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ベッドの上の「奇岩城」


人生でいちばん初めに読んだ本、は残念ながら覚えていません。
きっと、家にある絵本か童話のうちの一冊だったはず。

けれど、初めて読んだ本は覚えていなくとも、足しげく通った図書館で、初めて読破したシリーズならよく覚えています。


『アルセーヌ=ルパン全集 全25巻』
で、出版社は偕成社さん。
焦茶色の表紙にルパンの黒いシルエットが描かれた、印象的なあの表紙。


小学三年生だった私は、第一巻からすぐさま夢中になり、週に数冊のペースで、シリーズ全てを読み終えました。

それからおよそ十年後、私はすっかりフランス文学にかぶれてしまうのですが、それを予兆するかのように、人生初の「激ハマり」がフランスの作家による小説だった、というのに、不思議な縁を感じます。


そのルパンシリーズの中で、最も好きだったのが
『第4巻 奇岩城』
(モーリス・ルブラン 1909年)
で、主人公アルセーヌ・ルパンが、フランスの隠された財宝を巡り、追っ手の探偵や警察との攻防を繰り広げる、というスリル満点の推理小説です。


この物語は、いったんは勝利をおさめたルパンが、最後には大切な人を失ってしまう、という悲劇的結末を迎えます。

愛する人との突然の別れに、激しく慟哭し感情を露わにする「完璧で隙のない怪盗紳士」の姿には、私も強く感情を揺さぶられました。

当時9歳だった子どもに、何がわかるものかと言われそうですが、子どもにだってわかります、大切な人を失った人の苦しみくらい…。


しかも、死神役はあのシャーロック・ホームズ。
ルパンの妻の死の原因となったのは、英国のあまりに有名な名探偵です。

(そこは大人の事情により、原作では変名で「エルロック・ショルメ」とされているのですが)


生涯で様々な女性との出会いと別れを繰り返したルパンですが、目の前で死なせてしまったその人の記憶は、決して胸中から去ることはなかったはず。

それまでの自分の人生も名前も、全てを捨て去ろうと決意させたほどの女性だったのですから。


活劇的な面白さや謎解きだけでなく、そういった悲劇性や、人間関係、人の感情の動きのドラマティックさこそが、9歳の私がこの物語に夢中になった理由です。

(もう一人の若き天才探偵ボートルレとルパンとの関係もまた、多くの含みがあり面白いのです)


私はこの物語も含め、アルセーヌ・ルパンシリーズのほとんどを、ベッドに横たわって読みました。
生まれつきの病気であまり起きていることが出来ない私にとって、モーリス・ルブランの書く素晴らしいお話は、数少ない楽しみのひとつでした。

本が読めないくらいに具合の悪い時も、数々のエピソードの記憶が、どうにか辛さを堪える気力さえ与えてくれたほどです。


物語の世界の中で生き生きと動き回り、社会のルールすら無視した活躍を繰り広げるルパンは、私にとって憧れそのものでした。

怪盗を夢見るわけではないけれど、私もいつかこんな風に、思うまま世界中を飛び回ることができたら、などと空想を巡らせる瞬間には、ベッドに横たわっている自分も忘れられました。


想像力があれば、どこへだって行ける。


私にそれを気づかせてくれたのが、このアルセーヌ=ルパン全集であり、その後、私はますます本にのめり込んでいくようになります。


それでは、また次のお話でお会いいたしましょう。



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