自分の言葉に違和感を感じる

昨日まで自分の心と対話する時に言葉を使おうとしてました。
DaiGoさんの動画を見て「心って動物なんだ」という当たり前の発見をしたので付き合い方を模索中です。

多分、脳を炭素でできたコンピューターくらいにざっくり捉えていたんだと思います。どうりでScanコマンドの応答が無いわけだw

まあ冗談はさておき、自分の感情に違う意味の言葉を上書きして生き延びてきたのは事実で(それを処世術と言っている人に囲まれていた)、違うと思って見てみるとおかしな行動に違和感を感じるようになりました。

自分がコメントを考えている時に違和感を感じる

文章を考える時、色々と誤解がないようにと考えることは普通だと思いますが、見直している時に自分の発言に反撃を許す隙がないか確認している自分がいました。

何のために?… と考えてみると、自分より力が強い者に奪われない対策を怠り、積み上げたものを一瞬で奪われる経験を積み重ねてきたからだと思います。

頭では考えていなくても心が反応しているのだと思いました。
この辺りは裏切りの心理学を学ぶ必要があると感じています。

嘘を付かなくても良い世界が存在することを知ったきっかけ

状況が好転し始めたのは、ある人と出会ったことです。
高卒でコンピューターの専門学校に行った自分にとって、大卒ので裕福な親に育てられた彼女は年下の先生でした。
それまでコンピューター以外に興味がなかった自分が、人間らしい世界がある事を知ったきっかけでもあります。

以前、毒親について書きましたが、自分の両親は人間らしい関係性があることを知らないし、その為になにか努力をしようとも思いません。

自分を含めて殆ど本を読まない人が、多くのことを仕方がない無いと言い訳して、さっき言ったことと矛盾する発言を繰り返して、口先の嘘で生き延びていることもこの頃に知りました。

母のように高齢になってしまうと変わるのは難しいようですが、職場では40代、50代の人でも奪う働き方から、共に増やす働き方に変わる姿を見ています。
自分はそういう環境で生きられる事が望みなんだと思います。

良い事書きすぎましたw

実際は今も人をフラグとしてしか見ていないことが多々あります。
自分が望んでいるものが妄想に思えて信じられなくなる事があります。
だからこそ、動物の部分(心)に浸透させるためにも、関わる人に知ってもらいたいという気持ちを書いてみました。

また来週…

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