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魔女と検事はワルツを踊る

「あのさ、魔女の家に行きたいんだけどついて来てくれない?」

さて今日はどこで遊ぼうか、という相談の最中に、友人の口から飛び出した一言です。

「行く」
「やった」

さっそく魔女の家に向かいながら、私はそこが占いの館であり、実はすでに予約もなされていることを知らされます。

「なんだ、占い」
「なんだと思ってたわけ」

いや、別に、などと話しているうち、魔女の家というプレートが掲げられたビルの前に着き、私たちは入り口をくぐりました。


そこは何人もの魔女が集う館であり、友人がお目当ての魔女の部屋を探し当てるまでに、ジュヌヴィエーヴやルナといった名が表示された扉の前を通り過ぎます。

なぜフランス名なのだろう、こちらの魔女は全員フランスにゆかりがあるのだろうか、と外国語オタクの私は気になりますが、友人の顔つきは真剣そのものであり、私も俗世を忘れて集中しなければなりません。


「ごきげんよう。お時間ぴったりですね」
私たちが小部屋に入ると魔女は微笑み、椅子に掛けて楽にするよう勧めてくれます。
魔女というより、どこかの奥様めいて上品な女性でした。

魔女にお目にかかるのが初めての私は失礼がない程度にその人を観察しつつ、占いぶりを興味深く眺めます。


黒天鵞絨のクロスをかけた円卓の向うの魔女マチルドさんは、タロットを手に、友人に的確な質問を投げかけます。

そのコールドリーディングの技術は賞賛に値するものであり、みるみる友人の悩みの論点と解決策がクリアになります。

頭から被った薄手のヴェール、揺らめくキャンドル、嗅ぎ慣れないお香の香り、サバトの情景を描いた銅版画など、道具立てこそムードたっぷりながら、現代の魔女はきわめて理路整然として知的でした。


タロットのケルト十字という配置スプレッドで友人から深いため息と納得の表情を引き出したマチルドさんは、余り時間で私のことも占ってあげようと、速やかにタロットをシャッフルします。

残り時間の都合上、かなり早口で話し続けるマチルドさんは、最後に厳かな口調で告げました。
「あなたと特に縁の深い男性の職業が二つあります。出会ったら注意してね」


一つは“医師”で、これは恋愛に限らなければ納得です。
私ほど来る日も医師の顔を見ながら過ごした子どももそういないでしょうし、身内や友人、思い当たる人が幾人かいます。


けれどもう一つの職業の方はといえば、一人の知り合いもいないばかりか、そうそう出会える相手とも思えません。
突っ込んで聞いてみたい気はするものの、おまけ鑑定を深堀りするのも野暮でしょう。

そろそろ終了時間ということもあり、私たちは魔女に捧げ物をしてそこを出ました。


それから半年後、私は魔女の家からほど近いビルの一室で、慣れないステップを踏んでいました。

バレエで踊るワルツ好きが高じて、本家のそれも踊ってみたいと、社交ダンスのレッスンに通い始めたのです。


そこはいわゆる一般的なダンス教室とは異なり、“一人でレッスンをしていてもつまらないから”という理由でプロの先生が生徒を募り、皆でダンスを楽しむことが目的でした。

そのため妙な対抗意識やいざこざもなく、レッスン仲間ともすぐに打ち解けられたのですが、中に一人だけ、どうにも近づき難い人がいました。


その人は30代半ばの男性で、もう在籍して一年にもなるというのに、ほとんど誰とも話さないため、わかっているのは“よそから転勤してきた公務員”ということだけです。

それでも皆は全くそれを気にせず
「ボールルームダンスの世界はシビアよ。ホールに立った時点で採点されるし、男性なら、細身で背が高いだけで高得点」
先生がそう語る条件に当てはまることもあってか、彼はダンスパートナーとして女性に大人気でした。


けれども私は、あまりに無口な人と組むのは気づまりでしたし、特に深い接点もなかったのですが、ある時、帰りのエレベーターで彼と一緒になり、そのまま駅まで歩くこととなりました。


最初こそぎくしゃくとしたものの、そこは大人同士、お互いの仕事の話などを始めます。

「公務員をなさってるんですよね?どんな分野の?」
おそらくはぐらかされるだろうと思いながら尋ねると、やはり最初は言い渋りつつ、それでも小声で答えてくれました。


「自分のことを話すのは禁物なんです。二、三年ごとに転勤があるんですけど、そのせいで友達も出来なくて」
「・・・公安にお勤めとか」
「近いといえば近いです」

そう聞けばがぜん興味が掻き立てられます。
私の表情でそれを悟ってか、彼は皆にはくれぐれも内緒にするよう念押ししてから、自分が検事であることを明かしてくれました。


その瞬間に思い出したのは、半年前に出会った魔女マチルドさんです。

彼女は私が縁のある男性の職業として“医師”の他に、もうひとつ“検事”をあげたのです。
今になってそれが証明され、あまりに突飛に聞こえた魔女の予言の正しさを裏付けます。

かといって私はその慎ましやかな検事さんと、それ以上の親交を深めることもなかったのですが。


そして、もうひとつの驚くべき事実をあげると、その教室には、検事以上に珍しい人がいました。

魔女です。
あのマチルドさんも、そこでダンスを習う一人でした。

気かついたのは、挨拶の際、彼女の声を聞いた時です。
それまでは、お顔だけではとても同じ人とわからないほど、ミステリアスな印象など皆無の普通の女性に見えました。

あちらは私のことを覚えていないか気づかないふりをしている様子で、私もあらぬことを耳打ちして彼女の楽しみに水を差したりはしませんでした。
人間たちに素性を悟らせず踊りの輪に加わりたいなら、魔女の意思を尊重するまでです。


また、占いによる見立ては当たったものの、実は私より彼女の方が、よほど検事に縁がありました。
あの検事さんと最もよくパートナーを組んでいたのは、ほかならぬ彼女だったからです。

けれども彼女はそれを知らず、彼もまた、彼女が何者であるかを知りません。
二人の本当の姿を知っているのは私だけです。

皆に混じって夜の教室でヨハン・シュトラウスのワルツを踊る魔女と検事の姿は、それは見事なものでした。



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