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憎めない贅肉

体型の話はいつになっても悩みが尽きない。個人的には、痩せていても、普通でも、グラマラスでもある程度健康が保たれていて自身が気に入ってればいいんじゃない、と思っている。
それでも、美の世界に痩せを必須としないというトレンドに安心する。
痩せればきれいになれるよと言われても、食べたいものは好きなだけ食べたいし、甘いものは我慢できない。
なんなら間食もしたい。みんなでおやつをたべながらなんでもない話をする時間が大好きだ。ああ、なんて幸せ。

痩せ賞賛疾風に吹かれながら思春期を送ったが、痩せていないことに対しての後ろめたさはあっても痩せたいというモチベーションはゼロだった。
努力も目標という燃料がなければ始まらない。

痩せ重視の風潮に対して、グラマラスな体型が「良いじゃん!」と言われて始めた時期が一番肩身が狭かった。
痩せてもいないし、かといってグラマラスになるには食べるモチベーションが足りない。
好きなものを苦しくまで食べると、はらぺこあおむしの話を思い出して切なくなってしまうし。

体型管理なんて言葉を聞くけれど、体型を自分の意思で変えるには相当な強さが必要だ。
結局体型に関するこだわりが薄いのに世間体を気にしてしまう。どこにも行けない所在のなさ。

体型に対する意識の高さが少しずつ緩和されてきてから、痩せていない後ろめたさを感じることも少なくなった。
おなかの贅肉を見てもまあいいかと思えるし、暇なときにぽよぽよつついているのも楽しい。
ズボンのふちに乗っかる贅肉が、全然憎めない。

結局、体型に対して予想される人の目が、言葉が嫌だっただけであって。
誰にも批判されたくないという気持ちが「痩せていない後ろめたさ」に変換されていただけだ。

体型とは関係ないけれど、世の中のこだわりっていっぱいある。
理想的な母・父親像、過度な"きちんと"賞賛ほか数多。
世の中のこだわりが手放されたとき、楽になることは多いんだろうな。
世の中のこだわりに自分も左右されてしまう。
自分はどうしたいんだろう?世の中の熱狂に自分からハマりに行かなくても大丈夫だよと思って過ごす。


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