自分の存在が申し訳ない

「自分みたいな者が申し訳ない」というのがベースにありながら生活している。

自分という存在は気持ち悪くて、自分という存在は迷惑で、自分という存在は異物で。だから、場違いな場所にいたり、人と接する時は「申し訳ない」とか「俺は、ここにいてもいいのか…?」という気持ちでいっぱいになる。この感覚になったことがない人って、たぶん存在を好意的に受け入れてもらえてきた側なんだと思う。どうか、そのまま幸せな人生を歩んでほしい。こんな感覚絶対に知らなくていいので。

自分の場合、ドッジボールのチームや修学旅行の班を決める際は毎回残り物の扱いで、入学早々「自分、気持ち悪いで」と一度も喋ったことない女子に言われ、好きな子を本人の目の前でバラされて露骨に嫌そうな顔をされ、蔑まれてきた経験が多すぎるのだ。こういうエピソードの例って2個でいいのに速攻で3個出てきてしまうぐらい多い。こういった経験を積み重ねれば、そりゃ「自分みたいな者が申し訳ない」というマインドが標準搭載にもなるし、この絶対いらんマインドのせいで行きづらい場所も多数生まれてしまった。

ミスドでドーナツを選ぶあの時間、生きてて一番楽しい時間なのだけれど、ミスドって家族連れが多いから集中できない。子供は眩し過ぎるから苦手だ。子供はこの国の未来、この国の希望なので、国のお荷物おじさんまっしぐらの人材としては、なんだか同じ空間にいるだけで引け目を感じてしまうし、横に並んでてもいいのかという気持ちになる。

北欧系のオシャレな雑貨屋も入りづらい。特に個人経営のお店。狭い店内で、目が合う店主から「キモい客来ないでほしい」とか思われていないかと不安になって、青い鳥が描かれたコップや淡い色のランチマットどころではなくなっている。

その点、無印良品って全く「自分みたいな者が…」を発動させないから良い。あの空間に入った時点で、容姿や貧富の差が無効化され、客も店員もみんなが「無印にいる人」になるので、自分みたいな者でも気兼ねなく立ち寄って、膨大な数のカレーを吟味できる。

あと、「自分みたいな者が…」を発動させないのはブックオフ。ブックオフほど周りの目を気にしないでいい場所もない。平日昼間のブックオフなんて、自分みたいな者ではない側の人の方がむしろ浮いてる。ブックオフには、いつまでも俺たちのセーフティネットであってほしい(ブックオフはもっとお金を使ってくれる人に来てほしいと思うけど)。

不慣れな場所にあえて突入して克服するみたいな荒治療もあるが、それが出来るのってある程度若くないとダメだと思う。若くてダサい奴はまだ受け入れられてもらえるけれど、若くてダサくておじさんの奴にはちょっと厳しい。自分も大学生の頃は、京都のオシャレな古着屋さんに勇気を出して入ってみて、コートを手に取って見てたら店員さんに「今、着ているコートより全然似合うと思いますよ」と言われるという京都過ぎる体験とかしたけれど、今の年齢だともうそういうことをする勇気がない。「年齢は関係ない!」とは言えど、おじさんの俺がスイーツパラダイスとか行っていいわけがない。

でも、「おじさんが行く場所」だと思うキャバクラなんかも、「自分みたいな者に接客させてしまって申し訳ない」とか「こんな奴と喋っててイヤだろうな」とか思ってしまうだろうし、楽しめる自信がない。あれは、若い頃から女性と接してきたおじさんだから楽しめる場所だ。イケおじは若い頃からイケてるのと同じ。

「自分みたいな者が申し訳ない」の気持ちにならない場所を追い求めた結果、ブックオフで家電を見たり古着を漁ってるのが一番良い気がしてきた。ブックオフのネガキャンになってたら申し訳ないです。

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