普通の人より知識はあるけどファンを自称できるほど詳しくはない

Twitterといえば、自分の意見を自由に発信できる場所。思ったことを、好きな時間に、自由に投稿できるのがTwitterの魅力なのだが、最近は昔ほど気軽にツイートができなくなってしまった。

自分と共通の趣味の人間を簡単に見つけることができるのもTwitterの魅力だ。好きなアイドルグループやアニメの作品名を検索すれば、いくらスワイプしても見切れないほど大勢のファンが表示される。

教室の目立たないところで好きなアニメの話を2〜3人の信頼できるオタク友達とコソコソ話していたリアルすみっコぐらし時代を考えると、手軽に自分の意見を発信して、リアクションが返ってきて、ファン同士で情報を共有したり出来る、すごくいい時代だ。

・・・いい時代なのだけれど、その自由なTwitterを窮屈に感じる瞬間がある。投稿する直前にこう思う。

「このツイート、"ガチ"のファンの人からどう思われるんだろう?」

自分は、好きな芸能人とか趣味の数は人並み以上にはあるけれど、どれもこれも知識量も熱量も薄いものばかり。胸を張って好きだと呼べるものが少なくて、にわかファンにすら達しているのか怪しいものもある。以前、「絶対にハマらないと思ってたものにハマる」という記事を投稿したことがあるのだが、何というかそのハマり具合が浅いのだ。そして、その程度の知識量、熱量で、広大なTwitterの海に自分の意見を放ち、不特定多数に拾われるのが怖い。

学校やバイト先なら偉そうにベラベラと語れる。なぜなら、その規模の知識カーストでは自分がトップだから。それがTwitterになると自分より詳しい人が絶対にいる。自分より愛が深い人が絶対にいる。そのコンテンツや人に人生を捧げてる人が絶対にいる。そんな人達の目に触れる可能性もあることを考えると、何だかツイートを審査されるような気分になり、「ツイートする」のボタンを押す気になれず、結局、ツイートそのものを投稿することなく削除してしまう。

「古参」という言葉は、揶揄される時に使われることが多いけれど、やっぱり古参はすごい。自分は、あらゆる分野においてオタクを名乗れないライトなファンなので、グッズをたくさん買ったり、イベントに足しげく通ってきた人達に憧れや尊敬がある。そして、同じぐらいそういう人達に対して怖さがある。

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