美しさよりも美しいもの
"年末年始に録りためたテレビ番組を暇をみては少しずつ観る"というのが私にとってこの頃の小さな楽しみなのですが、そんなものの中から、秀逸なドキュメンタリーを見つけました。
主人公は韓国でただ一人という"プラスサイズモデル"の女性で、彼女の仕事と生活に密着しながら、現代社会の外見至上主義を見つめるという番組です。
韓国ビューティにさほど関心がない私でさえ、韓国の女性の美容熱、外見へのただならぬこだわりは知っています。
それだけに見た目が整った人が多いという印象ですが、逆を返せば、それはそこから外れることへの強い禁忌性も感じさせます。
現に番組の中では、世間が求める美の基準についてと、そこに当てはまらない人たちの苦しみが描かれていました。
皆、周囲を取り巻く理想像に圧迫され、息がつけなくなっている様子です。
その人たちの年齢や境遇は様々でしたが、共通して感じたのは、語りに主語が無いということでした。
「こんなことを言われたくない、こんな扱いが気にかかる、もっとこう見られたい」
それらの言葉のどこにも、その人自身が見当たりません。
苦悩や困惑、願望や理想をなめらかに口にしても、それはおしなべて"周囲"に関するものであり、"当人"はどうなのか、何が幸福で何が望みか、どんな自分になれれば満足なのか、本心はあいまいなまま語られません。
その人たちの目に"世間"はクリアに映っていても、"自分"については盲目であるかのように。
その様子で思い出したのは、以前読んだ海外の風刺漫画です。
舞台は巨大な陸上競技場で、多くの人がもつれるようにしてトラックを走っています。
他人を出し抜くことに必死になりつつ、その実それが何のレースか、わかっている人は一人もいません。
また、トラックを何周すればレースが終わるのかも不明です。
それでもその人たちが足を止められないのは、観客席の声のせいでもあります。
競技場を埋め尽くす観客たちが、フィールド上の人たちに檄を飛ばしているのです。それは応援というよりは野次であり、高みの見物を良いことに、観客は好き勝手を叫んでいます。
なのにトラックを走る人たちは、それを少しもおかしいとは感じないのです。
その中でふと我に返った一人が、周囲を見渡し、自分の行いの無意味さに気づきます。
立ち止まるその人には罵詈雑言が降り注ぐも、もう観客の言葉は何の影響力も持ちません。
その人はなお多くの人が全力疾走し続けるトラックを離れ、一人きりで出口に向かう。
そんな後ろ姿が漫画の終わりでした。
ドキュメンタリーの中には、過食と拒食を繰り返す、摂食障害の若い女性も登場します。
彼女を救ったのは
「あなたがどんな姿であろうと、あなたはとても可愛いし美しい」
母親が心から発するそんな言葉で、それがルッキズムの呪いの解毒剤となり、少しずつ自分を取り戻します。
実は彼女の母親もまた、痩せ薬に依存する女性でした。
けれど娘を励ますためにその薬を断ち、体重が増加しても、娘と共に食事を摂り続けます。
そんな母親への感謝を述べながら、娘もまた語っていました。
「ママがどんな体型でも関係ない。愛してるから」
「この母娘はとても運がいいと思う」
二人をそう評するのは、ドキュメンタリーの主役の女性です。
彼女はモデル業の他にプラスサイズのアパレルショップも経営しており、その店頭や交流会で知己を得て、母娘の事情を知っています。
彼女自身が親からの強いプレッシャーに苦悩しつつ育ってきたため、この母娘の"運の良さ"が身にしみて実感できるのかもしれません。
けれどそれでは、身近にありのままの自分を愛して受け入れてくれる人がいない"運の悪い"人は、救われることなく、優劣を競う果てのないレースを続けるほかないのでしょうか。
きつい同調圧力が働く中、"世間並みでなくなる""世の中の規範から外れる"恐怖は相当であり、その枠外へと足を踏み出すには余程の覚悟が必要です。
"常識"や"スタンダード"の概念は時に暴力的な支配力を持ち、個人の思考や行動力を奪います。
そのため違和感を抱えながらも、あきらめて自分を慣らす方向に進むのが大抵のパターンでしょう。
そうでない人間は叩かれる、という現実は誰もが嫌というほど知っていますし、番組内でもそんな顛末の詳しい描写がありました。
それでもそちらへ向かうのは、もはやそんな世界の枠内で生きられなくなったからであり、人が大きく変わるには、それほどの切羽詰まり方をしなければ不可能なのかもしれません。
"群れの価値観"と正面から対峙し、勇気を持って前進し続ける。
私の目に主人公の女性は、どんなに"理想通りの外見"を持った人よりも、なお美しく見えました。
番組ではルッキズムへの対抗策については触れていませんでしたが、彼女のその姿こそが回答であり、社会や周囲からの圧力を無効化し、辛さから降りるためのひとつの方法でもあります。
その人が他の誰でもなく、自分のために生き始めること。誇りを持ち、傷つきながらも自分らしい生を全うしようとすること。
その瞬間に放たれる美しさよりも光輝くものはないと、私は強く信じています。
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