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みんなの「できる」が自分は「できない」

おそろしいほどに何もできない。できないことに対してできることの数が本当に少ない。なんか、今までの人生、エラ呼吸なのにずっと陸で活動させられている感覚だ。

みんな横一線で初めてのはずなのに、自分だけできないことが多すぎる。幼稚園での図工の時間から今に至るまで、何度このシチュエーションに遭遇したのか分からない。一緒に自動車教習所に入学した友人は、自分より四ヶ月早く免許を取得していた。

コンビニに行って、店員さんがレジ打ちやら公共料金の支払いの手続きやらをしているのを見ると、「自分だったら絶対にあんな手際良くはできないだろうな」とちょっと考えて、「自分がもしコンビニバイトだったら…」を想像して憂鬱になってしまう。コンビニで働く気なんてないのに。

こういうことを言ってると、「できる」側の人は、「最初はみんな出来なくて当たり前だよ!」と慰めてくれるが、「できない」側の人間からすると、「最初にしても出来なさ過ぎだろ!」ってぐらいにできないのだ。学校行事からバイト、役所の手続き、さっき書いた自動車教習所での授業まで、色んな失敗をしてきて、色んな人に迷惑をかけて、白い目で見られてきた。そりゃ、成功することよりも、いかに迷惑をかけないかだけを考える人間にもなる。

自分の「できない」エピソードで最も思い出したくないのが、実家で暮らしてた頃、母親からコンビニでのおつかいを頼まれた時のことだ。

パンやお菓子の他にコーヒーも買ってくるように頼まれていた。普段、コーヒーは飲まないのだが、コーヒーの容器は冷凍コーナーにある氷の入ったカップを買い、それにレジ横のコーヒーマシンからコーヒーを入れることは知っていたので、「これぐらい自分にも出来るぞ」と意気揚々とレジで商品を通した。

しかし、コーヒーマシンの操作が全く分からず、奮闘の末、結局、店員さんにやってもらった。あの時のコーヒーマシンはスーパーコンピュータのようにも見えた。

これだけでも情けない話なのだが、今度はコーヒーのカップを閉めようようとして失敗、コーヒーを床にぶちまける。先程、コーヒーマシンを操作してくれた店員さんに今度は掃除させて本当に申し訳なかった。

「もうコーヒーなんてコリゴリだぁ〜!!!」となりながら家路につき、母にずいぶん量の少ないアイスコーヒーを渡して頭を下げた。怒られはしなかったが、ホットコーヒーを頼まれたのにアイスコーヒーを買っていたことが発覚した。何も出来なさ過ぎて自分で自分に引いてしまった。冒頭でコンビニ店員なんて出来ないと書いたけれど、自分は、売る方も買う方も出来ないのだ。

ちなみに、この記事は夕方に投稿する予定だったが、保存してたデータを誤って消してしまったのか見つからず、一から書き直してこの時間になってしまった。何だったら出来るんだ俺は。



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