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父の人生を振り返り、自分の人生の目標を見直す1週間

今週の目標は、今年の8月末に亡くなった父の人生を振り返り、自分の人生をどう生きるのか再定義することでした。
思い出を振り返りながらブログを書くために、東京タワーの窓際ベンチで書いています。

🐈父は幸せだったのか

父が亡くなるとき一番聞きたかったのは、「自分の人生に満足しているか、幸せだったか」という事ですが、亡くなる大分前から声がかすれて喋れない状態だったので、結局何も聞けぬまま逝ってしまいました。

自分が知っている範囲では、父が生まれたのは戦争中の都内で、空襲のときに焼夷弾の破片があたり、背中に半径10センチくらいの火傷とコブがあったこと。
子供のころ背中にケロイドとコブがあることを不思議に思って聞きましたが本人は覚えていませんでした。

自分が会社勤めをはじめて稀にしか両親と顔を合わせなくなった頃、父の背中のコブから膿が出て強烈な匂いがしたことを母から聞きました。
膿が出てしまったので、病院に行き切開をして消毒をしてもらったけど、傷が治るまで1カ月くらい毎日母が消毒していたそうです。
その時に叔父から焼夷弾の破片の話を聞きました。

父は労働時間以外の事はいい加減で、生活全般もお金の事も母に任せっきりでした。
母はというと自信のなさと自己愛の強さが共存する人だったので、文句を言いながらも全面的に依存してくる父の世話は、それほど嫌いでは無いように見えました。
唯一問題があったのは母に浪費癖があった事くらいでした。

私が物心ついたころ我が家は貧乏でした。
お金がかからず子供が喜ぶ場所として東京タワーにはよく来ました。
子供の足でも歩ける距離にあったので、インドア派の子供に運動をさせながら遊びに行くには丁度良かったようです。
あとは上野動物園、羽田空港、水族館などのお金のかかるイベントは、本当に数えるほどだったと記憶しています。

父の人生を振り返ると、一貫性が無く、仕事に情熱を燃やすという感じでもなく、趣味も特になく、長時間労働することが責任の果たし方という考え方の人でした。
父の時代は設備を24時間稼働させれば最大の生産量になるというビジネスモデルだったので正しいのかもしれませんが、バブル崩壊後の働き方にはついてこれなかった印象が強いです。

亡くなったのは2019年8月、癌が見つかったのが2018年6月で、その後は外科手術と再発の繰り返しでした。

父が勤めていた会社は、バブル崩壊直後に社長が海外進出と製造業からの撤退を考え始め、父は社長と考え方が合わずに辞めて工場を始めたと聞いています。

その後、2018年6月に癌が見つかるまでは自営の工場で毎日働き、とは言え2010年頃からは破産を先送りしているだけの経営状態だったので、癌をきっかけに諦めざるを得なくなったという感じで12月に畳みました。
とても毎日楽しく働いているようには見えなかったし、人生の最後で何もなくなったという印象が強かったです。
その事から、もう少し早く畳んで趣味を見つけるなど、違う生き方もあったのではないかと考えてしまうのです。
会社を維持することに必死で、孫の顔を見る機会も逃しましたし…

とは言え趣味らしい趣味もなかったし、仕事をしながら仕事仲間と釣りなどで遊ぶのが唯一の楽しみだった父にとっては、やりたいようにやって生きたいように生きたのかもしれませんが…価値観が違い過ぎて自分にはよく分かりません。

とはいえ振り返る事で、そこまでひどい人生でも無かったことを感じ取ることが出来たのは収穫でした。

📚読んだ本

今週、父の人生を振り返るにあたって下記の本を読みました。
まずは、あなたのコップを満たしましょう

父に続いて母も体調がよろしくないので、そう遠くないうちに両親ともに失うことになる予感がしています。
兄弟は何となくは分かっていても感情が否定しているようで、現実を見ようとしていません…
そんな中で、「死にゆく人の心に寄りそう~医療と宗教の間のケア」をAmazonで見つけ、より自分の目的に近い本として本書を読みました。

🐈自分の人生について

この週末は社員旅行に行ってきました。
過去の社員旅行は2時間の宴会で自社のメンバーと顔を合わせるためだけに2日を消費するイメージだったので段々足が遠のいていました。

今回は、宴会後の夜、気の合うメンバーだけ集まって話をし、自分たちのしている仕事の事、仲間の状況、どんなことを考えているのか、過去に一緒に仕事をしたメンバーが活躍している事などを聞き、また自分の意見も言って有意義な時間を過ごしました。
以前は何でも高圧的だった上司も、大病を経験して心の修業をしたようでした。

自分はアスペルガーの特徴を持っている事もあって、あまり他人には関心が無いのですが、人生の最後に後悔しないための本を読むと必ず出てくるのが人との関わり、特に家族との関りにもっと時間を取ればよかったという話です。

真面目に働き続け、何よりも仕事を優先していた父ですが、時代の変化についてゆけず、人生の最後には事業を破綻させました。
客観的に見たら最悪の後悔を残す人生だったのでは…?と心配になりますが、振り返ってみるとそこまで酷くなかったのは、お人好しで人との関わりが多かったことのように思います。

父は会社経営はぼちぼちでも、色々な人が訪れてくれていました。
聞いた話ですが、偶々地域を見回っていた銀行マンが、父の勤勉さを見て最初の融資を決断してくれたそうです。
また、製品の品質が悪いと過去の同僚が品質改善に来てくれていたそうです。

確かに金勘定、機械の修理、製品の製造、仕事の効率改善などの新しいビジネススキルには疎い父でしたが、人財という力を持っていたように思います。

自分はというと…人との関わりは苦手ですが、傲慢にさえならなければ嫌われる性格では無いようです。
合理性が大好きな性格(アスペルガー気質のせいかもしれないけど)なので、あるものは活かして人の繋がりを広げてゆきたい、また一度は失った家族だけど、新たに家族を持って心のつながりを学びたい(感じたい?)という結論で締めくくりたいと思います。

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