許そう。人間でありたいなら。
人間よりAIの方が優れている時代に、人間はどう生きればいいのだろう?
といったことを考えるときに大事なキーワードの一つが「間違える能力」だと思っています。
AIやbotなら絶対間違えない。ミスがあるのは生身の人間が手作業でやっていることの証明です。
もうひとつ、人間にしかできないのは「間違いを許す」こと。
間違いを指摘して直させるのはAIの仕事です。AIは絶対許してくれません。
そんなことを考えていると、カオス性と恒常性のダイナミズムがサスティナビリティを生む動的平衡チックな世界観に思考が広がります。
遺伝子のコピーミスによって生物が進化していったように、人間は「間違う」ことでイノベーションを起こしてきたのではないか。そして間違いを許してリカバリーし合うことで社会性を補強してきたのではないか。イレギュラーが恒常性を刺激して生存可能性を担保してきたのではないか。
つまり「間違える能力」は劣った性質ではなく、進化の過程で獲得した生存戦略なのではないだろうか。
シンギュラリティを不安視する声が高まっているけど、僕にはAIの人間化よりも人間のAI化の方が怖い。
間違えないよう必死に生き、間違いを許さず、探し出しては徹底的に叩く世の中の先に、人間はAIを生み出しました。
人間はもうその役目を終えたのだから、人間に残された仕事は間違えて許すことしか残ってないのかもしれません。
だからミスっても凹まないで。
ミスを見つけても怒らないで。
「だって、人間だもの」
と呟きましょう☺︎
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