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わたしの小説のつくりかた

まえがき

先日拝読した、鈴木輝一郎先生の「何がなんでも長編小説が書きたい!」でも言及されていた脳の逃避行動、つまり、「書いている最中に別のアイデアが湧いてそちらを書いてしまう」というやつが、昨日今日と続けて二度起きています。

脳の逃避行動なので、脳は全力で、最高出力で別の提案をしてきます。
最高出力で弾き出すアイデアは、行き詰まっていた別のアイデアに手を差し伸べてくれました。
しかしわたしは今この原稿本文を書かなくてはならない...! でも…! これメモしとかないと後で忘れちゃったら絶対後悔するやつ……!
昨晩のわたしは歯軋りしながら、1時間の執筆時間をメモタイムに充て、書き終えるとともに力尽きて寝たのでした…。

そして今、このnoteを書いているこの瞬間も、脳の逃避行動です。わかっているのです。

とっとと原稿の本文を進めろ、と理性が急き立てます。

ただ、自分の内側の変化を言語化したいと思ったときは、そう思ったときにやっておかないと、自己理解のフェーズに手戻りが発生することをわたしは知っています。
今のわたしには、自己理解が進めば進むほど、創作するためのスキルが腹落ちしていく感覚があるのです。
これまで本で読んできた技術や、作家さんが本のあとがきやインタビューやエッセイ、noteやブログ記事、Twitterで発言されていたあれこれと結びつく瞬間は、たぶん脳内麻薬がドバドバ出ています。
作品を完成させたときの「おわったー!」という達成感とはまた別で、同じくらい病みつきになる感覚です。
それが気持ちいいことを知っているので、いま言語化しておきなよ、とわたしのゴーストが囁くのです(※この表現がピンとこない方のために書いておくと、攻殻機動隊の草薙素子が直感による判断を「ゴーストの囁き」と称していることに由来します)。

※それらしいことを書き連ねてみましたが、元来飽き性なため、やろうと思ったときにやらないと形にならない、という経験則に従った、というだけのことですw

これまでのつくりかた

わたしはこれまでの自分の小説の作り方が「難儀してる割に最後まで書けない作り方なんだろうなぁ」とうっすら感じていました。
本気でどうにかしよう、と考えて、小説の書き方を勉強し始めたのが2019年の夏。
やっと、自分の作り方のどこが「最後まで書き上げるのを難しくしてたか」がわかったのが、今月に入ってからです。

「最後まで書き上げるのを難しくしていたつくりかた」を整理してみます。

まず、これまでのつくりかたは、ざっくり言うと下記の通りでした。

  1. シチュエーションかワンシーン、キャラの関係性などが思いつく

  2. とにかくメモする。メモしながらどんどん思いつくからどんどん書く。

  3. ②を書き上げたテンションで本文を書き始める、または②をもとになんとかプロットっぽいものを作ろうと頑張る

  4. なんとかしてプロットっぽいものを作ってみるけど、後半疲れて着地点がふわふわしたまま

  5. 我慢できずに本文を書き始めて、ふわふわしたままの後半に突入して続きを書けなくなる

だいたい③で書き始めて途中で本文進まなくなって挫折するか、プロットっぽいものを作ろうとしてなんともならなくて挫折するかです。

③のプロットっぽいものづくりがなんとかなったら④に移行するんですが、だいたいここまでで数年経ってます(実話。いま本文を書いてる二次創作=この逃避の原因である作品がマジで今日までに6年経ってる)。

そりゃ最後まで書いて人に読ませた話が少ないはずだよねー!!!!!!!

そしてこれを「プロットのつくりかたが分からないから書けないのかな…?」とふわっと考えていた過去のわたし。

不正解!!

こちらのnoteでも以前書きましたが、28冊読んでやっとこさそもそもの手順が間違っていたっぽいことに気づいたのです。

これまでのつくりかたの問題点

これまでのつくりかたの①、②は、日々何か思い付いたらネタボックスにガンガン突っ込んでいくべきもので、そこから物語づくりをスタートしてはいけませんでした。
アイデアは単体で物語になる力を持ちません。
たまーーーーーーーーーに物語としてひとまとまりになってパッケージとして落ちてきてくれる優秀なアイデアもあります(そのおかげでわたしもこれまでに短めの、小説ぽいものを書き上げることができました)。
でも、パッケージが降ってくるのを待っててもしょうがないです。だってわたしはいろんなお話を書きたいのですから!

そして、③でアイデアからいきなりプロットを作ろうとしてたのも「そりゃ大変よ」という感じです…。
④と⑤は言わずもがな、着地点が定まってない状態で書くのは、ゴールを決めずに走り出すようなものです。何キロ走ることになるかわからないし、わからなければそのための準備も何もできません。
お話の「おしまい」が決まっていればまだなんとかゴールできますが、その途中でどのルートを走るのかが未定の状態では、途中棄権してしまっても仕方がないよなぁ、と思います。

これからのつくりかた

小説は、物語として誰かに伝えたい感動からできています。
(……と、いまのわたしは理解しています)
その「誰かに伝えたいこと」がお話の軸になります。わたしはこれが「テーマ」だと理解しました。

小説の書き方系の本を読んでいて、毎回「テーマって何、どうやって設定すんの…?」と困り果てていたし、今も「テーマ…テーマ…????」とすぐに迷子になります。
でも、テーマは1つじゃないと学びました。
鈴木輝一郎さんの「何がなんでも長編小説が書きたい!」によると、物語のテーマと、章ごとのテーマがあるそうです。
そしてそのテーマの大小は、書いてみないとわからないのだそうです。小説一冊を支える力のあるテーマなのか、章を支える力を持ったテーマなのか…。

なので、いったんテーマの大小とか構成のことは置いておき、この「伝えたいこと」、テーマを考えます。
ピンとくるアイデアがあれば、セットで考えてみます。
アイデア+テーマで別のアイデアが出てきたら、それをメモしていきます。
思いつくなら、そのお話のイメージカラーとかイメージソングとか、同人誌や投稿サイトでアップする際の表紙イメージを決めてしまってもいいかもしれません(今度やってみます)。

それから、テーマ+アイデアの塊を 5W1Hに当てはめて整理していきます。
誰が誰と、いつ、何を、どこで、どうして、どのようにする話なのか、と一文で書けるようにします。お話の軸になるプレミス(だったはず)を作るためです。

プレミスができて、物語の動機=主人公の動機がはっきりすると、そのためにどんなエピソードが必要か思いつくので、しっかりメモします。
アイデアを思いつくモードになっているときは、芋づる式にアイデアが湧いてきますが、相互に矛盾したり、結末から遠ざかるような広がり方もしがちです。
なので、とりあえずメモはしておいて、テーマとプレミスから逸脱しないアイデアを整理する時間が必要です。
ここは、ひとつの物語を組み立てるための材料を集めている段階なので、情報収集は欠かしません。キャラクターの履歴書を作る、というのもここでやっておきたいし、舞台となる街をどこにするか、その街はどういう場所なのかを調べます。
ここで、あとで使うであろう情報をすべて集めておくのが、執筆中に調べ物で集中力が途切れるリスクを減らすキモじゃないかな、と思っています。

ここまでやってから、プロット作りをした方がよさそうだ、というのが、現時点でのわたしの結論です。
プロットはどういう形にするかまだ決めかねているのですが、スプレッドシート(Excel形式)の表を作るのがいちばん自分には合ってそうでした。
それとは別で、作品内年表というか、時系列にいつ誰に何が起きて〜みたいなのも作っておきたいなと考えています。
わたしは飽き性でいろんなことを並行でやるくせに、ひとつひとつに対してはシングルタスクというか、目の前のことだけ考えたがるタイプの人間です。
そういうやつは、他のことをしている間に、執筆内容の記憶が1世代前に戻ってしまったりします。
そういう時に、執筆中の「いま」がどこなのかをパッと見て「はいはいオッケー」と同期可能なのは、文章ベースのプロットではなく、多層構造でも見やすい表スタイルだなーと思うからです。
どのくらい細かく区切るかは、次の作品で実験してみたいと思っています。

プロットができたら、さらに細分化してシーンリストを作りたいです。
場合によっては、プロットの表にシーンリストの列が加わる形になるのかなぁとイメージしています。
いま書いている途中の二次創作も、プロット表にシーンリストをくっつけたような形になっているのですが、シーンのテーマ(ここでは方向性の方がしっくりくるかも?)を定めずに、イメージだけでふわっとメモしていたせいで、本文執筆中に「これどこにどのくらい膨らませたらいいの〜、っていうか全然わかんないよこのシーンこの人たちどう動くの!」って、過去の自分に怒りながら書いていました。
結果として、時間がないから
「推敲する未来の自分に託した!」
って言いながら

(ここは全体のバランスを見つつ、不自然にならない程度にエピソードを書き足してね!)

マジでこう書いてそのままにしている

って書いて次の「キャラクターがどう動くかわかってるシーン」に進みました。たぶん未来の自分はいまのわたしに対してめちゃくちゃ怒るだろうと思っています。
そういうことを回避するためにも、プロット・シーンリストの作成はちゃんとしておきたいです。
そして、どの階層でも、常に「この部分のテーマは?」を常に明確にしていくべきだな、と思っています。

ここまでできたら、やっと本文の執筆にとりかかれます。
ここまでやってれば、あとは頑張って物語を文章で描くだけです。
……と言えるのも、いま書いている二次創作の本文がスラスラ書けていたときのプロット・シーンリストは「シーンメモが適切でそのシーンのテーマが自分のなかで明確だった」のです。
「このシーンでは脇役のこの子たちの可愛さで主人公が自分の方向性を修正しようと決意するから、とにかくこの子たちを可愛く書く!」
と本当に明確で、このときは通勤・退勤時間のトータル40分で1000字書けたことがありました。楽しかった…。

めちゃくちゃ面倒くさいけど、準備をきちんとしていれば、本文を書くのは隙間時間に進めていけます。
わたしは一時期、ほんの一瞬奇跡的にその状態を経験できました。
それを偶発的な奇跡ではなく再現性のある手順にしたいとこの一年もがいてきました。
そして、ここまで書いてきたのが「暫定版・これからのつくりかた」です。

暫定版なのは、まだ計画段階で、実践・実験が不足しているからです。
何作品か書き上げていきながら修正を加えていって、来年の今頃には「シン・暫定版・これからのつくりかた」っていうnoteが書けているといいなと思います。笑

「これからのつくりかた」に沿った昨晩のメモ

以下、メモしてたドキュメントからの転記です。
頭の中身すぎるので読み飛ばしていただいて大丈夫です。
この状態から「これからのつくりかた」に沿って作業を重ねていき、書き上げるところまで実験してみようと思っています。
経過をnoteに上げていくつもりなので、興味のあるかたは、過程を見守っていただけると嬉しいです。

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シーンというか、イメージからお話を組み立てようとしてうまくいかない、が続いているので、テーマの探しかたをつかまえなきゃなと思って考えてた。

たとえば、「泳ぐ白猫(仮)」のイメージ(お友だちに朗読してほしい話)はあって、お話の雰囲気も「お友だちに朗読してもらう」っていう揺るがない軸もあるけど、書けない。
そりゃ書けないのよね。5W1Hが全然ないんだから。
Who/Where/When/What/Why/How
これが埋まらないと、プレミスはできない。

そんで、テーマ、中心になるもの、お話の動機がないと、Whatが埋まらないんだよね。ここがいちばん大事なのに。

泳ぐ白猫の話、主人公が小学生くらいの男の子、っていう漠然としたイメージだけある。きっと主人公はこの子。
そして白猫が導き手になる。
Whoは小学生の男の子と白猫が、になる。
何を、何に、導くのか、が見えないね。わたしにもわからないもんね。

Whereも漠然とイメージだけはある。男の子の暮らす街。
住宅街で、いつも学校や友だちの家へ行くときに歩いてるよく知った街。
でも、いつもの道と友だちと通る道以外は使ったことがなくて、ある大きな道路か、橋を境にして向こう側へひとりで行ったことはない。(実はこれは風呂入りながら考えたテーマ「ひとりでも踏みだす勇気」があるから思いついたことではある)

Whenは、そうだな、放課後。
学童行きたくないって辞める子が出てきて、つられてやめたのに、いっしょに放課後遊んでた友だちが習い事や塾に通いはじめて、最後のひとりもその日だけ家族と出かけなきゃ行けなくなっちゃって、ぽっかり予定が空いてしまったある日の放課後。

Whatは、いつもなら友だちが一緒じゃなきゃ行かない場所に、ひとりでも行く、という小さな冒険。

Whyに、白猫を絡ませたいかな。
本当の本当に一人ではなくて、まるで同行者みたいな存在。
こいつについてってみよう、から、こいつのために。に変わる。
「白猫のために」変わるから、そう思えるだけのエピソードがあるはず。主人公が白猫に対して絆を感じるようなエピソード。いまはパッと出てこないけど。

Howは、Whyを書いてて思い付いたんだけど、白猫と歩いてるうちに、迷い猫のビラを見かけて「これ、こいつじゃないか…?」って気付くの。
そんで、首輪から確信をもつんだけど、今日に限ってスマホ持ってる友だちはいっしょじゃないし、お父さんもお母さんも仕事で家にいないし、猫についてきたらいつもならひとりで行かない境目まで来ていて、ビラに書かれてる白猫の飼い主の家の方が自分の家より近いし、どうしようって悩む。
でも何だかんだここまでいっしょに歩いてきたし、自力で帰れるかな、と逃げようとしたときに、迷い猫になる猫は、本当にどこにいるかわからなくて困ってるんだ、ってことと、なつかれて「頼りにされてるんだね」ってだれか(通りすがり系の女子高生とかがいいなぁ)に言われて意を決して届けてあげる。

プレミスにすると
いつも引っ張ってくれる友だちについていくだけだった主人公が、たまたまひとりきりのときに出会った白猫を、ひとりで行ったことがない隣町の飼い主の家まで送り届けてあげる話
になるか?な?

漠然とした不安を、実際に行動してみることで「できた」と自信にしてほしいし、どこかで「ぼくは子どもだからぼくより大人は助けてくれる」って思ってるのに気づいて、助けを求めれば助けてくれるけどそれは代わりにやってくれるってことではないよ、ってことをわかってほしいな。

この話は、自然教室を怖がってたけど行って帰ってきたら「楽しかった!」と言えた息子にも通ずるところがあるなぁ。

あとがき

思ったよりも長い長いnoteになってしまいました。
一年後の自分が、このnoteを読み返したときに「この頃はこのフェーズだったんだなぁ」と、螺旋階段のいくつか上の螺旋からいまの自分を見渡しているといいなぁと思っています。

完全に自分のための言語化noteで、他の人にも再現性があるのかとか、説明不足な箇所がないかなどは未検証なのですが、わたしの書く文章は、小説以外は基本的に「過去または将来の自分のための備忘録」なのであしからずご了承ください。
とはいえ、ご質問等いただけましたら誠心誠意お答えいたします。
noteのコメント欄または二次創作筆名である鞍月名義にはなりますが、マシュマロなどご利用いただいてご質問やご意見をいただければ幸いです。
https://marshmallow-qa.com/libera_di_fare

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