「自分らしさ」探究の軌跡
コーチングマインドを広げたい!
コーチングマインドで繋がるあたたかい循環をもっと巡らせたい!
この世界に希望を!平和を!そんな思いで活動している、Keikoです。
今日は、私のビッグテーマの一つである「自分らしさ」について書いてみようと思います。
コーチングに出会ってから、いや、コーチングに出会うもぅずっーと前から、私は「自分らしさ」というものについて考え、葛藤してきました。
だけど、ようやく最近、「自分らしさ」の探究が一旦、一区切りついた。「私には、私らしさがある」という感覚になりました。そんな、イマココを残しておきたいな。と思います。
このnoteは、「自分らしさ」を手に入れたいと強く願いながら、同時に、「私には自分らしさはない」と強く思い込んできた、わたしのこれまでの軌跡です。
はじまり、はじまり。
「自分らしさ」がないという痛み
私は幼い頃から、なんとなく、「自分らしさ」が私には無いと思いながら生きてきたと思います。
小学校低学年の時、「折り紙ケース」が流行ったのを覚えています。みんなが持っている折り紙ケースが欲しかった私は、家に帰って、買ってほしいと頼みました。
私:「ねぇ、ママ、折り紙ケースが欲しい」
母:「どうして?今も折り紙入れるものあるじゃない」
私:「みんなが持ってるケースがいいの!!」
母:「みんな?」
私:「うん!みんな!」
母:「みんなって?みんなが持ってるから欲しいの?」
私:「そう!本当にみんなもってるの」
母:「みんなが持ってるという理由だけなら買えないよ。どうしてほしいの?」
私:号泣!!!!!
こんなやりとりを、私は小さい頃、折り紙ケース以外でも、何度も繰り返していました。(みんなしてた?私だけ?)
最終的には私が粘り勝ちして、手に入れていたけれど笑、母は、いつも、直ぐには受け入れてくれませんでした。
もう少し年齢が上がって中学生になってからも、私の選択はいつも、「みんながやっているから」「みんなと一緒がいいから」それだけでした。部活も遊びも、好きなファッションも。
「みんなじゃなくて、けいちゃんはどうしたいの?どうするの?」と、
今思えば、コーチングに近いような問いを、母からずっと受けていました。
だけど、私は、いつも答えられなかった。
みんなと一緒が本当に良いのに。
「どうしたいの?」という問いが、この頃の私にとっては、むしろ否定に感じていたように思います。
今思うと、「みんなと一緒がいい」の奥には、「仲間はずれにされるのが怖い」という思いがあったり、「いろんな子と仲良くしたい」という願いがあったりしたのでは、と思いますが、当時の私は少しずつ、こんな思い込みを始めた気がします。
私には、個性がないんだ。「自分らしさ」がないんだ。
誰も教えてくれないなんて、ひどい。
どうしたらいいの?
20歳を過ぎた頃からは、将来のキャリアやライフステージについて考えていくことが増え、余計に、「自分らしさ」が無いことを突きつけられるようになります。
その結果、「自分がどうしたいかわからない」という、そのことを自分自身で責めてきたようなそんな気がします。
「自分らしさ」が、生きるためには必要なのに。分からない。
「自分らしさ」って?
度々、人生の岐路に立った時に、「私らしさ」ってなんだろう?と思いながらも、答えはさっぱり出ずに、忙しい日常に流されて、時は経ちました。
「自分らしさ」を外側に求めて
しっかりと「自分らしさ」に向き合うことができるようになったのは、やっぱり数年前にコーチングに出会ってからです。
「コーチングに何を期待していますか?」
「コーチングを通して、どんな自分になっていたいですか?」
私の答えはいつも、
「自分らしさ」がわかっているようになりたい。
でした。
必死に「自分らしさ」を見つけようともがき始めました。
コーチングを通して、思考の整理がしやすくなった私は、「分からない」という状態から、言語化が進み、「あ、もしかして私にも自分らしさがあるかも」という風に思うようになりました。
ただ、本当の意味で自分の内側を見つめるのではなく、外側に意識を向けた状態で、「自分らしさ」を探していました。
この頃の私は、
「人と違うことをした経験」🟰「自分らしさ」
こんな思い込みを持つようになりました。
一般的に就職活動をしている人も、この思い込みトラップにかかっている人はたくさんいるという印象を受けます。
もちろん「人と違うことをした経験」に焦点を当てていくことは、「自分らしさ」の入り口にはなっていきます。
例えば、私が自分で好きだった「人と違う経験」は、
中学生の時に短期で、大学生の時に長期で留学に行ったこと。
みんなが就活する中、大学院進学を選択したこと。
大学職員として働いていた時に経験した、あれこれ。
などでした。
「お!私にも自分らしさあるじゃん!」
一瞬、ホッとしたような気持ちになりました。
だけど、この入り口だけで、「自分らしさ」を理解したつもりになっているのは、実は全然本質でじゃありませんでした。
次第に、「自分らしさ」を持ち続けようと思うと、「人と違う経験」を、「なんか特別そうに見える経験」をし続けないといけない。
私は今度、この思いに囚われ始めました。
普通の会社員じゃなくて、フリーランスの方が特別っぽい。
日本にいるだけじゃみんなと変わらないから、海外に行くとよいのでは。
旅行なら誰でも行けちゃうし、海外長期滞在経験があれば特別なんじゃないか。
コーチを目指す過程でも、「私らしい」コーチングを届けるには、
私をコーチとして選んで貰えるように、何か特別なことに挑戦し続けないといけない。
人と違う特別なことをしなければ、私にらしさが伝わらず、魅力あるコーチになれない。
いろんな呪いに縛られ始めました。
「具体的な出来事」「経験」に焦点を当て続けていても、そこにあるのは、「他者との比較」でした。「経験」「できごと」に「自分らしさ」を求めても、結局似たようなことをしている人は必ずいるし、自分よりもさらに上をいくように見える人が必ず現れます。
何かの世界でトップを取る!
それくらいの強い思いがある人なら良いけれど、私は「一位」になりたいわけでは無い。ただ、「私らしく」いれたらよかった。どうしたら、楽になれるんだろう。
なんか、、、しんどいな。
「自分らしさ」があれば、もっと楽に生きられそうな気がするのに。全然楽になるかんじがない。
結局、外側に「らしさ」を求めても、私は、落ち着くところは見つかりませんでした。コーチングを受けても、受けても、なかなか「自分らしさ」の探究は終わりませんでした。
🎵
小さい花や大きな花ひとつとして同じものはないから
ナンバーワンにならなくても良い、もともと特別なオンリーワン
🎵
まだ、この歌詞の意味を本当に理解することはできていませんでした。
「自分らしさ」は内側にあった
2023年4月から、私はコーチングを受けるだけではなく、コーチングを学ぶようになりました。「自分らしさ」の探究はまだ終わっていないし、終わりも見えていなかったけど、だからこそもっと自分を探究したいと思ったし、「コーチになりたい」「コーチングを広めたい」と思ったからです。
コーチングを学んで衝撃だったことの一つに、「クライアントが話している具体的なことは、極論どうでもいい」ということでした。
ここだけ聞くと、え?という感じですが、
コーチングという場で話を聴くというのは、単に話を聞くのではなく、クライアントが話している具体的な言葉に囚われすぎず(評価判断せず)、その奥にある願いや思いに耳をすませることだと、私は、理解しています。
分かりやすい例だと、口では「大丈夫です」と言い、顔も笑っている😊、だけど何となく体が強張っていそうだったり、本心で言ってる感じがしないような気がする。と言うようなことを感じ取る。ということです。
この意識が大切なのは、目に見える言葉や感情に現れるものは、私たちを構成するほんの一部だから。ここに気付けないと、コーチングの意味があんまりありません。普通の会話とおんなじになってしまいます。
最初は、分かるような、分からないような〜。掴めたような、掴めないような〜。そんな感覚でいました。
ただ、コーチとして、この意識を向け続けることで、私の中に少しずつ変化が起こっていったと思います。
コーチとして、誰かの人生に触れさせてもらう。クライアントの奥にある想いや願いに耳を澄ませよう。と意識をすることで、「あぁ、具体的な話や経験だったり、目に見えてる感情って、人のほんっの一部でしか無いんだな。」と、頭でわかると言うよりも、身体で体感するようになりました。
とうてい分かり尽くせない、言葉では言い表すことができない、一人一人の元々備わっている特別さを感じ、信じていくことができるようになりました。
こんな風に、コーチの経験を少しずつ積んでいく過程で、私のクライアント体験もますます濃いものになっていったと感じています。自分の感情に耳を澄ませ、心の奥底の願いに触れていく。このことがスッとできるようになったし、この経験を繰り返すことで、私は、「自分らしさ」は、もぅここにあるんだ。と思えるようになりました。
「私らしさ」を作る必要なんてなかった。
私に「らしさ」が「ない」はずなんてなかった。
めちゃくちゃ頑張って見つける必要も無かった。
生きて、日々いろんなことを感じている。
もう、そのこと自体が「私なんだ」
そんな風に思うようになりました。
誰かと違う特別なことをしていなくても。
一見、平凡な日常に見えても。
何事も成していないように見えても。
それでも、「私は、ただ、私なんだ」
そんな風に言語化せずとも感じたあたりから、私は、「自分らしさ」ってなんだろう〜。とあんまり考えなくなっていました。
🎵
もともと特別なオンリーワン
🎵
気づいたら、自然と口ずさんでいました。
そんな私は今、もはや全ての感情、行動が、「私らしい」と思います。今書いているこのnoteこそが私らしいと思うし、私にしか書けないです。
同じように「自分らしさ」をテーマにnoteを書いてる人はいると思うけど、今、私がここに綴った通りに書いた人は1人としていない。ここまで全く同じ感情を感じ、葛藤を辿った人は誰1人としていないから。
「自分らしさ」と共に
「自分らしさ」の探求の旅路は、一旦区切りがついた。そんな風に感じています。
だけど、一旦と書いたのは、また次のフェーズがもう見えているからです。
これからは、私は「自分らしく」ありながら、「誰か他の人と共に」生きていくことを探求していきたい。そんな風に思っています。
それは、家族であり、パートナーであり、友達であり、仕事仲間であり、繋がる全ての人とです。
自分1人ではなく、誰かとの関係性の中にある「私」。
このことを思うと、まだまだ色々な感情が湧いてきます。
「誰かの誰からしさ」も維持しながら、「私も私らしくいる」そんな世界がまだ私にはどうしても難しく見えてしまうんです。
だけど、みんな一人一人が「その人」を生きていける世の中があると同時に強く信じています。
どんな未来が待っているんだろう。引き続き、探求してみよう!
最後に
最後まで読んでくださってありがとうございます。
今、あなたは何を感じていますか?
どんなことを思っていますか?
その、湧いてきた気持ちこそが、「あなたらしさ」そのものです。
その気持ちが、言葉になっていなくて大丈夫。
その思い、感情は、絶対に誰にもとって変わられません。
今、刻一刻と移り変わっていくあなたのその気持ちそのものが、あなたの人生で、たったひとつの物語です。
もし、あなたも、「自分らしさ」が分からなくてもがいているのならば、ぜひあなたの気持ちをじっくり、味わい切って欲しいです。味わいきったその先には、きっと、あなたが求めていた答えに出会える瞬間があります。
感情を味わい切るって?一人じゃできない。
そんな方は、ぜひ一度、コーチングセッションを受けてみてください。
「あなたらしさ」の探究、一緒にしていきましょう😊
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