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止まない雨をあきらめる話

(7月26日FBより)

メンタルをやらかして精神病院に通っている。

思えば10代の頃から陰鬱な性格で、学校では明るく振る舞うのに家に帰れば夜明けまで詩を書いたり泣いたりしていた。

自己嫌悪に荒れた20代は泥酔運転で死にかけ、病院の天井を眺めながら「死に損なった」と思った。死ぬこともできないポンコツなら、キレイに死ぬより汚くても生きようと諦めがついた。

30代は比較的ポジティブに、スキルを活かして社会に貢献しようと仕事に勤しんだ。しかしマズいことにこの頃、誰かのために自己を犠牲にする旨味を覚えたように思う。それは確かに蜜の味がした。

独立して7〜8年、ようやく人間並みの生活ができるようになったところで、40代半ばを目前にヘタりこんでしまった。

この間、早めに受診した方がいいのは分かっていたのだけど、アップダウンは誰でもある、止まない雨はない、と言い聞かせてなんとなくやり過ごすのが常態化してしまっていた。

晴れの日に傘を買いに行こうとする者はいない。
しかし、雨の日に傘を待たず出かける者もまたいない。

元気な時は「まさか自分が。大げさな」と思ってるし、落ちている時は「一歩も外に出たくない」と思っている。精神病は、だからやっかいなのだ。

さらにコロナ禍以降はアルコール依存が酷くなった。
普段、人前では飲まないから意外に思われるかもしれないが、10代の頃から酒癖は悪い。未だに普通の飲み方を知らない。
社会性の中で飲む人間は健全だ。
隠れて飲む人間は、失われるために飲む。

故・中島らも氏は「飲酒は緩慢な自殺だ」と述べているがその通りだと思う。そういや氏も最後はラリって死んだ。適量なんてない。死ぬまで飲む。

そんなわけで梅雨入りして雨ばかりの、抑鬱が酷すぎるある日、近所の老舗精神病院、川越病院に行った。

前を通りかかるたび、川を越えたら彼岸の地、精神病院としては縁起が悪すぎる名前よな、そばを流れる白川は三途の川、受付には脱衣婆がいるのだろうか、でも人生の越し方を洗いざらい木に吊るされジャッジされるのは同じよな、とか考えてたのだけど、川を越えまさか自分がお世話になるとは思っていなかった。

気圧が重い待合室、テレビから刺してくるお笑いタレントのバラエティ、ひび割れたリノリウム、磨かれた鏡とシミの付いた壁、忙しさを気取られぬよう歩く看護師たち、腰を折り名刺を撒く製薬会社の営業、前後運動を繰り返す老人、それをたしなめる家族の声、自動販売機がブーンと唸る、この数秒間で早くも脳内に「too busy」のアラートが点滅する。

一点を見つめて。時間がうまく流れない。息を吸って、息を吐いて、呼吸の仕方を思い出す。もう治療が始まっているのだろうか。
不意に雨足が強まる。目をつむる。もっと降れ。全部流してくれ。

診察はあっさり終わった。丁寧なヒアリングの末、酒を飲まずしっかり寝ろ、という診断をいただき睡眠薬をもらって帰った。

酒との併用は避けるよう言われていたけど、その日も痛飲して、処方の倍量の睡眠薬を飲んで寝た。いわゆるODだ。どうして自分を大切にできないんだろう?

他者にはいつも「大丈夫!」「ゆるさが価値ですよ」「適当にいきましょう!」「8分目ぐらいでちょうどいいですよ~」「誰も気にしてない!」「自分ファースト!それがいつか誰かを救います」などと声をかけてきた。本心だ。正しく生きて、誰も追い詰められるべきではない。だが、それらは僕が欲しかった言葉だったのだろう。

自営業は常にペダルを漕いでいないとあっという間にコケる。攻めの一手とは成長のためにあるんじゃない。現状維持がせいぜいだ。
しかし、この数年はルーティン以外何もできない。円安で仕入れ価格が1.5倍になっているのに値上げのお願いすらできない。オーダーをこなすだけで気力が尽きて一日が終わる。

幸か不幸か、月に30日働く冬場と比べて夏場は休みが増える。
今日はやることが少ないな、という日は朝から布団の上に転がって天井を眺めながら、一日が終わるのをじっと待っている。一片の肉塊となって。

何に対しても心が動かない。世界が色あせて、今まで心ときめいていた事象、未来、欲しかったもの、行きたかった場所、全てに興味がない。むしろそれを享受する自分をイメージするだけで激しく嫌悪する。

こんな時にSNSなんて見てはいけない。ましてや、周りには個人事業主やアクティベーターや表現者が多い。皆、迷い傷つきながらも未来と立ち向かっているというのに、僕はといえばもはや糞尿製造機でしかない。その圧倒的な落差にぞっとする。

怖いのは死ぬことではない。「生きなかった」ことだ。
-ヴィクトール・フランクル-

鬱の最善の治療法は「がんばらないこと」だというが、未来と対峙することが生きることだと思ってきた人間は、どうすればいいのだろう?

諦めは、はじまりと信じたい。

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