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amazarashi Live Tour 2023「永遠市」東京ガーデンシアター公演に行った話

11月26日に、amazarashi ツアー「永遠市」東京ガーデンシアター公演に行った。
僕は今までずっとamazarashi好きを自称してきたのだが、実は現地のライブに行くのは初めてだった。
それには言い訳がある。


そう、怖かったのだ。


まず今日に至るまでのことを記そうと思う。
僕がamazarashiをしっかりと聴き始めたのは高校の終わり(2011年)ごろ。およそ12年ほど前だ。その時はまだ、都会で行われるライブに行くのに必要な充分な資金を用意できなかったのが1つの理由だ。若いのだからバイトでもして稼げばよかったのかもしれないが、工業系の高校に通っていたこともあり往復20km弱の自転車通学をしながらレポート作成に追われながら、手近な娯楽とゲームで満足していて、そこまでする気力は無かったのが正直なところだ。
同時にこの頃は、軽音部で組んでいたバンドを勝手な理由で追い出され、その後に組んだBON JOVIのコピバンも、先輩が卒業して活動を終えてしまっていた。僕は気持ちが沈んでしまって、楽しそうにバンド活動をしている同年代を妬ましく思いながらも、ゲームばかりしていた記憶がある。好きだった「コールオブデューティMW2」の続編(MW3)が出て、それを気が狂ったみたいにやっていた。
(ゆえにk4senさんとのコラボや、秋田さんがMW2プレイヤーというのは嬉しかった。)

amazarashiは、兄の友人が教えてくれたのと同時期ぐらいに、よくつるんでいたクラスメイトに教えられて知った。BUMP OF CHICKENとGRAPEVINE、ELLEGARDENで育った僕だけれど、初めて聴いた時は衝撃だった。確か「ワンルーム叙事詩」だったかな。amazarashiの音楽には、明らかな異質感があった。

生々しく尖った言葉で綴られる、美しい文学表現。
泣き叫ぶような、吐き出すような、緊張感のあるざらついた歌声。
ギターとピアノ、不気味さすら感じるコーラス。
BGMとしては聞き流せないような、決して気持ちの良い体験では無かったことを覚えている。

それでも気付けば「0.6」「爆弾の作り方」「千年幸福論」と1枚ずつ聴いていた。BUMPの藤原基央が好きで、どんな曲でも詩を大切に聴くようにしていたが、ここまでの詩世界をBUMP以外で感じたことはあっただろうか。
しかしあのときの僕には、BUMPは優しすぎたのだ。鬱屈とした日々で、僕は秋田ひろむの詩に共感して虜になっていた。

「一生消えない一行を。」
メジャーデビューアルバム「爆弾の作り方」のキャッチコピーだ。この時、僕の心にはまさに一生消えない一行が刻まれたのだった。

それからというもの、amaarashiの曲は僕の生活の一部になった。
僻み妬み、言い訳。年齢を重ねていくほどに顕在化する僕の弱さ、幼児性。
それでも譲れないこだわりや承認欲求。目の前の逃れられない現実。そういうことを考えて心折れそうになるたび、顔も知らないamazarashiの音楽に勝手に共感して、勝手に奮い立っていた。

そうして、いつの間にか彼の詩は僕が生きる上での指標になっていった。
早く手に職を付けたくて入った専門学校は、勉強以外は本当に色々最悪で、当時付き合ってた彼女とも上手くいっておらず、僕も考えが子供だったから、とにかく大変だった。
椎名林檎を崇拝していた彼女は「そういう語彙」で「そういう物言い」ばかりした。僕は嫌われたくなくて、なんでも言うこと聞いてご機嫌を取っていたような気がする。
あの頃の僕は、たぶん頭がおかしかったのだと思う。

全部が嫌になっても、amazarashiだけは聴いて「生きていなきゃ」と思っていた。「なんとか凌いでいた」という感じだった(今思えばかなり甘えた人生を歩んでいるのだが)。

しばらく経って社会人になり、様々な人付き合いの中で頭が冷えた僕は、会社の飲み会帰りか何かの時、駅のホームで突然彼女に電話を掛けて、お願いするみたいに別れたのだっけ。やっていることは最低だけど、物凄くスッキリした記憶がある。その日の夜も聴いていた。

それからもずっと。
仕事でミスした時も。
友達の人生と比較して落ち込んだときも。
大好きな祖母が僕の顔を分からなくなってしまったときも。
家族が亡くなったときも。

嬉しかったとき、落ち込んだとき。
僕の身体の中心を、彼らの音楽が貫いていた。
彼の言葉が、彼らの音楽があったから折れなかった。

しかし、そうしてamazarashiの音楽が自分の中で重たいものになるにつれて、ライブへのモチベーションは逆に下がっていってしまったのだ。

「本物を見たら、聴かなくなってしまうかも」。

何故だか分からないけれど、彼の音楽を生で聴いた時、自分の中の何かが壊れてしまうのではないかという恐怖心があったのだ。

その後数年のうちに、幸いにも再びライブハウスやクラブでの交友関係が生まれ、僕もステージやDJブースに立つ機会が出来たりした。amazarashiが好きな友達もできた。大きな転機だった。(お陰様で今もやれてます。)


月日は流れ、2023年。
コロナ禍という世界史に残る危機を経て、20代最後の年になった。
僕はとにかく停滞感に苦しんでいた。年齢とか年収とか、田舎のコンプレックスや将来のこととか。
色々悩んで、どうしようもなくて、それでも納得しなきゃいけなくて。そんな中で、僕の最初のバイブルであるBUMP OF CHICKENがツアーで初めて長野に来た。奇跡的に、そのライブに行くことが出来たのだ。
この体験が僕を突き動かした。

その後も活動を再開したエルレのアルバムを聴きこんだり(ライブは外れてしまった)、GRAPEVINEのライブに行ったりもした。

なんだか今日までの人生の答え合わせみたいだった。

年齢のせいか、「7号線ロストボーイズ」が痛く刺さった年だった。いつの間にか僕は「amazarashiのライブには行かなくてはならない」と思うようになっていた。

そしてニューアルバム「永遠市」のリリース。コンセプトからも分かるように、秋田ひろむの書く詩も時間と共に変わっていった。それは僕も同じだと思った。もちろん彼らにも揺るぎない部分はあるのだが、それだけの時間が経っているのも確かなことなのだ。

時間は容赦なく、平等に過ぎてしまう。無事に明日が訪れるかすらも分からない。だったらこの目で、この耳で、今の彼らを感じておきたい。
“一人の生身の人間”の「秋田ひろむ」を知りたい。
そんな欲求がどんどん強くなった。その思いに応えてくれたみたいに、チケットを手にすることが出来た。


XAブロック1列。
アリーナ最前列だった。

何度も券面を見直したけれど、決して見間違いなどではなかった。
僕は昂ぶった。
一番前で、彼の歌が聴けるのだ。

会場までは緊張の道のりだった。
楽しみな反面、「ライブが終わったとき、僕の何かが変わってしまうのではないだろうか」という不安も綯い交ぜになり、卒業式の日の朝みたいな不安定な緊張感があった。
会場には大勢のファンが詰め掛けていた。ああ、こんなにも人気なんだな、と嬉しくも少し寂しく思えた。僕の知らないamazarashiの世界があった。


ライブはこれ以上無いくらい、凄まじい体験だった。
「彼らが僕の目の前で歌っている」。
その事実を受け入れるのにおおよそ1曲分の時間を要したけれど、そのあとはもう釘付けだった。彼らの音楽を受け取ることに全神経を集中させた。

気がついたら、襟元まで涙でぐっしょりだった。
この場所に来ることが出来て、本当に良かったと思った。


ライブが終わった。
結局僕は、どうしようもなく僕のままだった。
何でもっと早くライブに来なかったのだろうと、後悔もした。

それでも、だからこその今日だと思えた。
今日の僕を作っているのは、あの日の僕だと思えた。

間違いなく前に進んでいたのだ。
僕にとって、確かな一歩を踏み出した日になった。

そうだ、行かねばならぬのだ。
希望も苦悩も抱えて。



十数年の時をかけて
数百キロメートルの距離をこえて
数万文字の言葉を咀嚼して
数万小節の音符を聴き取って

やっと会えましたね
amazarashi

秋田さん 豊川さん やっと会えましたね
僕は嬉しくて 寂しくて
未来に期待してしまっています

あの日の音を あの日の言葉を
僕は大事にポケットに詰めて
雨曝しの明日を生き延びます

ずぶ濡れでも 泥だらけでも
きっとまた会いにいきますから
どうか どうか
あなたも生き延びて


amazarashi ツアー「永遠市」東京ガーデンシアター
本当にありがとうございました。

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