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このレビューには自信がありません(レビュー:『ボーはおそれている』)

オススメ度:★★☆☆☆

日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。

 レビューに困る作品である。

 さて、この直後、私は本作の核心に近い記述をする。それは私が「この情報はむしろ持った上で視聴した方が良い」と思うからするのだが、とはいえ、何も情報を仕入れずに見たいという人は、ここで回れ右をした方が良いだろう。この作品は……

 散りばめられていた謎や不条理が、最後の謎解きで全て氷解して、強烈なアハ体験が得られる…………という類のものではない。

 むしろ、そういった期待感が本作を視聴する上でのノイズになる恐れがある。というか、私がそうだった。「この描写はこういう意味ではないか?」「実はこうなのではないか?」そんなことを訝しみながら見ていると、本作の製作コンセプトから視聴者が勝手に遠ざかってしまう気がするのだ。

 目の前に現れる謎や不条理を、あまり真剣に考えず、ただそういうものとして、その奇妙さを受け入れていく見方がおそらく正解だろう。「考えるな、感じるんだ」というやつである。

 実際、「最後に壮大な謎解きが……」を期待すると、だいぶ厳しい視聴経験になるのではないか? まずもって主人公が不安障害であり、キツめの薬を服用していることもあって、作中で起こる異様な情景や(治安の悪すぎるアメリカ社会など)、突発的に発生する異常事態が「現実なのか、妄想なのか、薬の副作用なのか」見ている方には何も分からない。

 そして、「現実なのか、妄想なのか、薬の副作用なのか」何も分からず見ている状況がかなりキツい。私のように猜疑心に駆られながら細部に目を凝らすより、ただ、目の前に繰り広げられる情景にびっくりしたり唖然とした方が良い気がする。

 中盤で出てくる演劇シーンなどは、そもそも作品の冒頭部からずっと「現実なのか」分からないのに、さらに演劇の1シーンに触発された主人公が妄想を膨らまして勝手にオリジナルストーリーの主役になっていたりする。視聴者からすると夢の中で見ている夢のような感覚に陥ってしまう。

 本作には一応の種明かしもあるのだが、それで全てが納得できたりはしない。種明かしの結果、謎が深まることすらあり、それへの解答はない。やはり論理性を期待する作品ではないのだろう。それは良い悪いではなく、本作はそういう製作コンセプトではないということだ。

 視聴者側の態度が孕む、もう一つの問題もある。あまりの訳の分からなさに、本作になんとなく象徴的な意味合いを……社会的なメッセージを読み込もうとしてしまうことだ。私もその誘惑に駆られたし、実際、読み取れなくもない。「親子の確執」的なものが間違いなく存在してはいる。

 しかし、それも落とし穴のような気がする。なにか分からないものに対して、社会的なメッセージ……論理性を持って対応するのは、作品の可能性を非常に狭めてしまう気がして私には躊躇される。「小賢しい」という感覚だろうか。自分が小賢しくなって作品を飲み込もうとする態度に忌避感を覚える。それよりは当惑したり腹を立てたりする方がまだ良いとも思う。

 オススメ度は星2としたが、このジャッジにも全く自信がない。

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