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名人、渡辺明

2000-2009

振り返れば、いろいろなことがあった。

20年前の2000年4月、史上4人目の中学生棋士として華々しくデビュー。
しかし、過去3人のように順位戦を駆け上がることはできなかった。

C2に3年、C1にも3年留まった。
C1の1年目は9勝1敗。このわずか1敗で昇級を逃す。3年目、8勝1敗で迎えた最終局。すでに竜王の地位にあり、逃すことが許されない2度目のチャンス。しかし完敗を喫し、体育座りでうなだれた。直後、競争相手の敗戦による幸運な昇級を知る。

B2は10戦全勝で駆け抜けた。B1に達し、ようやく名人位が視界に入ってくる。この年、佐藤天彦と豊島将之が三段リーグを抜けた。

B1の1期目。実力も勢いもある。ここも全勝で駆け抜けるはずだった。しかし「鬼の棲家」が許さない。6回戦を終えてまさかの1勝5敗。5敗目の翌日はショックと発熱で寝込んだ。そこからは意地を見せて6連勝。だが、通過にはやはり3年を要した。

2010-2019

C2の初参加からB1の通過までに10年を要した。とはいえまだ25歳。A級棋士最年少にして永世竜王。時は2010年4月である。ここから名人挑戦までなお10年を要すると誰が予想したであろうか。

タイトル戦で羽生世代と次々に激突。A級でも毎年勝ち越しを果たす。しかし序盤で星を落とし、挑戦権争いに絡めない。一進一退のまま6年が過ぎた。

2016年10月3日、A級順位戦。竜王挑戦を決めた三浦弘行の手が冴えわたり、渡辺はこの期も痛い2敗目を喫した。数日後、「ソフト不正使用疑惑」がマスコミを巻き込んだ騒動となり、渡辺は渦中に身を投じた。よりによってあの三浦がそんなことをするのだろうか。そこまで言うからには、よほどの確たる証拠が存在するのではないか。棋士も、ファンも、将棋に関わる多くの人々が疑心暗鬼に陥り、数ヶ月の間暗澹たる思いで過ごした。そして不正を示す具体的証拠は何ら出てこなかったのである。この騒動に絡んで将棋連盟の谷川浩司会長は辞任、理事3名が総会で解任されるという大混乱となった。1人の棋士人生を台無しにしかねない事態である。最終的に謝罪と和解をしたとはいえ、「告発者」渡辺に対する風当たりは尋常ではなかった。その後、渡辺は以前のようには勝てなくなっていく。

2018年3月2日、A級順位戦最終局。渡辺と復帰した三浦が共に4勝5敗で残留をかけて対局。この一局を制したのは三浦だった。渡辺は次の名人と目される立場にもかかわらず、A級棋士の地位を喪失。これ以上ない惨めさ。屈辱。

この2017年度は21 勝 27 敗と棋士人生初の負け越し。かろうじて棋王を防衛したものの、代名詞というべき竜王位を失っている。渡辺明はどん底だった。周りを見渡せば、ソフトにより刷新された序中盤の感覚が将棋界を席巻していた。自玉を固めて猛攻する渡辺スタイルの支持者はどんどん減っていった。広瀬章人、糸谷哲郎、菅井竜也、中村太地。自身よりも若いタイトルホルダーが次々と誕生した。遥か後方にいた弟分の佐藤天彦が名人位を連覇していた。そして棋界の太陽たる存在も、羽生善治から、自身ではなく、次の天才少年に移っていくようだった。名人は、名人位には、もう届かないのか。

竜王戦のあとに来年は巻き返したい、と言ったもののさらに悪化してる印象で、打つ手が無くなってきた、という感じです。この負けっぷりが一過性なのか、はっきり力が落ち始めてるのかはこの1〜2年ではっきりするんでしょう。前者なのを祈りつつ、打つ手が無い中で模索したいとは思いますが、白星が集まらないことには何が今の自分に合ってる(戦法、取り組み方)のかも分かりません。負けては変えて、負けては変えて、で元に戻る、という負の連鎖が今の状態です。こんな時、将棋にもコーチがいれば、とは思いますが、自分で考えて何とかするしかないんですよね。
2018年3月3日「渡辺明ブログ」

私は渡辺の復活を信じ、またおそらくほとんどのファンも同様に信じていた。棋士が長いキャリアの中で深刻なスランプを経験することはよくある。そして、渡辺のような超一流棋士は必ずスランプを克服してきたのである。大山康晴は升田幸三に三冠全てを奪われ、香落ちでも敗れた。中原誠は五冠王から無冠に転落した。谷川浩司は羽生善治に七冠制覇を許した。羽生善治でさえ、森内俊之に竜王、王将、名人をたった1年のうちに奪われた。しかし、彼らは全員、力強く復活を遂げたのである。

あとは復活のために何をするかである。これは先人の例を見ても人それぞれ違う。風が吹くまで昼寝をするのか、若手に教えを請うのか、主力戦法を変えるのか、生活スタイルを見直すのか。

渡辺明はおそらく変わらなかった。1日8時間のトレーニング。研究、実戦、微調整。体力と体型を維持するためのジョギング、フットサル。息抜きに競馬、漫画、ヨーロッパサッカー。

渡辺明はおそらく変わった。自玉の周りに金銀を集結させる従来の将棋から、全体のバランスを重視する新時代の将棋へ。ソフトとの距離を大きく縮めて。

2018年11月18日 JT杯日本シリーズ優勝
2019年2月25日 久保利明王将を4勝0敗で破り、王将復位。二冠
2019年3月14日 B級1組で12戦全勝。A級復帰
2019年3月17日 広瀬章人を3勝1敗で破り、棋王防衛。7連覇。
2018年度年間成績 40勝10敗(.800)

先日の竜王戦で年度内の対局は終わっていますが、この年齢で連勝、勝率のキャリアハイを出せるとは思ってもいませんでした。さすがに来年度も同じように勝てることはないでしょうけど、下げ幅を少なくしたいですね。
2019年3月29日「渡辺明ブログ」

2019年7月9日 豊島将之棋聖を3勝1敗で破り、初の棋聖奪取。三冠
2019年11月17日 JT杯日本シリーズ優勝。2連覇
2020年2月27日 三浦弘行を破り、A級で9戦全勝(順位戦21連勝)を達成。名人挑戦権獲得
2020年3月17日 本田奎を3勝1敗で破り、棋王防衛。8連覇
2020年3月26日 広瀬章人を4勝3敗で破り、王将防衛。2連覇
2019年度年間成績 41勝15敗(.732)

王将、棋王のダブルタイトル戦は何度か経験していますが、今はソフト研究による理詰め度が増して、必要な事前準備の量が4~5年前とは違い、同じ過密日程でも以前より大変だったように思いました。AIが出てくる前は序盤の研究といっても限度がありましたし、正しいかどうか分からない研究をそんなにやっても仕方がない、という意識を棋士が持っていたと思います。
2020年4月1日「渡辺明ブログ」

勝って勝って勝ち続けた2年間。最後は若干調子を落としながらも三冠を堅持し、A級全勝を達成した。

2020

豊島将之名人に挑む名人戦は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により開幕が大幅に遅れた。そして同時に開幕することとなった棋聖戦では、ついにあの藤井聡太が挑戦権を手にした。渡辺は、年下の天才棋士2人を相手に二正面で戦うこととなった。

6月8日 棋聖戦第1局 渡辺●-○藤井 
接戦の終盤、読み合いに敗れ、初戦を落とす。

6月10-11日 名人戦第1局 渡辺○-●豊島
中終盤のねじり合いを制し、こちらは先勝。

6月18-19日 名人戦第2局 渡辺●-○豊島
中盤でリードを奪われる。混戦に持ち込んだものの逆転できずタイに。

6月25-26日 名人戦第3局 渡辺●-○豊島
序盤で大失敗。懸命にバランスを保ち、追い込むも届かず。

6月28日 棋聖戦第2局 渡辺●-○藤井
藤井に名手△3一銀が出て、以下ペースをつかめず完敗。

7月9日 棋聖戦第3局 渡辺○-●藤井
カド番。朝から尋常ならぬ気合をにじませて登場。開始2時間で74手進むという異例の進行に。抜かりのない研究から正確無比の寄せで意地の1勝。

7月16日 棋聖戦第4局 渡辺●-○藤井
終盤、藤井が飛車を見捨てて渡辺玉を縛る。この手が読めておらず、無念の失冠。

7月27-28日 名人戦第4局 渡辺○-●豊島
懐かしい脇システムの攻防。接戦の中、豊島が玉の逃げ方を誤った。タイに戻す。

8月7-8日 名人戦第5局 渡辺○-●豊島
後手番、飛車先を決めてから異形の四間飛車。作戦は失敗気味であったが、徐々に盛り返して最後は受け切り勝ち。

藤井に初タイトルを許し、またこの間、王座戦挑戦者決定戦でも敗退した。渡辺も豊島も過密日程が続いているが、どれもタイトルの得喪につながる重要な将棋ばかりである。名人戦第5局は、お互いフラフラになりながら本能で技を繰り出すような将棋であった。だが兎にも角にも、名人位に王手をかけた。

8月14日 名人戦第6局 初日
先手番の渡辺は、名人位奪取のかかるこの一局を矢倉で戦うことにした。対する後手豊島は「米長流急戦矢倉」で対抗する。古くからある戦法ではあるが、通常の手順と少々異なる駒組をして工夫を見せる。飛車先を伸ばすことよりも端歩を突くことを優先して自玉の危険度を下げ、また先手に好形を許さない。その後は各所で小競り合いが起こる展開となったが、豊島がうまく立ち回って厚みを築き、封じ手の局面では渡辺の先手の利は消えたように見えた。

8月15日 名人戦第6局 2日目
渡辺が力を見せたのは2日目の午前中であった。十分な攻撃態勢から筋よく仕掛けてくる豊島に対し、73手目に「利かし」となる垂れ歩を設置。後手玉に嫌みをつける。続いて75手目、桂取りを放置して踏み込んだのがうまい手であった。豊島は先に桂得したが、渡辺玉は堅く、他方で自玉周りの金銀がやや乱れてしまう展開となった。手番を得た渡辺はすかさず攻め掛かり、午後に入るとさらに踏み込んでと金を作り、飛車を切って豊島玉に食らいつく。近年「バランス重視の将棋」がほとんどになっていたが、これは渡辺の必勝パターン「堅い、攻めてる、切れない」である。「切れない」というところがポイントであり、凡百のプレイヤーならば息切れになってしまうような攻めを絶妙の手順でつなげ、相手玉を仕留めてしまう。まさに渡辺明の真骨頂。豊島は1時間を超える長考で逆転の手順を模索したが、渡辺の99手目を見て投了した。ついに名人、渡辺明の誕生である。

名人、渡辺明

渡辺明は生まれながらにして将棋の才能を備えていた。そして自分の実力を常にクールに見極め、驕ることも卑下することもなく磨き続け、期待に違わぬ実績を残している。

また、一貫してファンサービスに熱心である。2003年から続くブログでは棋士の日常生活をオープンにし、勝っても負けても冷静に対局を振り返る。棋書の執筆、イベント出演、解説者としても引っ張りだこ。口を開けば理路整然とした明快な解説、ツボを熟知したトーク術。王将戦の「勝者罰ゲーム」では誰よりもインパクトのある写真を残す。人間将棋に呼ばれれば、イケメン棋士を相手に「将棋は顔ではないことを教えてやる!」とアジって喝采を浴びる。

ちょっと躊躇しそうな役割も、もったいぶらず深刻ぶらず、明るいノリでこなしてみせる。渡辺明は、時代が求めていた軽やかなスターだ。そして、スターの人生も決して順風満帆ではないという事実さえも、ありのまま隠さずに見せてきた。ブログ、インタビュー、著作、自戦記、観戦記。渡辺明に関する記述は夥しく、誰でも棋士人生を容易にたどることができる。

手痛い逆転負けがあった。連敗が続く日々もあった。タイトルを失うことも、順位戦で降級することもあった。ファンサービスで発信すればするほど、批判も誤解もあった。よかれと思ってとった行動が、将棋界に深刻な打撃を与えたこともあった。

その日々は、誰もが経験する人生の起伏と同じである。努力、成長、勝利。迷い、敗北、後悔。成功も失敗も消えることはなく、一つ一つを受け止めて、現在地からベストを尽くすことの繰り返し。我々と同じく、渡辺明もきっと迷いと悩み多き人である。格好良いことばかりではない。だからこそ我々は声援を送る。

名人位は、長い道のりの果てにある至高の地位である。米長邦雄49歳、加藤一二三42歳、升田幸三39歳。渡辺よりも時間のかかった新名人は少なくない。そして、みな数多の成功と失敗を経験しつつも、歩みを止めなかった者である。そう、「続ければ人生」。

振り返ればいろいろなことがあり、気がつけば20年の月日が過ぎていた。本日、実力制第15代名人として渡辺明の名が刻まれたことを、私は心から喜びたい。

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