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やっとれん気持ちになる悪魔(レビュー:『エクソシスト 信じるもの』)
オススメ度:★★★★☆
ヴィクターは妻を亡くして以来、娘アンジェラを育てている。ある日アンジェラは親友のキャサリンと森に出かけたきり、行方不明になるが、数日後に発見される。しかし、その日から彼女たちは突然暴れ出したり、自傷行為を行うなどの行動を繰り返すように。ヴィクターは、かつて娘の憑依を目撃したクリス・マクニールに助けを求め、悪魔祓いを始めるが、それは想像を絶する危険な試みだった。懸命に見守る親たちを嘲笑い、悪魔は問いかける。一人は生き残り、一人は死ぬ。どちらかを選べと──。
有名な古典ホラー映画『エクソシスト』シリーズの第6作であり、第1作の直接の続編という立ち位置らしい(Wikipediaより)。……では、2~5作目まではどういう関係性だったのだろうか?
『エクソシスト2』の出来に不満を持ったブラッティが1作目『エクソシスト』の正当続編として作ったものである。
エクソシスト3は「正統続編」で、今回の『信じるもの』は「直接の続編」……うーん、分かるような、分からんような?
さて、本作であるが、第1作の続編と考えると何よりも人数の面でパワーアップしている。第1作では取り憑かれる少女は一人、対峙する聖職者もカトリックだけだったが、本作では取り憑かれる少女が二人に増量、対峙する聖職者もカトリック神父、プロテスタント牧師、そしてアフリカ呪術師と大増量されており大変お得である。複数宗派の宗教者によるレイドバトルの様相はまるで『来る』のようでもある。(『来る』の影響を受けたのではないかと私は真剣に思っている)
これは単に「増やしてみました」というだけではない。私が本作を高く評価している点でもあるのだが、増えたことがきちんと本作の意図に直結しているのだ。本作はネタバレ抜きでのレビューが書きづらいので、いきなりオチから書いてしまうと、本作の結末は"概ね"バッドエンドである。悪魔勢力に聖職者勢力が敗北……と言って良い形で決着がつく。
私がホラー作品を好む理由の一つに「バッドエンドが許される」という点がある。後味の悪いバッドエンドでも作品が成り立つため、「主人公が勝たなければならない」という物語上の制約から解き放たれているのだ。
ただし一方で、「単に負けました」ではやはり話が成り立たない。「オバケの力が強くて祓えませんでした」だけではダメで、何かしらの理由や意図が必要となる。本作は理由(なぜ勝てなかったか)ではなく、意図(どうして人間に勝たせなかったか)の方面からアプローチした作品と言えるだろう。
増量の話に戻ると、本作は取り憑かれる少女が二人に増えている。そして、あらすじにある通り、本作では悪魔からの二択クイズが出題されるのだ。取り憑かれた二人の少女のうち、「どちらを助けるか」を親たちに問うのだ。
最初、親たちは「その手には乗らないぞ」とばかりに選択を拒否していたが、しかし、対抗する宗教者連合軍は劣勢となっていく。「真打ち登場!」みたいなノリで出てきたカトリック神父があっさり返り討ちに遭ったこともあり、心が折れてしまったのか、キャサリンの父親が「キャサリンを選ぶ!」と答えてしまうのだ。
結果、悪魔はキャサリンを殺してアンジェラを生き残らせた。そして、生き残ったアンジェラたちには日常が戻っていく。……このオチにはキョトンとしてしまうかもしれない。だが、これは悪魔の目的を考えれば腑に落ちるであろう。悪魔の目的はやはり何はさておき、
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