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いかにも日記を書く人の文字

日記をつける人は、人生を二度生きる。
──ジョサミン・ウェスト


もう何年か前、『ネガポ辞典』や"ネガポジ変換"が大きなブームになったことがありました。

どんなマイナス特性も別表現でプラスに変える、というこのゲームの規則に従うと、私の"極端な飽きっぽさ"や"三日坊主"も、"フットワークが軽い""判断が早い"などと言えるでしょうか。

もちろん、こう捉えれば悪い気はしませんが、私がフットワーク軽くすぐに飽きてしまうことは事実です。


特に毎年、わかりやすい無駄と失敗を繰り返しているのがスケジュール帳で、いざ入手したものの、一年が終わってみるときれいな白紙の束、という展開がお決まりです。
ひどい場合には年初めの二日分しか記入せず、三日坊主にすら届かない年もありました。

そのため紙のスケジュール帳からは目を逸らし、電子版を使ってきたのですが、昨年の秋に数年分の全データが消える、という失神寸前の事件があり、再び紙のスケジュール帳の購入を決意しました。


書店の専門コーナーでこれという手帳を吟味し、最後に候補として残ったのは、桜色のカバーがかかった文庫本サイズの一冊です。
紙質が良く、見開き一週間で左側が予定欄、右側が罫線入りのメモ欄と、たっぷりフリースペースが取られています。

これならばスケジュール帳に日記帳も兼ねそうですし、また無駄な買い物になるのではという不安は抑えてレジに向かいました。


今までと同じ轍を踏まないためには、とにかく書くことを習慣化してしまえばいい。そう考えて、新しい習慣がどれくらいで身につくものか、帰宅後に調べてみました。

結果はどれもまちまちで、18日から254日まで、それぞれの説にずいぶんと幅があります。
けれど現在の最も有力な説は"66日"であるらしく、ふた月と少しなら、気張らずやれば達成できるかもしれません。

あくまでも、がんばり過ぎずゆるいくらいに。
何も書くことがない日であっても、お天気や食事くらいはメモしようと決めました。

一日の振り返りに最適なのは夜だろうと、眠る前に手に取りやすい場所に、手帳とペンを添えた小箱を設置します。


それが功を奏してか、新年が始まって100日以上が過ぎた今も、無事にその手帳を使っています。

習慣化に必要だという66日も経過して、これはもう自動運転モードに入ったのでは、と調子づきたくもなりますが、油断は大敵。信頼と同じく習慣も、積み上げるには時間がかかれど崩れるのは一瞬です。

何より自分の移り気の激しさは、自分が一番よくわかっています。


この時点で早くも結果を振り返って思うのは、良いことしかないという一語です。たとえそれが、たった数行のメモ書きであったとしてもです。

平穏無事に過ぎた日ならばそれも結構、何か特別なことが起こった日なら、平凡な暮らしの中のアクセントになり得ます。

たった数日前のことであっても、見返すと多くを忘れていますし、それが数ヶ月前ともなれば、すでに遠い物語さながらです。

それら全てを書かれたキーワードにより頭の中で再現でき、起こった出来事を辿り直せるのですから、こんなに愉しいことはありません。
まさに、日記を読み返して回想しながら、再びその場面を生きているようであり、人生がより濃密になる気さえします。


もうひとつ"日記"で私が思い出すのが、かなり前に観たテレビのドキュメント番組です。
その中で女優の緒川たまきさんが古書店を訪れ、稲垣足穂いながきたるほの生原稿を手にする、というシーンがありました。

そこで緒川さんが魅せられたように微笑んで口にしたのが
「わあ…いかにも日記を書く人の文字ですね」


足穂が実際に日記をしたためていたかどうか私は知らず、緒川さんにその知識があったかどうかも然りです。
けれど、その感嘆には何か形容しがたい格調高さがあり、"いかにも日記を書く人の文字"が、どのようなものかを理解できずとも、自分もそんな文字を綴れるようになりたい、と考えるようになりました。


私の書く字は決して上手ではありませんが、曲がりなりにも"日記を書く人"の最後尾につくことは出来た為、これからも飽きずに書き続けたいと思っています。
いつか"いかにも日記を…"な文字だって綴れるようになるかもしれません。

その上で何らかの奇跡が起こり、緒川さんに、私の書いた何かをお目にかけるような機会が来ないとも限らないのです。
その時に、あの魅惑的な表情と口調で、記憶通りの場面が再現されたとしたら。

他の方からは首をかしげられるような理由でも、これもまた、私が日記を続けるひとつの動機です。


私の奇妙な願望はさておき、日々の記録は、書くことも読み返すこともきわめて楽しく、自分だけの貴重な財産を増やすことにもつながります。

まずは66日を目指し、一言だけでもその日の出来事をどこかに書きつける、という習慣を始めてみるのはいかがでしょう。

もし続かなくとも大丈夫。
それは"失敗"や"根気のなさ"ではなく、"自分に必要なものを的確に判断できる有能さ"ゆえなのですから。



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