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漆塗り職人、保育士を目指す その9

保育士資格取得のための二次試験。

その言語表現試験の待機中に話しかけた清楚な女性はなんと、12歳も年下のハタチくらいだった。

試験前という事もあり、緊張の中での会話ではあるのだが、とっても相性がいいぞという空気が濃厚に漂っていてトキメク。

これが噂に聞く「吊り橋効果」というやつだろうか。
私も緊張しているが、隣の彼女はもっと緊張しているようで、ため息がふるえていた。
一方の私はトキメキにふるえていた。

そのうち彼女が試験室から呼び出される。

かくいう私にも順番が回ってきた。
まぁなんとかこなした。

次の音楽表現の試験までは1時間以上ある。
休憩室でさっきの彼女に会えないかなと淡い期待をもったが、彼女の姿は見当たらず。

1時間近く時間を潰してから、音楽表現試験の待機室に行く。
ここにも彼女の姿はない。

受験者の数も多く、スケジュールも人それぞれなので会えなくて当然か。

すぐに試験室前のパイプ椅子に呼ばれると、すでに二人が座っている。

試験官による受験番号の確認などを受けている時、先に座っていた二人のうち、奥の人物の服装に見覚えがある事に気がついた。

「白のズボンに緑のカーディガン、、、
さっきの子や!!」

それは試験官の話を聞きながら、視界の端の端で捉えたものだった。

私の顔は試験官の方を向いたままであったが、草食動物さながらの視界の広さで彼女を確認し続けると、彼女にも反応があった。

あの反応は、勘違い野郎だと罵られようとも、「あっ、さっきの人だ。」というものだったに違いない。

その再会に私はバリバリに恋愛を意識してしまい、緊張のあまり座る際に彼女に顔を向ける事が出来なかった。

爽やかに「やぁ!また会いましたねぇ!」とばかりに片手を上げる事が出来なかった自分がにくい。

3つのパイプ椅子の真ん中に一人を挟んで、すぐそこにさきほどの彼女がいるのである。

これはもう試験どころではない。

彼女の順番がやってきた。
室内から漏れ聞こえてくるピアノは、なんというか、まぁ、お世辞にも無難にこなせているという感じではなかった。

試験の緊張もあっただろうが、私に再会した事が彼女の動揺に拍車をかけてしまったのではなかろうか。
もっと言うと、外で私が弾き歌いを聞いている事がさらに緊張感を高めてしまったのだとしたら申し訳ない。

彼女はそっと会場を後にした。
私の順番がやってきた。
まぁなんとかこなした。

それよりも、先に会場を後にした彼女だ。
もしかすると、建物の外で私を待っているかもしれない。

外に出る。

誰もいない。

試験内容に落ち込んでそれどころではないのかもしれない。

これは私が動揺のきっかけでもあるかもしれないので、なぐさめてやる義務がある。

試験会場だった某女子大学は、長い坂の上にある。
坂の方まで行けば、下の方をトボトボ歩いている白ズボン緑カーディガンの子が見えるかもしれない。

坂に出る。

その子はいない。

「いや、坂を降りたところに、、、」

急いで坂を降りる。

道の両側を見る。

その子はいない。

路地裏の窓にもいない。
向かいのホームにもいない。

うなだれて車を停めていたコインパーキングに向かっている途中で、私は大きな過ちを犯していた事に気がついた。

そうだ!坂の下しか見ていなかったが、バスが大学より坂の上に停まっているのを来る時に見ていたではないか!

彼女はそのバス停にいたのかもしれない。
そして私はそれに気づかず、坂を下ってしまったのかもしれない。

やってしまった。

試験会場の外で再会して動揺を隠しながら、「たった今気づきましたよ」という感じを装い今度こそ「やぁ!」と爽やかに片手を上げるシミュレーションをしていたというのに。


その日、私は喪失感とともに日曜の午後を過ごした。





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