成長期(Tifosissimo. 2013年号より)

セリエAのテレビ放送やインターネットがなかった時代、日本のカルチョファンはいかにして情報を得て、活動を行なっていたのか? 現在、『Club Napoli Nippon』で活動するMicioさんに伺った。


TV放送がなかった時代

― 試合を観る方法

アメリカの録画サービス会社にナポリの試合録画を依頼し、毎月ビデオテープを発送してもらって観ていました。

アメリカではRAIの中継で全放送がカバーされていましたので、イタリア語実況の映像が観られ、日本語実況よりも却って面白かったかもしれません。

現地観戦。これが最上の手段でしたので、仕事を辞めてはシーズン終盤の数か月を追ったり、バッグ一つで弾丸ツアーをし、カップ戦だけ見て帰る、ということを繰り返しました。

観戦ツアーなどありませんでしたので、いつもフリーでアウェーバスや応援列車でウルトラスと共に移動したりして、ゴール裏での応援・観戦。

たまには役員さんからメイン・スタンドに入れてもらいましたが、やはりサポーターと一緒に応援しながら見るのが最高の楽しみでした。


― いかにして情報を得るか

日本のサッカー雑誌全てを購入し、編集部に手紙を書いたり、直接編集部を訪問したりもしていました。

記者さん達の外部打ち合わせに混ぜてもらったり、現地で撮った写真をいただいたり、何故そこまで親切にして下さるか不思議なほど親身に色々教えて下さいました。中でも冨樫洋一さんはナポリでの観戦について便箋5枚に渡って教えてくださり、ナポリ行きを手助けして下さいました。

サッカー人気のない頃でしたので、記者の方々も反応があるのが面白かったのかもしれません。

それだけでは不足でしたので、イタリアより週刊グエリン・スポルティーボを年間購読し、辞書を引き、映像を見ながら何とか現地サポーターと同程度の情報を得ていました。タイムラグは有り過ぎましたが、当時のグエリンは写真も素晴らしく、サポーター情報も載っていたので夢を膨らませるには最高の雑誌でした。


― 仲間と巡り合うには

とりあえず大きな試合、特に海外からの選手・クラブを目の前で観られるということが貴重でしたので、遠方からでしたが観戦しにスタジアムに足を運びました。

その際、何故かプーマの営業さんから声を掛けられ、私と同様な人たちが集まっている所があるから、と東京プリンスホテルに連れて行ってもらいました。

そこで同性の方々に声を掛けたのが仲間探しの第一歩。

知り合った方の更に知人・友人、と少しづつ仲間が増え、今でも付き合っています。中にはイタリア90の際、イタリア現地で知り合った方もおります。

あとは、雑誌の読者投稿欄に投稿。古典的な方法ですが、インターネットがない頃ですのでこれが一番現実的でした。

クラブ応援というよりは、ドイツ代表とかブラジル代表を応援する、といったグループがありましたが、ナポリ好きも少々いて、手紙でやりとりしたり、実際に会ったり、ナポリでの観戦チケット購入を手助けすることもしました。

規模が小さいだけで、やっていることは今とあまり変わりませんね。

 

― カズの存在

ナポリに加入したわけではないので特に関心を持たず…。

キングと言えば「ディエゴ・マラドーナ」です。(笑)


ダイヤモンドサッカー時代

― ダイヤモンドサッカーの影響。

日本国内の唯一の楽しみではあったけれども、サッカー・ファンを増やす役目は果たせていなかったのではないかと思います。

好きな人の為の番組であって、入り口になれたかというとそうではなかったかも。マラドーナを知る前は番組の存在を知りませんでした。


― 中田英俊の影響、中村駿介の影響

ナカタのセリエA移籍は、イタリアではサッカーというイメージのなかった日本が注目された一大事件!

デ・ラウレンティス会長制作の映画にもナカタがゴールを決める実況放送や日本からのファンの様子が描かれています。バレージ、マラドーナ本人が出演している映画ですから、本当に面白い事象だったのでしょう。

街を歩くとナカータ、ナカータと言われ、パオロ・カンナヴァーロもいまだもって「日本人のサッカー選手といえばナカタ」と答える程。サッカー以外に「毎日変わるファッションも面白かったねw」とも…。

中村駿介は、ナポリっ子のFacebook上、公式ラジオ上でのコメント見ると“マーケティング要員”という評価。ナポリで中村の名前を聞いたのは、マッザーリ監督の口からだけでした。「私はナカムラを知っている」

日本、アジアについてのコメントを求められると必ずナカムラの名を出していますね。


― トヨタカップの影響

サッカー人気のなかった時代からチケットが完売するビッグマッチ。

世界レベルを観たいサッカー・ファンにとっては重要な大会。

この大会の為に集まるサッカー・ファンは多かったので、仲間を見つけるのに最高の場でした。それでもサッカー協会に電話すると発売日を教えてくれたり、まだのんびりしていたかもしれません。

が、ゲーム内容はイマイチなのが多く、やはり現地でホーム&アウェイにしたほうが盛り上がるな、と何度か感じました。

サポーター的には「東京で応援を!」というのが夢だったりもしたようですが、私の応援対象のクラブ(ナポリ)が来ることはなく、非常に残念でした。


― 選手との距離感

広報責任者次第で距離感が随分変わるようです。

マラドーナ時代の広報責任者は1987年の初訪問時から選手に会わせてくれたり、練習場への入場許可証をくれたり、来日時はチームに同行させてくれたので、非常に親しく話すことが出来ました。マラドーナと自由に話せる環境というのが、地元ファンには信じられなかったようですが、日本でサッカー人気がなかったのも幸いでした。

サッカー観戦ツアーもない頃に20歳の女性が単独で行ったせいもあるかも?

中でもマラドーナが一番フレンドリーで自宅電話番号を教えてくれたり、呼んでくれたのには驚きました! 彼と広報責任者はどちらも小さくて、仲が良く、フレンドリー。

現在(2013年)のナポリの役員でフレンドリーと言える人は副会長ぐらいかもしれません。

スタッフ達は警備員でさえもかなりフレンドリーですが、現広報責任者の記者やファンへの扱いも評判は宜しくありません。人情味がない、と熱いナポリっ子には不満です。

何かあったら直接副会長に電話しなさい、と記者達からアドバイスを受けたました。

そんな中でも(元)キャプテン・カンナヴァーロの対応はいつでも最良です。

日本のクラブからのメッセージに対しユニフォームを送ってくれたし、練習後でも試合後でもいつも変わらず笑顔で対応してくれます。

ナポリの現地サポーターは熱すぎるので、距離を置かないとまずいのはわかりますが、たまには一般への練習公開をしてガス抜きでもすべきだとは思います。

他のクラブがどうしているかよく分かりませんが、やはり昔程ではないようです。

公式ラジオやTwitter上で質問に答えたりと、選手とサポーターが近寄ろうとしているのは分かりますが、やはり目の前で実際に会うという行為は特別なもの。

今期は監督が変わり、練習を公開する動きもあるとのことで皆期待しています。

 

― ファンクラブの存在

現地には町内ごとにクラブがあるような状態だったけれども、日本で仲間を探すこと自体が困難だった時代。

結成希望者はいたものの、連絡を取り合うのが困難。集まるのが大変。クラブとしては動かず、個人的に会ったりしていた状態でした。

結成して現地スタジアムに横断幕を出すことを夢見たものの、一人で日の丸を出すのが精一杯。

遠い国からのサポートは選手たちにとって心強いかと勝手に解釈していましたが、実は一番喜んでくれたのは一般市民でした。

応援歌にも郷土色があり、サッカーの応援=街の応援ということを実感しました。


インターネット創生期

― ブログ、ホームページの出現

「インターネットでクラブ本部にメールが送れる!」と喜んで送信したものの、返信がきた試しがなし…。ナポリだしね、と諦めました。(笑)

そのうち経営が破綻して手作り感溢れるホームページになった時は泣きました…。

試合の結果等は直ぐに知ることが出来たのは何よりでした。

現地のファンとリアル・タイムで電話して喜びあいましたが、電話代が大変なことに!

自分では別ジャンルのホームページを作っていました。


― オフ会は存在したのか?

  別ジャンルのオフ会はかなり盛んだったので、サッカー関連もあったのではないでしょうか。掲示板でのやりとりが主流でしたね。

  友人がインテルのファン・クラブを立ち上げていました。


SNS時代の到来

― SNSの威力

現地ともリアル・タイムでやりとりが出来る! 選手、役員、スタッフ達にメッセージが送れる! 誰でもニワカ記者になれる!選手たちまで情報発信。

良くも悪くも情報拡散が速過ぎて、記者達は休まる暇もなくなったようですが…。


― Facebook、Twitter、mixiが出来て、どう変わった?

国内外での仲間探しが楽になりましたが、楽しすぎて大変なことになりました。時差があるので、起床がはやくなりましたし、書き込みしてると寝不足に。

イタリア語以外で検索したニュースをアップしていたら、気づいたら情報発信者になっていて、友人リクエストは膨大に!

ふと気づいたらニュースのネタになったり、アップした写真が現地の新聞に載っていたり、インタビュー依頼が来たり、様々な要望やメッセージが届くようになり、大変忙しくなりました。

でもおかげでどこの国、街にも仲間が出来て助けられています。

北京でのスーペルコッパ前にはfacebookで北京在住のナポリ人と知り合いになって訪問しましたし、そこを拠点にするナポリ・サポターにも会えました。

更にサッカーからピッツァ業界の仲間が増え、互いにサポートし合うようにもなり、世界が広がっています。

結論、仲間と国内外移動距離が飛躍的に増えました!

 

現在

― 現在のカルチョファン事情について、どう思う?

私の場合は多分現地サポーターとの接点のほうが多いので、見えていない部分も多いと思いますが、Twitterを見ていると、対立する複数クラブを応援している場合があるのが気になります。

サッカー好きとして色々観るのは問題ないけれども、応援となると違ってきます。

日本でやっている分にはいいけれども、現地でそのノリでやられると真剣に応援している人達に失礼になるので気を付けてほしいところ。

ナポリの応援をし始めてから現地で何度も何度も聞かれるのは、何故このクラブを応援しているのか、ということ。

最初にナポリに行った際、皆歓迎してくれましたが、子供たちは次々と質問を寄越しました。イタリア語が分からなくても気にせず声を掛けてくれたのは有難かったですが、まるで検定試験。

「今年のメンバーと背番号言ってみて」

「今までで良かったと思う試合とゴールは?」

「どの選手のどんな所が好き?」

「ナポリが更に強くなる為に誰が必要だと思う?」

「ナポリのサッカー以外に何を知ってるの?」

子供たちはイタリア語の良き先生になってくれましたし、民族ダンスも教えてくれ、勿論、サッカーも一緒に応援しにいき、応援のお手本を見せくれました。

お父さんやサポーターズ・クラブの集まりにもくっついてきて自然に学んでいる姿は印象的でした。

Jリーグもない頃の日本から行った私は、地元クラブをサポートする姿勢にとても心を打たれました。

歓迎しているようで、実はナポリ語で馬鹿にしている場合もありました。

日本人だとはいえ、半端な気持ちで応援するものじゃない、と実感することは多々あり…。

リヴォルノ出身の方が日本に留学に来て言っておりました。

「みちほは、ミランとかユーヴェがCLで試合したら応援するの?」

「しないよ」

「日本人でイタリアのクラブを応援する人結構いるよね。フィオレンティーナを応援してるのにミランがCLで試合をすると応援するよね。あれおかしい。」

「街の文化、歴史を知らずに歌えない、応援出来るはずがない。

サッカーの応援をするにも歴史の勉強は必要だよ。勉強して欲しいよ。」

どんなシンプルなエンブレムにも、そして色にも、街の歴史と誇りが隠されているものです。

今は全てはなくてもテレビで観戦出来るし、ネット経由でリアルタイムで追える

とても恵まれた環境にあります。昔より一試合の重みはないように思います。

百聞は一見に如かず。

サッカーに興味のない父をナポリのサン・パオロに連れて行った際に驚愕していました。

「これは競技じゃない!街と街の戦争だ!」

でも、できれば現地観戦して熱を感じ、クラブのある街にも是非興味を持って欲しいと願います。サッカー観戦ツアーだけでは味わえない物があります。

その為にサポーターズ・クラブは一緒に応援すること以外に、応援するクラブのある街の文化を伝え、現地観戦への協力をしていきたいと思っています。

最近低迷が嘆かれるセリエAですが、街の人の情熱は変わりません。

是非一緒に楽しみましょう!


文・編集/にこにかるちょ

#サッカー #カルチョ #ナポリ #イタリア #Tifosissimo #欧州サッカー

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