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裁判傍聴のすゝめ

「休日は何を?」
「ところでご趣味は?」

私はお見合いをした経験がなく、その席で本当にこんな質問が口にされるものかを知りません。
けれど、もしもいざその機会があったとしたら、一体何と答えましょうか。


「街や自然の中を歩くのが好きです」
「犬との遊びです」
「パールを使ったアクセサリー作りです」
あたりが無難でしょうか。

〈紅茶〉に〈アロマ〉〈写真〉〈お寺巡り〉〈外国語〉なども良いかもしれません。


逆に相手の困惑を誘いそうなものといえば〈オカルト〉〈スピリチュアル〉〈陰謀論〉で決まりでしょう。

本気でのめり込んでいる方に比べれば、私はただエンターテイメントとして楽しんでいるだけであり、これらは世の中に対する視野を広げ、かつなかなかに味わい深く……などと繰り言を述べたところで、先方の腰が引けるのは目に見えています。


そう考えると〈裁判傍聴〉もまた、物議を醸しそうな気配が漂います。

「信じられない思考回路の被告人や、それを執拗に責め立てる検事のやり取りがスリル満点で」
いくらにこやかに語ろうが、共感を得られるどころか変人扱いは確定で、仲人さんから激しく咳払いされるのがオチでしょう。


さりとてお見合いの話題には不似合いにせよ、私が裁判傍聴を好きなこと、そして出来れば他の人にも試してもらいたい、と考えていることは事実です。

それもよく見知った人でなく、全くの他人の裁判に限ります。

自分と関わりのある人が出廷したら平常心ではいられませんし、落ち着いて双方の言い分を聞き、全体の流れを見るには、やはりそれなりの距離感が必要です。


刑事裁判の場合、ニュースに取り沙汰されたり余程の有名人が関係しない限り、基本的には誰でも入廷が可能です。

そこで被告人の処遇の決定を傍聴席から見る訳ですが、逆の立場になったらと想像すると、これほどの苦痛はありません。

何せ自分の人生ほぼ総てが、問答無用でつまびらかにされるのです。
生い立ちに家族構成、学歴、職歴、性格、交友関係、スピード違反など軽微な前歴が、時には周囲の証言込みで、容赦なく人前に投げ出されます。


「小学校でも騒動を起こすなど、被告人は幼少期より強い暴力傾向を持ち……」
検事が張りのある声で語るのを聞きながら、小学生時代にまで遡って”暴力傾向"の証拠とされるとは、とひそかに目を見開かずにはいられません。

国家権力の前で隠し事は不可能で、人には知られたくない、不甲斐ない部分ばかりに光が当てられ、衆目に晒されるのだと考えるだけで血の気が引きます。


傍聴席にはただそこに座ることを趣味にする人が存在し、その人たちは嬉々として情報交換をし、報道関係者さながらの詳細なメモを取り、達者なイラストで記録を付けています。

都心部の裁判所では一日に多くの裁判が行われるため、朝から複数件をハシゴして回るという人も珍しくありません。


かく言う私も、午前中は猥褻事件と窃盗事件、午後は強盗事件と薬物事件の裁判を一度に傍聴したことがあります。

そのうち二件は三十分にも満たないものだったにせよ、どうかしている、と言われれば、おっしゃる通りです、以外の言葉はありません。


けれどもその日はとりわけ風変わりな出来事の連続で、窃盗事件の被告人など、ランドセル専門の窃盗を繰り返しているという稀な人でした。

しかもそれらは転売されず、被告人の自宅に並べて積み上げられていたというから、人の心理の奥深さがうかがえます。


猥褻事件はある意味もっと凡庸で、被告人は女子大学の敷地内で全裸露出し、現行犯逮捕されました。

この被告人の言い分がまた奮っており、なぜわざわざそんなことを、という検事の問いに、サービスのつもりだった、と言い放ったのです。

それを耳にしても検事はまるで表情を変えず、被告人に畳み掛けるように質問します。


「サービスとは女性に自分の体を見せることを指しているのですか」
「はい」
「若い女性が本当にあなたの裸を見たがると考えたのですか」
「はい」
「物陰に潜んだ得体の知れない中年男性の裸をですか」
「はい」
「それで実際に興奮したり喜んだ女性はいましたか」
「はい」
「それならなぜ警察を呼ばれたのですか。何人かには声までかけていますが目的はサービスだけだったのですか」
「はい」


まるで演劇のワークショップのように、五つの異なる「はい」を口にしながら、被告人の声は次第に弱まり、最後にはかすれてほとんど聞き取れなくなりました。

けれどそのようなことはお構いなしに、検事の厳しい追及が続いたことは言うまでもありません。


それでもこの検事は法廷を離れると印象が違う、と思ったのは、裁判の後、エレベーターで思いがけずご一緒したからです。

先に声をかけてきたのはあちらの方で、軽く会釈しながら
「失礼ですが、関係者の方ですか?」

私が先ほどの事件の被害女性と同じ年頃に見えたためでしょうか。
単なる趣味での傍聴です、とは言い出し辛く、控えめにいいえ、と答えたのが、かえって肯定に映ったようでした。

エレベーターには他にも何名かが乗り合わせており、大っぴらに事件について語る訳にもいかないためか、検事は声を低くしました。

「春先は、必ずこの手の犯罪が起こるんです。一番安全なはずの学校で恐ろしい思いをして、ご友人はお気の毒だと思います。よく気遣ってあげてください」


なんて優しい人なのだろうという感動と、ますます本当のことは言えない罪悪感とで複雑な気分のまま、私は小さくうなずきました。

一階で互いに目礼して別れ、それ以来お姿も見かけませんが、きっと元気でご活躍のことと思います。
あのような人が司法の場にいることは、大きな安心につながりますし。


普段めったに近づくことのない裁判の世界には、意外性が満ちています。
個人的かつささやかな驚きといえば”演説しながら法廷内を歩き回る検事や弁護士はドラマの中にしかいない"”被告人の涙は法廷にいる人間の気持ちをもれなく白けさせる"などでした。

どんな裁判であれ、傍聴中は善と悪、人間の業についてなど色々と考えさせられますし、自分は決して向こう側には立ちたくない、と心底から感じさせてくれもします。

それこそ、人生を誤らないための抑止力とも、自らの生き方を考える良い機会ともなるのではないでしょうか。

プロフィールにも新しい趣味がひとつ追加されるかもしれません。




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