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80歳夫婦イタリア絵画旅行記 (11)

【イタリア・あの愛しい人達に】
カスティリオーネ・オローナ

(2)マソリーノ・ダ・パニカーレ

「受胎告知」  マソリーノ・ダ・パニカーレ
ワシントン・ナショナルギャラリー

 *上の画像・ワシントン・ナショナルギャラリー所蔵のマソリーノ「受胎告知』  (1420年後半制作か?) を見てみると様々な矛盾が見えてきます。画面構成や遠近法の不確かさなども然りですが、私が一番気になるのはマリアと天使の衣装の表現の違いにあります。
 マリアの衣装では、右上からの光によって衣の襞の凹凸を表すため、強い陰影で立体的表現がなされています。それに反して天使の方は、大胆な図柄を用いた平面的・装飾的な表現がなされています。こうした表現の差違はマソリーノの絵には随所に見られます。

 上記のように一つの絵の中でも、こうしたことが良く見られますが、それには制作時期による変化を強く感じさせるところがあります。マサッチョ(1401〜1428年・28才で夭折) と共作したのが1424年として、その前と後との違いが顕著に見られるのではないでしょうか。

「聖母子」  マソリーノ・ダ・パニカーレ
ドイツ・ブレーメン美術館 1423年作
(写真資料:I MAESTRI DEL COLOREより)

 マソリーノ・ダ・パニカーレ(1383〜1440年)が画家として登録したのは1423年(40才)とか、(それ以前のことは定かではないようですが) その年に描いた最初期と言える*上の画像・ブレーメンの「聖母子」(1423年作) では、衣の表現はなだらかで、立体的な凹凸は穏やかなものです。人体部分を除いて、絵全体がむしろ平明で、優しく柔らかで優美なまでの画風を感じます。

「聖母子」  マソリーノ・ダ・パニカーレ
ドイツ・ミュンヘン(旧絵画館)
(写真資料:I MAESTRI DEL COLOREより)

 一方、*上の画像・ミュンヘンの「聖母子」(??年作)では、光源からの光が強く、また衣の襞の立体的な凹凸、人体の明暗を表す陰影も強く、立体感が強調され過ぎて仰々しくさえ感じます。恐らくマサッチョの影響を受けた後と思われます。 この両作品を見比べてみると、初期とは言え、私は断然「ブレーメンの聖母子」を好みますが…。(写真資料  I MAESTRI  DEL  COLORE 80 Masolinoより)
 こうした絵を通して見ていると、マソリーノの場合、矛盾する表現の違いから大きな違和感を禁じ得ません。職業的画家として各種の表現に際して、或る種、割り切って決めていて、描き分けて行ったのかとさえ思えます。

 さて、このカスティリオーネ・オローナ洗礼堂のフレスコ画群[*カスティリオーネ・オローナ (1) で紹介の画像 ]は晩年近く(1435年) に描かれていますが、画面の剥落も各所に見られ、それもあって、より効果的に、たいへん平面的な表現が大勢を締めています。くしくもマサッチョの影響を脱して、平面性で統一された絵になっていると思います。嘗ての、マサッチョと共作したことで生まれた戸惑いは、この晩年近くにマサッチョと異なる道を歩むことに強い思いを込め、本来の国際ゴシック派へ回帰全うするかのように、強く舵を切っていると思えて来ます。その結果マソリーノ独自の魅力あるフレスコ画の世界が開かれ、ここカスティリオーネ・オローナ洗礼堂で花開いたと思います。
 この洗礼堂の一群の絵に私はたいへん心魅かれます。私のような日本画の立場からすると、何の違和感も無く、抵抗感も無く、たいへん心地良く、身近かで、馴染み深く、また更に様々な表現上の共感を持って見ることが出来るのです。
 フィレンツェのカルミネ教会ブランカッチ礼拝堂におけるマサッチョとの共同制作では、学術的によく言われる両者の対比は確かにそうだと感じますが、本来、両者の進むべき道が元より異なるものだったと思えるのです。

*拙い文をお読み頂きありがとうございました

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