「優しくする」以外に武器がない人間
小学校の卒業間際、クラスメイトのいいところを書こうみたいな企画があった。男子からは、「おもしろい」「ゲームに詳しい」「一緒に遊んでくれてありがとう」など書いてもらえた一方、女子からは、「優しい」「優しかった」のオンパレード。
アホなので、「女子から好印象だったわ!ヨッシャ!ヨッシャ!」ぐらいに思っていたが、今になって考えてみると、女子から男子への優しいってだけの評価は、「特になし」と同意なんだと思う。
実際、この時の女子たちが僕のことを優しいと思ったかどうかは、男友達の連絡先も全然知らないような状態なので知る由もないが、自分は、「優しい人間」ではあると思う。学生時代はみんなが嫌がる掃除のゴミ捨てを率先してやってたし、バイト先のシフトもよく変わってあげてたし、落ち込んでる人がいたら1ミリも下心なしで「どしたん話聞こか?」と言おうと思ってる。
なんで他人に優しくするのかというと、取り柄がないからだ。性格の悪いイケメンには恋人が出来るし、性格の悪い金持ちには人が寄ってくる。けれど、性格の悪いブサイクな貧乏人なんて誰も相手にしないから。
自分のようなこれといって長所のない人間は、他の人よりも優しくしないと存在価値が見出だせない。優しさは、自分にとって唯一の強みであり、他人に対して思いやりを持っているというポーズをすることで、自分の存在を正当化しているのかもしれない。
でも、世の中は性格良い人と悪い人って「50・50」のイメージだけれど、基本的にみんな優しいんです。分からないことを聞いたら教えてくれるし、電車で足踏んだら謝ってくれるし、財布を落としても結構な確率で持ち主に戻ってくる。そんな中、優しさをストロングポイントだと思ってた自分って、「Google検索が出来ますよ!」ってアピールしてるスマホと同じレベルなんだ。
しかも、イケメンなのに性格まで良いみたいな、ホームラン打てるのに盗塁までする山田哲人みたいな奴もいる。こちらに勝ち目がなさ過ぎるので、イケメンは市役所の待合室で当たり前みたいな顔してカップ麺を食ったり、2024年に会社の同僚にビリーズブートキャンプをオススメしてうっすら煙たがれる人間であってほしい。
こんなこと考える奴が優しい人間を自称していいのか。
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